フレンチトーストと聖水
魔王はがばっと起き上がった。物置の部屋のベッドだった。周りを見回すとパジャマから宿の制服に着替えているセナが見えた。
『いかがなさいましたか?』
息を荒くする魔王を見てセナが心配そうな顔で聞いてきた。
『また私のせいでよく眠れなかったでしょうか?』
『そんなことないよ。それより幽霊は?』
『幽霊…ですか?』
セナはそれを聞くわけが分からないというように疑問符を浮かべた。
『あたし、昨日幽霊探しに出てたよ。』
『さようでしたか?気づきませんでした。幽霊は見つかりましたか?』
『うん。除霊儀式して、幽霊探して、後は…』
昨日の夜、魔王は部屋からこっそり出て、除霊の儀式をして、第三型の幽霊と遭遇した。そこまでははっきり覚えていた。だがどうやって部屋まで帰ったのかについては記憶が吹き飛んでいた。
『まずい!』
魔王はベッドから飛び出してロビーに向かった。
『マオウノ様!』
急な行動に驚いたセナもついて来た。
『え?何もないじゃん!』
ロビーには塩で描いておいた魔法陣がなくなっていた。
『セナちゃんが片付けたの?』
『何をでしょうか?私も起きたばかりでございますので…』
『あたし、ここに魔法陣描いておいたんだけど、それがなくなった。でも消した記憶はない。』
『それって…』
セナは慎重に言った。
『夢を見られたのではありませんか?』
『え?そんなはずが…あたし、魔法陣描いて、火をつけて、餌作って、肉食べたよ。』
『その流れ、確かに夢でございます。』
『そうかな?』
セナは頷いた。
『さようでございます。私は身なりを少し整えてから戻ります。厨房でお待ちください。朝食を差し上げます。』
魔王はセナの言う通りに厨房に入り、調理台の前の椅子で待った。厨房もロビーと同様、いつも通りに綺麗だった。
『本当に夢だったのかな。』
その時、後ろで誰か見ているような気がした。魔王は振り向いた。誰もいなかった。厨房の入り口に掛けられている暖簾が少し揺れているだけだった。彼女は椅子から下りてその向こうを確認しようとした。
『お待たせいたしました。』
だが、丁度セナが入って来て魔王は椅子にまた座った。セナはさっそく朝ご飯の支度を始めた。
食パンを三角形に切り、クリームと溶き卵を混ぜた液に沈ませ、フライパンで焼いた。火が通ったら皿に移し、砂糖をかけ、笑顔を添えて出してくれた。
『どうぞ。』
よだれを垂らしていた魔王は熱いフレンチトーストをフーフー吹きながら食べ始めた。暖かい雪原を歩くような気がした。ふわふわの食パンを噛むにつれてサクサクとした砂糖の音がした。
『最高!』
魔王はもう気持ちよくなって幽霊なんかは忘れてしまった。
『今日は配達先がありませんので遠足にお出掛けください。』
『いいの?配達の練習しないと。シグリッド家の屋敷に行くとか。』
『毎回同じ場所に行くのは迷惑になりえますので。遠足も配達の練習の一環でございます。目的地はなくとも色んな所に行き、道を覚えられますから。』
『確かに。』
セナはいつの間に空っぽになった魔王の皿を下げた。
『お弁当も作りますので空腹の心配はなさらず。』
そう余裕で言って、セナは氷結の魔法がかかった大型の戸棚を漁った。暫くして、彼女の焦った声が聞こえた。
『えっ、ありません。』
『何が?』
『弁当用に買っておいた牛肉がありません!』
それを聞いた魔王の脳裏に除霊用餌の美味しい匂いと黒髪ストレートの幽霊の姿がよぎった。
『ビーフカツを作ろうと思っていましたが…』
『本当だった!』
『何がですか?』
『幽霊!昨日除霊儀式やって、幽霊に会ったの。その後記憶がなくなった。多分第三型だよ!』
セナは首を振った。
『ですが、それは夢の話なのでは…』
『違うもん!あたしが使ったよ。あの牛肉。幽霊をおびき寄せる餌を作るために。』
『さようでございますか。』
セナはあんまり緊張感のない反応を見せた。
『早く排除しないと。』
『幽霊って危険ですか?宿で噂になってから結構経ちますが、なんの被害もありませんでした。』
『第三型は違う。人に取り憑くやつなの。』
『そんな。』
セナは爪を噛んだ。
『その第三型の幽霊って除去できますか?』
『ただのお祓いではできない。』
『えっ。』
『でも方法はあるよ!』
セナはごくりと唾を飲み込んで次の話を待った。
『聖水が必要だけど。』
聖水。無数の魔物や魔族を傷つけた非常に危険な化学物質。それを扱う以上、魔王も安全だとは言い切れない。そして聖水を手に入れる場所はただ一つ。勇者の後ろ盾であり、世界を修羅場にぶち込み続ける悪党ども、その名も恐ろしい「教会」。
聖水を取るのは命懸けの戦いになるはずだが、魔王はうたたねの宿を幽霊から守りたかった。
『あたし、教会に行ってくる。』
彼女は悲壮に決意を語った。
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