一口ぐらいは大丈夫じゃん
周りには人気もなかった。随分狭い小道ばかり歩いていた魔王はやっと道路に出た。彼女は通りすがりのおばあさんに道を聞いた。
『フレイヤの所に、いや、赤い屋根の郵便局にはどうやって行けるの?』
おばあさんは親切に道を教えてくれた。ほっとしておばあさんから教わった所にいった。が、そこから右に回ってもフレイヤの所は見つからなかった。
魔王は自分が見逃したと思い、何回も同じ経路を過ぎた。郵便局の中からそれを見ていた郵便屋さんが彼女を呼び止めた。
『お嬢ちゃん。なんか落としたものでもあるかい?』
魔王は背負っているカバンを確認した。
『いや。落し物はない。』
『じゃ、どうしてこの周りをずっと回ってるんだい?郵便局の中で見てると気になってさ。』
『探してる家が見つからないの。略図によればここら辺なのに…』
『その略図、見せてくれないか。俺、道にだけは詳しいから。』
魔王は郵便屋さんに略図を渡した。
『確かに、これを見ると郵便局で右に曲がると見つかるはずなんだが…もしかしたらどこから出発したのかい?』
『宿から来た!』
『そう言われてもそれがどこにあるかさっぱり分からないな。宿ってどこにでもあるからな…この町にも百個はあるはずなんだよ。』
『え?』
『郵便局もそうだよ。何箇所もあるから。魔道具屋だって…でもここら辺には魔道具屋はないから、この略図に描かれている郵便局がここじゃないってことだけは確実だな。』
『でもセナは、略図を描いてくれた人は赤い屋根の郵便局の近くだと言ったんだ。ここの屋根、赤いじゃん。』
郵便屋さんは手を組んで困った表情を見せた。
『確かにそうだけど…「郵便局の屋根は赤」と言うのがシジャックの規則だよ。』
この会話で魔王の頭の中は真っ白になってしまった。自分がどんな立場にあるのか気づいたのだった。フレイヤの所に導く手がかりは全部無用だった。それどころか宿の名前も知らないから帰れないかもしれない。
『悪いな。役に立てなくて。でもここじゃ目的地は見つからないからな。』
郵便屋さんは郵便局に戻り、魔王は一人になった。彼女は歩き出した。どこに向かっているのか分からないまま。グラタンが冷める前に到着できないかも、と不安にはなったが配達を諦めてはいなかった。
だって幼い頃、魔王は勇者を防ぐために作られた迷路を一人で脱出した経験があった。当時彼女は壁に沿い、何日もひたすら歩いて出口を見つけた。魔物に襲われ、罠に掛かっても諦めなかったからこそ出来たことだった。
まあ、魔王城に帰ってユーズにおしりをぶたれたけれど。危険なので入っては行けないと注意されたのに言うことを聞かなかったのだ。
『よし、行ける!』
昔のことを思い出した魔王は元気を取り戻し、走り出した。この町は魔界の迷路より安全で楽。だから道ぐらいすぐにでも探せる、と彼女は思い込んだ。
1時間後、魔王はカバンを抱え、ある公園のベンチに座ってため息をついていた。道を探すには本当に何日も掛かりそうだった。それじゃ食べ物は冷め、配達は失敗になる。
『どうしよう…』
魔王はグラタンが冷たくなったのか確認するため、革製のカバンを開けてみた。するとスチームが立ち、美味しい匂いが漂った。
『まだホカホカじゃん!』
彼女はほっとしてカバンを閉めるつもりであったが、グラタンの匂いはそうさせなかった。
ゴクリ。
どうせ着いたら一緒に食べる予定だったから、
『一口ぐらいは大丈夫じゃん。』
魔王はお腹が減っていた。昨日の夕食以降なにも食べていなかった。彼女はグラタンと共に置かれているフォークを一つ持ち上げた。
『でも配達は…』
彼女は悩んだ。だが、フォークを持ち上げた以上、悩みはもう無用だった。魔王はグラタンにフォークを入れた。チーズの海から鶏肉が釣れた。釣り上げるとチーズが伸びて優雅な曲線を描いた。
『暖かい…』
グラタンを口に入れた魔王はチーズの温泉に体を沈ませるような気持になった。そばには鴨の代わりに鶏の玩具が浮かんでいた。その暖かさが今日の疲れや不安を解してくれた。口の中のグラタンを飲み込んだら余韻が残った。だが、長くは持たなかった。
『まだ沢山あるし、もう一口ぐらいなら。』
彼女は躊躇いながらも手を動かした。一口はだんだん増え、数えられない数になった。配達のことはもう忘れられていた。
『ヒィィッ!』
気がついたら、グラタンの入っていた器はもう空っぽだった。
『セナに怒られちゃう!』
セナは優しいが、仕事については厳しくなる傾向がありそうだった。魔王は過ちを犯した時、ユーズにされた事を思い出した。そしてセナが何をするかも想像してみた。すると、セナにおしりをぶたれる自分が目に浮かんだ。
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