第36章 学術都市エイドリアの日常に戻る
学術都市エイドリアの朝は、静かだった。
鐘も号令もない。
あるのは紙をめくる音と、低い議論の声だけだ。
昨日までの緊張が嘘のように、学院は日常へ戻っていた。
だが、それは表向きの話にすぎない。
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ローデリクは、朝届いた手紙を強く握りしめた。
「結果を出せ」
父――ローデリク・ヴァルター・ヘルヴィウス。
貴族派の重鎮であり、息子に一切の逃げ場を与えない男。
(分かっている……)
視線の先には、三人がいた。
農村出身の一位。
商業都市オルディアの三位。
そして――リュシア。
苛立ちは、確実に募っていた。
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午前の講義は制度史だった。
教官が問いを投げる。
「この関税特例が導入された理由を述べよ」
沈黙。
ローデリクが答えかけるが、首を振られる。
「それは結果だ。理由ではない」
空気が重くなる。
そのとき――
「質問、いいですか」
カイオンだった。
声は小さいが、逃げていない。
「争いを防ぐため、という説明がありますが」
「本質は、責任を一人に集中させないための制度では?」
教室が静まる。
「失敗のたびに誰かを裁けば、国は保たれる」
「でも、それを続ければ、人が壊れます」
短い沈黙のあと、教官が言った。
「……正しい」
「君は条文ではなく、制度を読んだ」
ざわめきが走る。
カイオンは息を吐いた。
震えは、もうなかった。
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リュシアは横顔を見つめる。
(……逃げなかった)
フェリクスは小さく笑った。
(やっぱりな)
ローデリクは、歯を噛みしめる。
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昼休み。
「調子に乗るな」
ローデリクの低い声。
「農村の偶然が続くと思うな」
カイオンは言い返さなかった。
だが、フェリクスはそれを見ていた。
(……自滅するなよ)
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午後の実習。
複数国が絡む交易問題。
ローデリクの案は、矛盾を突かれて止まった。
一方、カイオンの案は地味だが破綻がない。
教官が頷く。
「現場を知っている案だ」
ローデリクは何も言えなかった。
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講義後。
三人で並んで歩く。
「……怖かった」
カイオンが呟く。
「でも、逃げませんでしたね」
リュシアが言う。
フェリクスが肩をすくめた。
「今日のところは合格だ」
カイオンは、少しだけ胸を張った。
ここにいていい。
その実感が、ようやく彼の中に根を張った。
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学術都市エイドリアの日常は、静かに続く。
だが――
三人の歯車は、確かに噛み合い始めていた。




