第1章 踏み荒らされた畑
夜明け前、家の戸は静かに閉まった。
父と長男が戻ってきたのは、空が白み始める頃だった。
傭兵の仕事は、夜明けまで続くことが多い。
今回は国境寄りの護衛だったらしく、二人とも泥と血の匂いをまとっている。
父は「……帰ったぞ」
それだけ言って剣を外し、床に横になった。
すぐに深い眠りに落ちる。
返事はなかった。
家族も、それを責めない。
母は、その時すでに村にいなかった。
夜半、隣村から使いが来た。
重い怪我人が出たという。
神殿に頼むほどではないが、
放っておけば命に関わる――その程度の傷。
母は迷わなかった。
「薬を持っていくわ」
そう言って、夜のうちに村を出た。
だから、
朝の畑に立っていたのは、
エリアスと次男だけだった。
畑は、荒らされていた。
踏み荒らされた薬草。
折れた茎。
土に残る、重たい足跡。
「……やられたな」
次男が吐き捨てる。
「山の方だ」
エリアスは、しゃがみ込み、土に触れた。
踏み荒らされている。
だが――
エリアス「根は、残ってる」
次男「は?」
エリアス「全部は、引き抜いてない」
次男は舌打ちした。
「そんなの、どうでもいい」
剣に手をかける。
次男は「見つけたら、殺す」と殺気立った目でつぶやいた。
足跡は、林へ続いていた。
二人は迷わず追った。
林の奥で、山賊と鉢合わせた。
一人が剣を振り上げて突っ込んでくる。
次男は踏み込み、剣を叩き落とした。
反撃に移ろうとした、その時。
「待って!」
エリアスの声が飛ぶ。
倒れた山賊は、すでに立ち上がれなかった。
肩口から血が流れ、呼吸は浅い。
それだけじゃない。
腕は細く、骨ばっている。
頬は落ち、唇は乾いていた。
(……食べてない)
一日や二日じゃない。
何日も。
「何か必要に迫られて、取ろうとしたんだ。
でも、分からなくて、諦めた」
畑の踏み跡が脳裏に浮かぶ。
根は残っていた。
必死で、乱雑な跡。
エリアスは腰袋から干し肉と薬草を取り出し、男の胸元に置いた。
「生きるかどうかは、この人次第だ」
少し離れた場所から、一人の男が前に出てきた。
山賊の中隊をまとめる男だった。
男は薬草を見て、目を細める。
「……止血草だな。軍で使う。辺境じゃ、もう手に入らない」
次に倒れた仲間を見る。
「三日は食ってない」
「……五日です」
エリアスの言葉に、男の視線が鋭くなる。
「指の震えと、唇の割れ方で分かる」
男は、しばらく黙っていた。
「……厄介だな」
「国の暗部から仕事を請けることもあるが……
これは報告が必要だ」
男は頭を下げた。
「恩は借りた。
今日のことは忘れない」
山賊たちは林へ消えた。
畑に戻ると、朝日が差し込んでいた。
踏み荒らされた薬草は、
まだ生きている。
一瞬、次男はエリアスを見た。
「……父さんはともかく、
母さんなら同じことをするだろうな」
そう言って、ニヤリと笑った。
エリアスは、答えなかった。




