第30章 1位という重さ
噂は、風よりも早かった。
「聞いた?」
「今年の一位、庶民なんだって」
「農村出身らしいよ」
「……ほんとに?」
講堂の外、回廊、食堂。
声は小さい。
だが、確実に広がっていた。
カイオンは、それを知らないふりをしていた。
正確には――
聞こえていないふり、だった。
朝の講義が終わり、
一人で席を立とうとしたところで、
背後からわざとらしい声が飛ぶ。
「おい、一位」
呼び止める声。
振り返ったカイオンの前に立っていたのは、
昨日、派手な服装で周囲を睥睨していた青年だった。
「……何ですか」
「いやあ、感心してさ」
青年は、わざとらしく笑う。
「どんな裏技使ったら、
あの試験で一位なんて取れるんだ?」
周囲の空気が、わずかに張り詰めた。
「庶民には分からない採点基準が、
あったのかな?」
くすくす、と誰かが笑う。
カイオンは、何も言えなかった。
否定すれば、言い訳になる。
黙れば、認めたように見える。
(……どうすればいい)
その一瞬の迷いを、
別の声が断ち切った。
「質問の形を取っているようで、
中身は決めつけですね」
リュシアだった。
静かな声。
だが、はっきりと通る。
「あなたは、
彼が不正をしたと考えているのですか?」
青年は、むっと眉をひそめた。
「そうは言ってない」
「では、何を確認したいのですか?」
「結果が、おかしいと言っている」
リュシアは一歩前に出た。
「結果が気に入らないことと、
結果が不正であることは、
全く別です」
周囲が、静まり返る。
「今回の試験は、
記述式が中心でした」
「採点基準も、
公開されています」
「異議があるなら、
試験官に申し立てればいい」
「ここで彼を嘲る理由には、
なりません」
青年は言葉を失った。
フェリクスが、横から軽く口を挟む。
「それにさ」
「一位を疑う前に、
自分の答案を疑った方が建設的だよ」
くすり、と誰かが笑った。
青年は、顔を赤くして踵を返す。
「……覚えてろよ」
捨て台詞だけが残った。
⸻
しばらくの沈黙。
カイオンは、小さく頭を下げた。
「……ありがとう、ございます」
「当然のことを言っただけです」
リュシアは、淡々と答える。
「あなたは、
正当に評価された」
「それを否定される理由は、
どこにもありません」
カイオンは、
ぎゅっと拳を握った。
「でも……」
「一位って、
こんなに……」
言葉を探し、
最後まで言えなかった。
フェリクスが、軽く肩を叩く。
「重いよ」
即答だった。
「一位って肩書きは、
才能より先に、
妬みを集める」
「特に、
後ろ盾がないとね」
カイオンは、驚いたように彼を見る。
「……それ、経験談?」
フェリクスは、少しだけ笑った。
「まあ、似たようなもの」
リュシアは、その笑みの奥に、
別の計算を感じ取った。
(……この人、
状況を全部見てる)
フェリクスは続ける。
「でもさ」
「だからって、
下を向く必要はない」
「一位は、
守られるものじゃない」
「使うものだ」
カイオンは、目を瞬かせた。
「……使う?」
「そう」
フェリクスは、指を立てる。
「その席に立てるのは、
一人だけ」
「なら、
その視界を使えばいい」
リュシアは、静かに頷いた。
「あなたが一位である限り、
あなたの言葉は、
必ず届きます」
「良くも、悪くも」
カイオンは、
ゆっくりと息を吸った。
(……逃げられない)
だが――
一人ではない。
その事実が、
胸の奥で、確かに支えになっていた。
⸻
その日の夜。
学舎の窓から、
灯りのついた街を見下ろしながら、
リュシアは思う。
(ここは、学ぶ場所)
だが同時に――
人を試す場所でもある。
才能。
身分。
立場。
それらが、
静かに、残酷に、
線を引いていく。
そして、
その線をどう越えるかが、
次に問われる。
リュシアは、
そっと本を閉じた。
(……まだ、始まったばかり)
一位という重さは、
これからさらに増していく。
それでも。
それを支える言葉と、
知恵と、
仲間がいる限り――
彼らは、前へ進める。




