魔王の本気
「どうしよう!」
魔王は気を失ったレイを抱えて居ても立ってもいられなかった。足踏みをする魔王の足元が黒く染まり始めた。気付かないうちに黒い領域は段々広がった。そこから小さい手がいくつも出て魔王の足首を捕まえた。
「あれ?」
脚に冷たくヌメヌメする感触を覚えた魔王は下を見ようとした。だが、レイを抱いていたためよく見えなかった。
「きもっ!」
魔王はヌメヌメを払うため足を振った。一瞬離れたかと思ったが、地面を踏むとまた粘りついた。
仕方なく、魔王は移動しようと歩き出した。その途端彼女は石にでも引っ掛かったように転んでしまった。
「あっ…!」
魔王は地面に当たるまでの短い間、体を反転させた。懐のレイを守るためだった。
ベチャッ!
泥沼に嵌まったような粘り気のある音がした。同時に黒の小さい手たちが転がった魔王を襲ってきた。
「ヒイイイイッ!何だよ!」
びっくりした魔王はもがいた。しかし、払っても、払っても、倍の数が絡みついてきたので体は地中に沈んでいく一方だった。
「動けない…!」
もう無数の手がレイまで下へと引っ張っていた。
「夢に飲み込まれる…!」
魔王の体は黒くて濃い液体に溺れた。顔が浸る直前に魔王は息を深く吸い込んだ。
ずぼっ。
魔王の視界が暗闇に覆われた。
ブクブク…
1、2、3…、数秒も経つ前に魔王は地面に吐き出された。
「え?」
急に明るい世界に戻った魔王はぼうっと座っていた。魔王は自分の体のあちこちを確認した。傷ついた所はない。黒いヌメヌメもついていない。むしろ煤が払われて服が綺麗になっていた。
「レイちゃん、これ見て!夢が洗濯してくれたよ!」
レイは答えなかった。そう言えば彼女は気絶していたはず。魔王は周りを見回した。だが、レイの姿は見当たらなかった。
「レイちゃん?!」
魔王は下を向いた。地はもう元のように固まっていた。夢が角を失ったレイを食ってしまったのだ。
「ダメ!」
魔王は素手で掘り返そうとしたが、地はこの世のものではないみたいに触ることすらできなかった。
「レイちゃんが…夢の迷子になって…死んだ…?」
魔王の呟きが風に乗って消えた。彼女はゆっくりと顔を上げた。
「…」
先程まで涙を湛えていた純粋な少女の目は、もうそこにはなかった。血走って瞳孔が捕食者のように縦に収縮した悪魔の目に変わっていたのだ。
魔王は光の柱を睨んだ。
「夢のコアに行って、夢魔を始末する。」
死の気配を纏うオーラを発した。レイの一撃でできた平原に漂うちりが魔王の周囲に渦巻いた。そのまま歩き出した。彼女が一歩踏み出すたびに、夢の中の空気がビリビリと震えた。
「ここか。」
魔王は光の柱の前に到着した。近くで見ると、それは巨大な壁だった。夢のコアを守るための絶対防御。高密度のエネルギーが編み込まれていて普通の人間なら触れるどころか、近づくだけで魂ごと焼かれてしまうほどの拒絶の意志を感じさせた。
だが、魔王は足を止めなかった。
「邪魔。」
彼女は手を伸ばし、その強固な結界を掴んだ。
パキッ。
何か硬いものがヒビ割れる音が響いた。
「開け。」
魔王が腕を振ると、世界を隔てていた光の壁は、まるで薄いガラス細工のように粉々に砕け散った。キラキラと降り注ぐ結界の破片を踏みつけ、魔王は侵入した。
「ここがコア。」
結界の中にはうたた寝の宿の建物があった。宿の入り口へと近づく魔王にナイフが飛んできた。しかし、途中で消えて魔王に当たることはなかった。
次は夢魔の下僕のお化けたちが飛び掛かって来た。魔王はそれらに目もくれず、ひたすら前へと進んだ。お化けたちも魔王に触れることはなかった。彼女の纏ったオーラに触れて蒸発し、消え失せた。
一方夢魔は、夢のコアの中の社長室で優雅にワイングラスを傾けていた。だが、監視魔法で外の様子を見た瞬間手からグラスを滑り落した。
ガシャーン!
「馬鹿な…!」
魔王が結界を壊して侵入し、お化けたちを気迫だけで消滅させながら歩いて来ていたのだ。
「あやつの『角』は確かに砕いたはず。なぜ『夢』に飲み込まれておらぬ…?」
夢魔は真剣に自分が何をミスしたのか悩んだ。暫くして、彼女は笑いを浮かべた。夢に食われず、夢の中で道に迷わず、自由に行動できるのは魔族のみ。つまり、今ロビーに突入しようとするものは間違いなく、
「魔族だ!」
ズドン!
轟音と共に、うたたねの宿の入り口が弾かれ飛んだ。砂煙の中、黄金の瞳を光らせた魔王がロビーに足を踏み入れた。
「歓迎するぞ。この『晩餐』の『客』よ。」
夢魔が階段から下りながら挨拶をした。魔王は答える代わりに目を一回だけ瞬いた。
ズバッ。
夢魔の後ろの壁に怪獣が搔いたような爪痕ができた。
「随分と『派手』な挨拶ではないか。ククッ、まあ落ち着け。我は汝に話がある。」
「あたしは話したくない。」
魔王はもう一回バチリと瞬いた。
ガガガガッ!
壁にもっと大きな裂け目が刻まれた。
「ここは『夢』。我に『魔法』を使っても無駄であろう。」
「レイちゃんを殺したよね…?あたしが復讐する。」
夢魔は微笑んだ。
「レイとはあの剣士のことか。あっちを見ろ。『夢』の中で死ぬことはなかろう。」
夢魔はカウンターの方を指さした。そこには本を読んでいるレイがいた。




