第2話 異世界転移のウラ話
「あるじ様」
「ん? インちゃんどうした」
無事に竜を討伐し着陸した俺の下に、とてて、と歩み寄ってくる幼い少女。
すべすべもちもちした白い肌にこれまた白い髪が、ときおり風になびいて絹糸のように揺れる。そこから覗く琥珀色の瞳は文字通り宝石みたいで、くりんとした目つきが狂おしく愛おしい。
インちゃんは、魔王討伐の道中、〈S級〉生物の〈魔獣〉にいじめられているところを助けて以来、俺に同行して旅を続けてきたいたいけな女の子。
そんな彼女は、俺のことを「主」と呼び、どんな時でも俺の心を癒してくれる精神的〈療術師〉。
そんなインちゃんが上目遣いで俺の上着の裾をくい、と引っ張った。かんわいい~(悶絶)。
「われ、がんばった……?」
「もちろん。インちゃんいてくれなかったら俺今ごろ灰燼と化してたよ」
あまりの可愛さに、俺の頬は思わず緩んでしまう。緩んだというかもうほぼ溶けてる。スライムぐらい溶けてる。
「あるじ様、溶解してる……。あるじ様は、みず、だった?」
「まあニンゲン七割が水でできてるしな。俺が流動体になってインちゃんを包み込めば今よりいっそう多い面積で君と触れ合えるね」
「オマエがいちばん世界の平穏を乱してる気がするぞ」
うへへ、と紳士的な奇声を上げる俺に、湿度高めなツッコミが入った。
俺を蔑むように見やる少年――クアドル。
短い金髪と尖った目つきが特徴的な少年、クアドル・バル・サンクリスト。魔王討伐後に出会った齢十二の少年だ。
彼の生まれ育ったサンクリスト王国は、運悪くも伝承に伝わる〈S級〉飛龍科黒龍目の『黒龍』の逆鱗に触れ、俺たちが駆けつける一夜前に跡形もなく滅ばされた。
王城だった更地に奉られていた聖剣に寄り添っていた彼だけが、唯一の生き残りであった。いわゆる亡国の皇子である。
小柄な背には、身長の倍ほどある大剣が納められている。
〈断罪の剣〉――この世界に存在する四振りの聖剣のひとつ。ひとたび振るえば、山脈の一つくらいなら瞬きする間もなく消し飛ばしてしまえるほどの効力を秘める神造兵器。
厳密に言えば、聖剣の絶大な魔力を最大限引き出すためには、この世界に認められた英雄になる必要があるのだが。
このクアドルは故郷に眠る〈断罪の剣〉を勝手に持ち出し(自分一人残してもろとも滅ぼされた事情を知れば咎められはしないが)、聖剣に認められるために俺について修行している。
最近ではめっぽう強くなって、〈A級〉くらいなら俺と一緒に戦えるまでには成長している。
まあ、インちゃんにバフをかけてもらわなくても、クアドルに前線へ出てもらわなくても、俺が一人で全ての役割をこなせばいいだけなんだけど。
そういうことじゃないんだよ。一人じゃなんの意味もない。
お気づきだろうが、俺が立っているこの地は、読者諸兄が住まわれているような日本ではない。というか、ここは地球ですらない。
ここはセシエル大陸がマデリン領、ロンビア共和国の山奥である。
要するに、俺たちの日本から見た『異世界』だ。
始まりは突然だった。日本のある田舎町の高校に通う俺は――俺たちは、ある何ともない日の昼下がり、一クラスまるまる、この異世界に『転移』した。
平々凡々とした代り映えのない日常が、突如として血生臭いおとぎの国での暮らしに変貌したのだ。はじめは誰もが、めいめいに動揺を露わにした。
そして俺たちは、この世界の神を名乗るヤツにより、それぞれが唯一性を持つ役割なる特殊能力を与えられた。〈僧侶〉とか〈聖騎士〉とか、まあ色々。
そんで一難二難あって、なんだかんだでこの世界を牛耳らんとする魔王軍を片っ端から殲滅し、世界を救った。
はい。俺たち、世界救っちゃいました。
どうやら俺たちが元の世界に戻るための最終目標が魔王を倒すことだったらしく、晴れて俺たちのクラスは、一人残らず、現実世界へと帰還した。
――……俺以外。
あれは帰還当日のことだった。クラスメイト全員がすっぽり収まるくらいの転移魔術式に、朝の十時に集合となっていたのだが、あろうことか俺はその日に一時間の寝坊という、一世一代の大遅刻をかましてしまったのである。
そして約束の時間。クラスメイトは点呼を取ったが、こともあろうに俺の名前をすっ飛ばしやがった。いやまあ、覚えられない、居なくても判らないレベルの存在感のなさを秘める俺も悪いんですけど……いや悪いわけねえだろ。完全に被害者じゃねえか。
ともあれ、俺がベッドで惰眠をむさぼっている間に、大規模な転移術式は無事に起動したらしく。
かくして俺は一人、異世界に取り残された。
普通に忘れられた。神の手違い、そしてクラスメイトの誰一人として、俺の不在を気にかけなかった──否。誰も俺がいないことに気がつかなかったのだ。
俺はと言えば、なにも思わなかった。そりゃあ最初は驚きはした。長年過ごしたサムライとヘンタイの国NIPPONには、そりゃ帰れるなら帰りたかった。
が、悲しいとか、悔しいとか、そういうブルーな感情は引き起こされなかったことに、自分でも驚いた。
そりゃあそうだ。俺があの教室で残した思い出は、刻んだ記憶は、ひとつたりとて存在しないのだから。
いじめられてたとか、嫌われてたとか、そんな悲しい過去はない。むしろなにもされなかった。
そう。あのクラスにおいて俺は、誰の何でもなかったのだ。好きの反対は無関心とはよく言ったもので、俺はあの空間において、その場の空気でしかなかった。
居ても居なくても変わらない、人畜無害なヤツ。特段、彼らとの間には、なにもなかった。
でも、『俺たち』が生きた証はあった。この世界に連れてこられて、共に戸惑った。修練を重ねた。苦楽を共にした。
積み重ねた日々が、青春が、俺たちの作った平穏が、なによりの証だ。
そしてただ一つ。不幸中の幸いというか、棚からぼたもちというか、ともあれ予期せぬ偶然が、俺の身に降りかかった。
神の手違いによって、現実世界への転移に失敗した俺。
神の手違い──それはいわば、世界における『バグ』である。
バグの結果、去っていったクラスメイト全員分の魔力が、得たスキルが、身に着けた魔法が、俺に蓄積された。
それは当然の帰結というか、冷静に考えれば納得できる理論ではあるけど。世界の抑止力、そして俺に与えられた〈調停者〉としての特性が作用して起こった、偶然の一致。
それにより俺は、数にして28196の〈役割〉、【スキル】、『魔法』を、一身に宿した。
だから俺は、残った俺はそれから、みんなと生きた証として――みんなの生きた証を頼りに、この世界の平和を守ることを芯として自分に定めた。
異世界に唯一取り残された少年、エイトの第二……否。第三の人生は、〈調停者〉として生きること。
そんなこんなで、世界は今日も平和だ。