第20章 老将裁かれる
裁きの場は、華美ではなかった。
石造りの広間。
壁に掲げられた紋章は、どの国の誇りも誇示していない。
ここは、
国家の感情を入れないための場所だった。
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ガルディア帝国将軍
グナエウス・ヴァレンティア
鎖は、つけられていない。
それを拒んだのは、彼自身だった。
「必要ない」
老いた声だったが、濁りはない。
「逃げぬ者に、鎖は侮辱だ」
誰も、反論しなかった。
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四十年前。
この名は、アストリアにとって
「勝てない夜」を意味していた。
幾度も国境を越え、
幾度も軍を翻弄し、
撤退の判断だけは、常に正しかった男。
敵でありながら、
誰もその手腕を否定できなかった。
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裁きを告げる神官が、問いを投げる。
「貴殿は、
今回の件において
国境を越えた不正な工作を行ったか」
グナエウスは、迷わず答えた。
「行った」
ざわめきが起こる。
だが、彼は続けた。
「それが罪であるなら、否定はせぬ」
「私は将軍だ」
「勝つために動く」
「それだけだ」
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「では問う」
神官の声が、わずかに強まる。
「なぜ、
部下を使い、
神殿と王都を欺いた」
グナエウスは、目を伏せた。
ほんの一瞬だけ。
それは、
敗北を認める仕草ではなかった。
思い出す者の沈黙だった。
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――あの日も、同じ顔をしていた。
若い兵士。
名もない平民の子。
震える声で、命令を待っていた。
「将軍。
この作戦は……」
グナエウスは、言った。
――これは、お前の責ではない。
――判断したのは、私だ。
――お前は、ただ生きて帰れ。
それは、
王の言葉ではない。
将軍が、兵に与えられる最大の救いだった。
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「……彼は」
グナエウスは、ゆっくりと顔を上げた。
「私の最側近などではない」
「ただ、
戦場で名が知られるようになった者だ」
「それでも――」
一度、言葉を切る。
「彼は、
私のために動いた」
「それを、
止められなかった」
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沈黙。
それを破ったのは、
神官ではなかった。
大神官だった。
「あなたは、
勝つために動いた」
「しかし――」
その声は、驚くほど穏やかだった。
「その勝利に、
“責任”を背負う覚悟も、
最初からあったのではありませんか」
グナエウスは、
初めて、はっきりと大神官を見た。
「……ある」
短い答えだった。
だが、それで十分だった。
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判決は、読み上げられる。
「将軍グナエウス・ヴァレンティア」
「貴殿を、
国家転覆を企図した罪により、
正式に裁く」
処罰は、重い。
だが、
見せしめではない。
彼が将軍であることを認めた上での裁きだった。
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最後に、
一つだけ、許された問い。
「後悔は?」
グナエウスは、笑った。
それは、誇りでも、嘲りでもない。
「後悔がある者は、
将軍にはなれぬ」
「ただ――」
一瞬、視線を落とす。
「国は、
私が思っていたよりも
長く生き延びていた」
「それだけが、
少しだけ……誤算だった」
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裁きは終わった。
英雄でもなく、
怪物でもなく。
一人の老将が、
静かに歴史の外へ降りていく。
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その夜。
裁きの場を離れた者たちは、
誰も勝利の顔をしていなかった。
証拠は、繋がらない。
黒幕は、見えない。
王妃暗殺未遂の闇も、霧の中だ。
止めた。
だが、終わってはいない。
そして誰もが、
同じ予感を抱いていた。
――この男を、
――再び奪い返そうとする者が、
――必ず現れる、と。
国境は、
まだ揺れている。




