第八章:春の答え
歩道の向こうから、
白いコートを着た女性が歩いてくる。
ショートカットの髪が春の風に揺れている。
幸恵だった。
淳也は一瞬、足が止まった。
幸恵もこちらに気づいて、動きを止めた。
「……お」
声が小さく漏れた。
幸恵はゆっくり近づいてきて、穏やかに笑った。
でも、目元が少し赤い。
泣いた後のような、腫れた感じ。
「淳也くん……」
「ここで、何してるん?」
「娘の試合。バスケ」
「ああ……結衣ちゃん、もう中学生なんやね」
幸恵は桜の木を見上げた。
一枚の花びらが、彼女の肩に落ちる。
「私、近くの総合病院に異動になったんや。今月から」
淳也は息を呑んだ。
「神戸から……?」
「うん。もう、しばらく大阪にいることになるかも」
二人の間に、桜の花びらが舞い降りる。
風が少し強くなった。
幸恵は小さく息を吐いて、続けた。
「実は……淳也くんに最後のメッセージ送ったあと、
ちょっと泣いてしもて。
それで、異動の話が来た時、迷わず受けたんや。
逃げてるみたいやけど……近くにいたくて」
淳也は何も言えなかった。
家族が待っている。
彩花と結衣が、車の中で。
「淳也くん、元気そうでよかった。
前に見た家族写真より、実際の結衣ちゃん、めっちゃ大きくなったね」
幸恵の声は、少し震えていた。
でも、笑顔は崩さない。
「幸恵も……看護師の仕事、忙しそうやな」
「うん。でも、人の役に立てるから、好きやわ」
沈黙が落ちた。
桜の花びらが、二人の間を何枚も通り抜けていく。
幸恵が先に歩き出した。
「じゃあ……また、どこかで」
すれ違う瞬間、
幸恵の手が、ほんの一瞬、淳也の指先に触れた。
温かくて、柔らかかった。
淳也は振り返らなかった。
幸恵も振り返らなかった。




