2「堕ちる」
あれから数日、登校中・・・
冬の寒さが身を刺し、手袋をした手が結喜が乗る車椅子を押す。
「すっかり寒くなったね」
結喜はそう話した。
「そうだな・・・かなり寒い」
俺が放ったその言葉に、結喜は優しく笑う。
「なんだよ?」
「なんでもないよ」
ごまかす結喜の言葉に俺は疑問を抱きながら太陽が光る空を見つめる・・・
「あれからどう?」
「かなりアバウトに質問を投げかけるんじゃない」
俺がそう話すと、結喜は眉を上げた。
そして、ため息まじりに話しだす。
「記憶を取り戻した。感情も取り戻した。・・・何か変わった?」
結喜のその言葉に、俺は少しばかり考える。
「・・・どうだろうな・・・変わったというか・・・戻ったというか」
「でも、実際は戻ってない。何年も過去に置いて来た感情は、記憶は今に追いつかない」
俺の言葉に、結喜は少し寂しそうに話す。
顔は見えない。
でも、結喜の顔付近から白い煙が上る。
息が白くなってるのか・・・
「何か悩み事か?」
俺がそう話すと、結喜は街の風景を見るように頭を動かした。
「今回の事で変わったのはここ兄ぃだけ・・・私たちは何も変わっていない」
「・・・そうだな・・・でも、それだけだ」
そう話すと、結喜は車椅子の背もたれに頭をのせ、俺の顔を見上げる。
「本当にそう思う?」
「・・・何が言いたい?」
結喜は少し眉を歪め、そのまま話し始めた。
「変化した人間と、変化しなかった人間は、同じ場所には立てない」
結喜は冷たく、淡々とそう話した。
その冷たさは、十二月の気温より何倍も冷たく感じた。
「変化?俺のはそんなに大それたものじゃない・・・もとに戻った。変化を諦め・・・いわゆる退化だ」
「茶化さないで、わかってるくせに」
俺の言葉に、間髪入れず彼女はそう話す。
俺はその言葉にすこし眉を歪める。
そうだ。
わかっている。
人間は経験の中からでしか人に寄り添えない。
優しさだけで誰かに寄り添えるほど精巧に、繊細に作られてはいない。
だから、変化した者と、変化できなかった者は分かり合えない。
共感も、同情も、助け合いもできない。
誰かを引っ張り上げることは、できない。
「・・・そうだな」
「あっさり認めるんだね」
俺の答えが不満だったのか、結喜は少し悲しそうに吐き捨て、頭を正面に向ける。
「なら・・・ここで終わりだね」
そう言いながら、結喜はため息を漏らす。
終わり・・・
その言葉は閑散とした寒空に吸い込まれていく。
「どうして終わりなんだ?」
「いろいろあった。それはきっと、ここ兄ぃの負担になっていたと思う。もう、迷惑はかけたくない・・・感情が戻った・・・きっと色々感じると思う・・・私は、いい子じゃなかったと思うけど・・・これ以上そう思われたくない・・・記憶の中の私が、ベストであってほしい」
結喜が話した言葉に、俺は歯を食いしばる。
それは自分勝手だろ・・・そう思うと同時に、すこしばかり理解できてしまう言葉だった。
絞り出せ・・・
「そうだな・・・きっと色々感じる。こいつメンドクサイとか・・・ムカつくとか・・・きっと色々感じる。でも、それならもう関係を切ってる」
俺がそう話すと、結喜は俺を見た。
そうして、優しく笑う。
「私の学校に着いたよ」
「・・・あぁそうだな」
結喜が通う校舎を見つめ、俺は答える。
「ここ兄ぃ・・・今まで迷惑かけてごめんね・・・大変だったでしょ?」
「そんなこと・・・」
「ううん大変だったよ。でも、私はあなたに感謝してる・・・これからはさ、自分の生き方で、過ごして?」
結喜は一方的にそう話し、校舎へ進む。
「結喜!!」
俺は気が付いたら叫んでいた。
彼女はゆっくりと振り返り、泣きそうな顔で呟く。
「普通と・・・異常は一緒に居ちゃいけないよ。これ以上・・・ここ兄ぃの人生を壊したくない」
そう言って、彼女は校舎に消えた。
声をかけようと思ったが、何も言えなかった。
俺は踵を返し、心をざわつかせながら学校に向かう。
何かしただろうか?
結喜が嫌がるような事・・・
だが、何度考えても、答えは出なかった。
そんな時、泣きそうな結喜の顔を思い出す。
あれは・・・恐らく本心じゃない。
突き放そうとしているんであればもっと冷たく接したはずだ。
俺は考えながら歩みを進めた。
「心!!」
そんな時、道で声を掛けられる。
「え・・・熊懐?」
俺の名前を呼んだのは熊懐だった。
彼女は桜色の髪をなびかせ、胸を弾ませながら俺に手を振る。
「どうして居るんだ?もう遅刻だろ」
俺のその言葉に、熊懐は苦笑いをする。
「ははぁ・・・普通に寝坊!!」
そう言いながら熊懐はにっこりと満面の笑みを見せる。
「そういうこともあるか」
そう話した俺の顔を彼女は覗き込み、少し首を傾げた。
「何かあった?」
「・・・別に」
「嘘だぁ」
俺はすぐに顔をそらし、先に歩き出す。
バレるとめんどくさそうだ。
「絶対なんかあったぁ」
彼女は俺の後ろを歩きながら、そう叫んでいた。
解放・・・その言葉とは裏腹に、身体は重かった。
それから話しながら学校まで歩いた。
学校近くになり・・・
「でさー」
熊懐の終わらない話を聞きながら学校へ向かう。
「ねぇ、聞いてる?」
「あぁ?聞いてる聞いてる」
熊懐とそんなやり取りをしていると、すこし遠いところから救急車のサイレンが響く。
「こんな朝から救急隊は大変だ」
俺がそう話すと、熊懐が首を傾げ、話す。
「救急車に乗ってるのは医者じゃないの?」
「え、救急隊の人達だろ、多分」
そんな何気ない会話をしながら俺たちは歩き出す。
そうして数分・・・
校門前に人が集まっているのを見る。
「なんだろう?」
熊懐の言葉に、俺は首を振りながら見つめる。
「はい!!道開けて!!」
人込みの中からそんな声が響いた。
近くで赤い光がチカチカと反射する。
「・・・学校で何かあったのか?」
俺はそう言いながら小走りになり、何があったのかを確かめるために近づく。
「心、待ってよ!!」
そう言いながら熊懐も後に続く。
「近くの病院に電話して!!学校の責任者の方いますか!!」
救急隊の声が響く。
男性の声はよく通り、寒空に響く。
「なんかヤバそうじゃない?」
熊懐が不安そうに話した。
「救急が来てるからな、切迫した状況なんだろ・・・貧血とかで生徒が倒れたとか?」
そう言いながら人込みに近づくと、一瞬だけ赤く染まった何かが見えた。
心がキュッと締まり、全身に悪寒が走る。
関係ない・・・そうだ。俺はきっと関係ない・・・だから大丈夫だ・・・
そう言い聞かせながら、俺はゆっくり近づく。
その時、人込みの中に見覚えのあるオレンジ髪が見えた。
「・・・柳牛!!」
「・・・鳴海!?」
俺の言葉に、柳牛が振り返る。
かなり焦った表情・・・何が起きてる・・・そんなに焦ることか・・・。
「どうした、何があった?」
俺はそう話す。
この時はまだ、何もないと、そう思っていた。
いや、思いたかった。
だが、それは次の言葉で一気に崩壊する。
柳牛は眉を歪め歯を食いしばり、言うか考えた後、絞るように話した。
「屋上から・・・地神が飛んだ・・・」
「・・・は?」
一瞬で視界が狭まり、音が遠ざかる。
熊懐と柳牛の叫びは、俺の耳には入らなかった。
そうして一瞬・・・目の前にストレッチャーに乗せられた地神が横切った。
これは・・・夢だ・・・きっと・・・きっと・・・