表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

第1話ー追憶の残響を歩む俺は、世界にひとり残された。

  目を覚ましたのは、いつもと変わらない朝だった。

窓の外に差し込む光は眩しく、カーテン越しに見える空は晴れている。時計は七時を少し回ったところを示していた。

仕事のある日と同じ、何の変哲もない時間のはずだった。


顔を洗い、歯を磨き、いつものように玄関を出る。鍵をかけた時点で、ようやく異変に気づいた。

静かすぎる。

通りには人影がない。いつもなら同じ時間に出勤する人の姿が数人はあるはずだ。近所の家のカーテンも閉じっぱなしで、車庫にある車は昨日のまま動いた様子がない。

耳を澄ますと、聞こえてくるのは風に揺れる看板の軋む音と、どこか遠くのカラスの声だけだった。子どもの声も、エンジン音も、誰かの足音もない。

歩きながら何度も辺りを見回した。だが、人の気配はどこにもなかった。

自転車が信号待ちをしたまま倒れている。カフェの入り口は開け放たれていて、テーブルには飲みかけのコーヒーが置かれたまま。コンビニの看板は煌々と灯っているが、ガラス越しに見えるレジには誰も立っていない。


不気味だった。

 

電気も信号も稼働しているのに、人間だけがごっそり消え失せたような光景。

恐る恐るコンビニに入ってみた。店内はいつも通り、陳列棚にぎっしり商品が並んでいる。おにぎりもパンも、まだ新しい日付のものが並んでいた。だが、レジには人の姿がない。バックヤードの扉も開いていない。

 「……おーい」

呼びかけても返事はない。

しん、と空気が張り詰めたように沈黙している。冷蔵庫のモーター音だけがやけに大きく聞こえ、背筋を冷たくした。

レジにお金を置き、おにぎりを一つ手に取って店を出る。誰かに咎められることもなく、ただドアの電子音がむなしく響いた。

道に戻ると、信号が青に変わった。けれど渡る人はおらず、停止線に車もない。風に煽られたコンビニの袋が、ゆっくりと宙を舞い、アスファルトの上を転がっていく。

街が、世界が、人間を置き去りにして動き続けている。

その事実がじわじわと、胃の奥を締めつけた。


歩き続けても、人影はどこにも見えなかった。

 商店街のシャッターは半分開いたまま止まり、惣菜屋のケースには揚げ物が並んでいる。まだ油の匂いが残っていた。

 その前で、放置された自転車が道に横たわっていた。ハンドルに掛けられた買い物袋の中身は、途中で忘れられたかのようにそのまま。

 ふと視線を上げると、風に押されるカーテンが二階の窓からはためいている。そこに人の気配を探したが、やはり誰もいない。

 開きっぱなしのカフェでは、半分飲みかけのカップがテーブルに残されていた。

 白い陶器の縁には口紅の跡すらあった。

 

 ……みんなどこへ行った?


 心の中で繰り返しても答えは出ない。

 時間の感覚が曖昧になっていた。気づけば太陽が西に傾き、街灯の影が長く伸びている。

 足は重く、全身を不安と疲労が支配していた。

 夕暮れの風は肌寒く、心細さを際立たせた。

 俺はそのまま家へ戻った。

 玄関の鍵を閉め、靴を脱いでリビングに沈み込む。

 テレビのリモコンを手に取り、スイッチを入れる。

 けれど映ったのは砂嵐ではなく、ただ同じニュース映像の繰り返し。

 「交通渋滞の緩和に向けた取り組みが――」

 録画のように、昨日と同じニュースが延々と再生される。新しい情報は一切ない。

 腹が減った。

 机の上に置いたコンビニの袋を漁り、パンと惣菜を取り出す。

 「夢だろ……」

 口に出した声は、思った以上に掠れていた。

 誰もいない部屋で、ひとり呟くだけが唯一の会話だった。

 レンジで温めた惣菜の唐揚げを噛みしめる。いつもの味だ。

 ただ、その「いつも」がもう戻らない気がして、余計に胸が重くなる。


 夜になった。

 外は暗く、カーテンの隙間から街灯の光がぼんやりと差し込む。

 ベッドに横になっても、目は冴えたまま天井を睨んでいた。

 静かすぎる世界で、一人きりの呼吸だけが耳に響く。

 やがて意識が沈みはじめる。眠りというより、落下に近かった。

 ――気づけば、俺は暗闇に立っていた。

 足元も、空も、何もない。

 音もなく、ただ虚無だけが広がっている。


 そのとき、声が降りてきた。

 「人類は異界へ渡った。お前は残された。」

 反射的に口が動く。

 「……は?誰だよ……人類?どこに行ったんだ……?俺も人類だけど...」

 唇が震える。

 「彼らは贖罪のために異界へ渡った。ひとり残らず。」

 背筋に氷を差し込まれたような感覚が走る。

 「……じゃあ……なんで、俺だけ……」

 答えは無慈悲に告げられた。


 「お前は選ばれたのではない。捨てられたのだ。」


 押し寄せる理不尽に、胸の奥で何かがはじけた。

 「……ふざけんなよ!なんで俺なんだよ!俺は普通に生きてきた!

 いいことも、悪いことも!特段目立ったことはしてきてない!

 俺より酷いことしてた奴なんかいくらでもいたはずだ!

 なんで、なんで俺なんだよ!」


 声は変わらず、淡々としていた。

 「お前は残された。理由はない。ただ、そう決まったのだ。」


 耳を塞ぎたくなる。だが声は直接脳に響き、逃げ場がない。

 「お前は死ぬことはない。生き続け、世界を浄化しろ。それが贖罪だ。人類のな。」

 足元が崩れるような絶望に飲み込まれる。

 「……やめろ……俺は、そんなの……なんで...」

 叫んでも、声は止まらなかった。

 「お前は悠久を生きる。腐敗を払い、汚濁を清める。贖いは終わらない。」

 「聞きたくない!黙れ!」

 目を閉じ、耳を塞いでも、声は途切れずに続く。

 理不尽すぎる宣告。反論も理由もなく、ただ押しつけられるだけだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ