表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

第3話ー夢じゃない

 昨日の悪夢の余韻がまだ体にこびりついているようだった。

 まぶたを重たくこじ開けて、ゆっくりと体を起こす。頭は鉛のようにだるく、眠った気がしない。

 洗面所に立ち、鏡を覗き込んで――そこで違和感に気づいた。

 「……そういえば、髭が伸びてない?」

 いつもなら寝起きの顔に、薄く無精髭が目立つ時間だ。なのに頬も顎も昨日の朝と変わらない。

 「剃ったっけ……?」

 記憶を探るが、昨日はそんなことしていない。どころか、一昨日もだ。

 自分で自分を否定するように頭を振るが、胸の奥には得体の知れないざわめきが残った。

 コンビニへ足を運んでみても、街は昨日と同じだった。

 人影はなく、棚には商品が整然と並んでいる。

 レジには誰もおらず、冷蔵庫のモーター音だけが虚しく響く。

 袋にレトルト食品を詰めながら、心の中で繰り返す。

 ――やっぱり、何も変わっていない。いや、変わっているのは俺の方か。



 午後、気を紛らわせるように散歩に出た。

 人のいない街は、どこもかしこも昨日と同じ停止した景色を映している。

 風に煽られた旗がひらひらと揺れる。その下を歩いていると、足元の段差につまずいた。

 「っ……!」

 反射的に手をついた瞬間、掌に鋭い痛みが走る。

 見ると擦り傷が赤く滲み、じわりと血がにじんでいた。

 久しぶりに見る生々しい赤に、逆にほっとする自分がいた。

 ――そうだよな、傷は痛いし血も出る。当たり前だ。

 ティッシュで拭きながら帰路を急ぐ。だが、数分後に手を見て愕然とした。

 傷が、消えていた。

 血も痕跡もなく、擦りむいたはずの皮膚が滑らかに戻っている。

 「……は?」

 思わず声が漏れる。

 あり得ない。さっきまで痛みを感じていたのに。

 掌を何度も撫で回す。幻覚ではない。

 確かに俺の体は――何かがおかしくなっている。

 膝が笑った。自分の足で立っているのに、世界がぐらりと揺れる感覚。

 「……これ、やっぱり夢じゃない……」

 喉の奥から絞り出すように言葉が漏れた。



 夜。

 眠るのが怖かった。

 あの声を、また聞かされるのがわかっているから。

 だが、疲労は容赦なく襲ってくる。瞼は重くなり、意識は闇へ落ちていった。

 ――気づけば、あの虚無の中に立っていた。

 空も地面もない、ただの闇。世界は白紙のように空っぽで、音ひとつない。

 そしてまた、声が降りてきた。

 「お前は死を許されていない。傷は癒え、老いは止まる。食事も必要ない。」

 「凡庸なるお前こそ、世界の汚染を浄化し続けよ。」

 体が強張る。

 「……ふざけるな!誰がそんなことやるか!」

 声は反応しない。ただ、理不尽を告げるだけだった。


 「俺は凡庸だ?だからって……なんで俺が……!」

 声が答える。

 「この世界で何かを成せ。お前は永遠に器となる。」

 「黙れ!もう聞きたくない!やめろ!」

 耳を塞ぐが、意味はない。声は直接頭の中に響く。

 「お前は死を許されない。死は贖いを逃れる道だからだ。」

 「お前は永遠に生きる。腐敗を払い、汚濁を清める。それだけが務めだ。」

 その響きは呪詛のようで、何度も何度も繰り返された。

 絶望に押し潰されそうになりながら、俺は声を振り払うように絶叫する。

 「もう黙れぇぇぇッ!」


 飛び起きた。

 呼吸が荒い。冷や汗が背中を濡らしている。

 恐る恐る手を見下ろすと――昨日の傷は跡形もなかった。

 鏡を覗く。

 顎には、やはり一本の髭も伸びていない。

 「……ほんとに、夢じゃないのか...」

 その言葉は呟きというより、敗北の告白のように響いた。

 現実に理不尽が侵食してきている――その事実を、認めざるを得なかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ