第31章 線を引く者、超える者
それは、掲示板に貼られた一枚の紙から始まった。
「次回公開討論
― 学術院における選抜制度の是非 ―」
議題の下には、
いくつかの項目が並んでいる。
・庶民枠の拡大について
・試験制度の透明性
・推薦枠と血統の扱い
そして最後に、
小さく、だが意図的に書かれていた。
「今回の首席合格者の評価を含む」
ざわり、と空気が動いた。
「……名指しじゃないけど」
「完全に、狙ってるよな」
食堂でも、回廊でも、
その話題でもちきりだった。
噂は、
もはや“陰”ではない。
線を引こうとする意志が、
はっきりと表に出てきていた。
⸻
「行かない方がいい」
フェリクスが、
いつもの軽い調子で言った。
「討論って言ってるけど、
あれは吊し上げに近い」
「勝ち負けの話じゃない」
「空気を作る側が、
もう決まってる」
カイオンは、
黙って掲示を見ていた。
「……でも」
「行かないと、
“逃げた”って言われる」
リュシアは、
その様子を静かに見ていた。
(線を引く者たち)
彼らは、
制度の名を借りて、
人を分けようとしている。
なら――
「行きましょう」
リュシアは、はっきりと言った。
フェリクスが目を細める。
「リュシア?」
「討論の場は、
制度を語る場所です」
「感情をぶつける場ではない」
カイオンが不安そうに見る。
「……俺が、何を言えばいいか」
「あなたは、
話さなくていい」
その言葉に、
二人が同時に顔を上げた。
「話すのは、
制度の側です」
⸻
討論会当日。
講堂は満席だった。
教官。
学生。
推薦枠で入った貴族子弟。
空気は、最初から硬い。
司会役の教官が言う。
「本日は、
学術院の選抜制度について、
自由に意見を――」
すぐに、声が上がった。
「自由、ですか?」
立ち上がったのは、
例の横柄な学生だった。
「なら聞きたい」
「なぜ、
農村出身の者が首席なのか」
ざわめき。
「努力?」
「才能?」
「それなら、
なぜ今まで
このような例がなかった?」
意図は明白だった。
“例外”を、
排除したい。
そのとき。
「質問の形を取っていますが」
リュシアが、立ち上がった。
声は落ち着いている。
「今の問いは、
制度への疑問ではありません」
「個人への違和感です」
場が静まる。
「選抜試験は、
匿名採点でした」
「出身も、身分も、
答案からは分からない」
「それでも首席になった」
「それが不正だと言うなら、
制度そのものを否定することになります」
横柄な学生が言い返す。
「制度が、
完璧だとでも?」
「いいえ」
リュシアは即答した。
「制度は、
常に未完成です」
「だから、
改善のために
議論する価値がある」
「ですが」
一拍置く。
「“結果が気に入らない”ことと、
“制度が誤っている”ことは、
同じではありません」
会場が、しんとする。
「制度を変えたいなら、
まず、
制度の言葉で語るべきです」
「個人を貶める形では、
何も前に進まない」
⸻
沈黙。
やがて、
別の教官が口を開いた。
「……今の発言は、
正論だ」
「議題を、
本来の制度論に戻そう」
空気が、
ゆっくりと変わり始める。
フェリクスは、
後方で小さく息を吐いた。
「……線、越えたな」
「え?」
「守り方が、
一番厄介なやつ」
リュシアは、
制度で線を引いた。
越える者と、
越えられない者を。
⸻
討論が終わったあと。
カイオンは、
深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
「俺、
一人だったら、
たぶん……」
「一人ではありません」
リュシアは、静かに言う。
「そして、
あなたが一位である事実は、
もう消えません」
フェリクスが笑う。
「むしろ、
目立ったね」
「これからは、
隠れるのも大変だ」
カイオンは苦笑した。
「……覚悟、いりますね」
「ええ」
リュシアは頷く。
「でも」
「線を引く者がいるなら、
越える者も必要です」
その言葉に、
カイオンは、まっすぐ前を見た。
⸻
学術院の夜は、静かだ。
だが――
この日を境に、
彼らの周囲に引かれる線は、
確実に、変わり始めていた。




