第2話ー凡庸だから贖え
翌朝、目を覚ましたとき、まず思ったのは「昨日の悪夢のせいで寝覚めが最悪だ」ということだった。
けれど起き上がってカーテンを開けた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
――静かだ。やっぱり。
世界は昨日と変わらず、不気味な沈黙を続けていた。
通勤時間のはずなのに道路には車一台走っていない。犬の散歩をする近所の姿も、子どもの声もない。
冷蔵庫を開けて、飲みかけのペットボトルの水をひと口飲む。空虚な味しかしなかった。
昨日と同じようにコンビニへ足を運ぶ。自動ドアは律儀に開き、明かりは煌々とついている。
棚には新しい日付の弁当やパンが並んでいた。
けれどレジには、やはり誰も立っていない。
「……夢じゃ、なかったか」
ぽつりとつぶやく。
昨日のあの異様な夢のせいで頭がおかしくなっているのかと疑ったが、現実は変わらない。
ため息を吐きながら、日持ちしそうなレトルト食品をまとめて袋に詰めた。
――考えてみれば、誰もいないなら今後の食料は自分で確保しないといけない。
棚を物色し、乾麺や缶詰、カップ麺や冷凍食品をカゴに投げ入れる。電気がいつまで生きてるかわからないけど、無いよりかはマシだろう
「生き延びなきゃいけないのか……俺一人で」
結局、レジにお金を置き、袋を下げて帰路につく。
信号は相変わらず律儀に点滅を繰り返している。
人間がいないだけで、街はいつも通り動き続けていた。
昼になり、買ってきたレトルトを電子レンジで温めた。
チンという軽快な音にさえ空虚さがまとわりつく。
食欲はある。味も普段と変わらない。
それがかえって腹立たしかった。
食後、気を紛らわせるようにゲーム機の電源を入れる。
だが、オンラインに繋いでもマッチングが始まらない。
延々と「検索中」の文字が画面に浮かぶだけだ。
SNSを覗いても、昨日と同じ投稿が並ぶばかり。
更新ボタンをいくら押しても、何も新しいものは出てこなかった。
「……これ、もう誰も動いてないのか」
呟いた声が自室に溶けていく。
ネットは繋がっているのに、そこに生きている人間が一人もいない。
気づけば、外に出る気力もなくなっていた。
窓から覗く街は昨日と同じ。
遠くでカラスが鳴き、ビルのガラスに映る空はただ青かった。
夜。
ベッドに横になっても、昨日の夢のことが頭から離れなかった。
あの声。あの宣告。
「お前は捨てられた」という言葉が、耳に焼き付いて離れない。
「もう聞きたくない……」
眠るのが怖かった。
だが、疲労には勝てず、瞼は落ちていく。
そして気づけばまた、あの虚無の中に立っていた。
闇は深く、音もなく、世界は空白に包まれている。
その中で、声が再び降りてきた。
「人類は贖罪のために異界へ渡った。だが、お前だけは残された。」
背筋が凍る。
昨日と同じ、あの声だ。
「……またそれかよ……」
掠れた声で返す。
だが返ってきた言葉は、昨日よりもさらに理不尽だった。
「なぜか?それは、お前が最も贖罪にふさわしくないからだ。」
「……は?」
脳が理解を拒絶する。
「罪深き者でもなく、善良でもない。凡庸なお前こそ、永遠に贖え。」
胸の奥で、何かが崩れ落ちる。
凡庸だから?
ただの凡人だから?
だから俺は残されたというのか。
「意味がわからねぇ……!凡庸だから?だからって、なんで俺が――!」
声は答えない。ただ淡々と繰り返す。
「務めだ。それがすべてだ。」
頭が割れそうだった。怒り、困惑、恐怖、すべてがぐちゃぐちゃに混ざる。
「凡庸」という一言が、鋭い刃となって心を抉る。
選ばれた理由のなさ。それこそが、最大の理不尽だった。
冷や汗をかいて飛び起きる。
呼吸が荒く、胸が痛い。
「……また、あの声だ」
部屋は静かだ。
けれど夢の内容は、現実と同じくらい鮮明に残っていた。
あの矛盾した理屈が、頭から離れない。
「これ、夢なんかじゃ……」
呟きは夜の闇に沈んでいった。
その瞬間、初めて「これは現実かもしれない」と、ほんのわずかに認めざるを得なかった。




