夢魔の誤算と覆された食卓
夢魔は驚いた。こんなに素直に乗ってくるとは思っていなかったのだ。他の夢魔たちに自分の志を語った時、どれほど嘲笑われたことか。
「その『賢明なる回答』を待っていた。」
「じゃ、あたしたちもう友達?」
「良かろう。特別に『友』の資格を与えよう。」
魔王は嬉しくなった。もう建物を壊した罰で投げ飛ばされなくてもいいから。
「あたし、人間界征服頑張る!」
「その『覇気』、高く評価しよう。」
夢魔は人差し指を上げた。すると、ワインセットを載せたお盆を片手に支えたレイが歩み寄った。
レイは魔王と夢魔の前にそれぞれワイングラスを置き、ワインを注いでくれた。
「ありがとう、レイちゃん!」
レイは答えず、少し離れた所に控えた。
「我らが『同盟』を結んだ以上、互いの名を刻む儀式が必要であろう。刮目せよ。我の名はインペリアル・マジェスティ・エリカ。帝国を支配する絶対者という意味だ。」
「あたしはユリア!魔王って意味だよ!」
ユリアという名に、別にそんな意味はなかった。ただ、エリカの自己紹介が格好よかったので真似しただけ。
「我と共に『覇道』を歩む者に相応しい名だ。」
エリカはそれを真剣に受け入れたように頷いた。自分がいつも『名前負けしている』とからかわれていたので、妙な親近感を覚えたのだ。
「では、我らが『覇道』の『道標』を示そう。」
エリカはワインをすすってから言葉を続けた。
「 全人類を我が『下僕』、即ち、『友』にすることで人間界征服を成し遂げる。」
「すてき!エリカちゃん、みんなと仲良くなる呪いが使えるよね?人間界征服、簡単じゃん!」
魔王は洗脳能力が仲良くなる呪いだと勘違いしていた。
「今のところ、『夢魔』である我はその『権能』を『夢』の中でしか使えぬ。」
「え?じゃ、人間界征服は夢物語じゃん!」
「ククッ…今はまだ『準備段階』に過ぎぬ。だが、それを『現実』へと変える『鍵』がここにある。」
エリカは眼帯を外した。赤い蝶の形が刻まれた黒い瞳が露になった。
「この瞳は『夢魔』の理には属さぬ。大戦争の遺跡で得た宝である。即ち、我は種族という『限界』を『超越』することができるのだ!」
エリカは眼帯を戻した。
「これを『夢』の外で使うには大量の精気が必要だ。そしてセナ殿こそが、その『源泉』たる極上の精気の持ち主。汝も目撃したはずだ。彼女の魂に刻まれた『傷跡』と鬱を。」
魔王は燃える蝶を追いながら見た光景を思い出した。
「あのような『負の感情』は、『欲望』や『愛』すらも凌駕するエネルギーを秘めている…だが、いかに強大でも、この瞳を満たすには刻を要するのだ。」
エリカは暫くワインを傾けていた。
「72時間だ。汝はその間、あらゆる『外部干渉』を排除し、 セナ殿を守る盾になれ。」
「3日も!」
「イエスだ。」
ワインを飲み終えたエリカは人差し指を上げた。待機していたレイがワインを持って近寄った。
「そんな長い間寝ていてもセナちゃん大丈夫かな?」
エリカは答える代わりにテーブルの下で手を動かした。レイがエリカのワイングラスに酒を注ぎながら言った。
「問題ないよ。私はここでこの方を守るから、外を頼む。」
魔王はレイがセナに興味ない振りをしながらも心配していることを知っていた。
「分かった!任せて!」
「 何人たりとも『接近』を許すな。 いかなる物理干渉をもってしても、強制的な覚醒は不可能。 だが、『安眠』が乱されれば、プロセスに『遅延』が生じてしまう。」
「うん!じゃ、行ってくる!」
魔王はぱっと立ち上がって両手で拳を握って見せた。
「急がなくていい。そろそろメインディッシュが出る番だ。」
丁度その時、滑らかな車輪の音が響いた。 セナが銀色のドームカバーで覆われた皿を載せ、ワゴンを押して現れた。
「セナちゃん?」
「あれは『夢』の中の自我だ。精気の調理を頼んでいる。」
セナちゃんが作った料理なら絶対に美味しいはず!魔王はまた席に戻った。
セナは恭しい手つきで、魔王とエリカの目の前に一つずつ皿をセットした。 まだ中身は見えない。だが、磨き上げられた銀の食器からは、ただならぬ高級感が漂っていた。
「これぞ選ばれし上級魔族のみが味わえる、『完全なる美食』だ。」
エリカはもったいぶって両手を広げ、宣言した。その言葉に、魔王は目をキラキラと輝かせ、テーブルに身を乗り出した。
「何が入ってるの?早く食べたい!」
魔王の視線は、まだ開かれていない銀色のカバーに釘付けになっていた。
「人間界を『支配』した暁には、これが我らの『日常食』となるのだ。」
エリカは自信満々に告げた。その言葉に、魔王の期待はさらに膨れ上がった。人間界を征服すれば、毎日夢の食事が待っていると思ったのだ。
「早く見せて!セナちゃん、オープン!」
魔王がフォークとナイフを握りしめて催促すると、セナは白い手袋をはめた手で、銀色のドームカバーをゆっくりと持ち上げた。
シュウウウ…
カバーが開くと同時に、食欲をそそる…いや、鼻が曲がりそうな強烈な腐臭と土の臭いが漂った。
「え…?」
皿の上に鎮座していたのは、どろりと濁った沼のようなスープから死んだ目でこちらを見つめる『泥トカゲの頭』と、どす黒い紫色の肉汁を滴らせている『ゾンビドラゴンのステーキ』だった。
「…」
期待に満ちていた魔王の表情が、一瞬にして絶望の色に染まった。キラキラしていた瞳は光を失い、まるで世界が終わったかのように暗く沈んだ。それは彼女が魔王城で死ぬほど嫌っていた、あの古臭い魔界の味だったからだ。
しかし、エリカはその沈黙を全く別の意味に受け取っていた。
「無理もない。下級魔族の汝には、初めて見る『逸品』が眩しすぎたか。」
エリカは固まっている魔王を見て、勝ち誇ったように髪をかき上げた。自分が憧れる食べ物を魔王も憧れていると勘違いしていたのだ。
「これがエリカちゃんの約束したグルメ…?」
「そうであろう。遠慮はいらぬ。感動で震える手を押さえ、存分に食らうがいい!」
魔王は震える指で、紫色の肉汁を滴らせているステーキを指さした。
「人間界を征服したら…こんなのを食べるようになるの?」
「毎日、死ぬまで!」
「いやー!!」
魔王は絶望を込めた悲鳴をあげながらテーブルをひっくり返した。




