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第8話ー追憶の果てに

 朝の光が静かに部屋を満たしていた。

 カーテンの隙間から差し込む陽は柔らかく、空気も昨日までの濁りをすっかり忘れたように澄んでいる。

 川の水は透明で、公園の木々は風にそよいでいた。

 どこを見ても、もう汚れはない。

 それでも――誰の声も、もう聞こえなかった。


 「……あいつ、もう黙ったのか。」

 呟いても返事はない。

 胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚が広がる。

 それは寂しさというよりも、ようやく自分の時間が戻ってきたような感覚だった。


 神の声も、追憶の光も、もうない。

 ただ、風と、水の音と、自分の呼吸だけ。

 それでも世界は動いていた。


 街を歩く。

 かつての汚れは跡形もない。

 川、公園、廃工場、どこも穏やかで、静かで、そして少しだけ温かい。

 空気の奥に、微かな生命の気配を感じた。

 虫の羽音。遠くで風に揺れる葉の音。

 それだけで十分だった。


 「世界って、思ってたよりも強いんだな……。」

 口に出した声が、風に溶けて消えた。

 「でも、世界にはまだ汚染されている場所がいっぱいあるはずだ。

  誰もいなくても、世界は残ってる。

  なら――きれいにしてやる価値はある。」


 歩き出す足取りは、以前よりも軽い。

 風が街を撫で、夕陽が地面を赤く照らす。

 その光の向こうに、かすかに白い輝きが見えた。

 次の汚れた地への導きのように、淡く脈打っている。


 「……次は、あそこだな。」

 呟いて、歩き出す。


 街の明かりはもうない。

 それでも空は、どこまでも明るく見えた。

 星々が道のように並び、彼を導いている。

 一歩、また一歩。

 足音が夜の大地に溶ける。

 風の音と、草のざわめきがそれに寄り添う。


 「誰もいない世界でも、

  きれいなものは、まだ残せる。」


  「……全部、きれいにしてやるさ。

  世界が俺を捨てたって、俺は、まだ世界を捨てない。」


 その言葉が、夜明けの風に乗ってどこまでも広がっていった。

 光が差し、影が薄れ、世界がゆっくりと息を吹き返す。


 静寂の中で、

 ひとり歩く男の足音だけが確かに残った。

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