2「それでも羨ましい」
朝の学校。
日差しが差し込み、教室を照らす。
授業参観・・・こんなことをしても意味はない。
私はそう思いながら、校庭に視線を向けた。
教室の物や、人すらも黒い粒子に侵されている。
文字も見えなければ、顔の判別さえできない。
幻覚・・・とは言うが、人の判別や物体の判別ができなくなるのはどうしてだろう・・・
幻覚とは、いわば幻・・・そこには実在しないし、実態がないはずなのだ。
なのに現実にも作用するのは一体どういうことだろう。
私はそう考えながら、机に視線を落とす。
机・・・と言っても、黒い粒子が侵食しているためか、机だったもの。と表現するのが正しいかもしれない。
授業が始まり、時間が経てば経つほど保護者の姿が見える。
私の両親は相変わらず見えない。
別に、見捨てられているわけじゃない。大事にしてくれていると感じるし、誕生日は笑って祝ってくれていた。
だから、今回来れないのはたまたまだ、仕事で忙しいのだ。
・・・まぁ見に来られても少し恥ずかしいだけで、もしかしたらいない方がいいのかもしれない。
「それにしても・・・このクラスは不思議だ」
私は誰にも聞こえないように小さく呟き、教室全体を見渡す。
最後尾・・・とまではいかないが、、かなり後ろの方に座る私の位置からは、少し顔を動かせば教室全体を見ることができた。
ではなにが不思議なのか・・・
車椅子の子・・・銀髪・・・常にイヤーマフをしている子・・・
世間一般的には『普通』とは呼べない子たちがこのクラスには多い気がする。
この間・・・銀髪の子が校門前で言い争ってたっけ・・・どのくらい前だったか覚えてないけど。
そんな時、教室の後ろの扉から知らない男性が入ってくるのを見つけた。
・・・知らない人・・・あんな人いたっけ?
いや、初対面だ。
以前会っている人なら、触れ合っている人なら黒い粒子がまとわりつく。
それがないなら、まだ会ったことない。
私はそう思いながら観察する。
でも、保護者と言うにはかなり若い・・・高校生くらいにも見える。
ただ若く見えるだけだろうか?
あぁ、誰かのお兄さんと言うこともあり得る。
そう思って私は再度教室を見渡す。
誰のお兄さんだろう・・・
そんなことを考えていると、チャイムが鳴る。
授業の終わりの号令をかけ、短い休み時間に入る。
私は机の上に出ていた教科書をカバンにしまう。
文字も見えないから、持っていても仕方がないのだが・・・出さなければ教師に怒られる。
だから、取り敢えず出している・・・が正しい。
「あ、ここ兄ぃ、来たんだ」
「来ない方が良かったか?」
そんな話し声が耳に入り、私は顔を上げ、声の正体に視線を向ける。
それは車椅子の少女と、先ほど入ってきた黒髪の青年の話声だった。
楽しそうに話す彼女たちを見る。
そうして、銀髪の少女、イヤーマフをつけた少女もそこのグループに加わった。
あのグループは何なんなのだろう。
突如、車椅子の少女が青年の脛を蹴り、痛みに青年が悶絶する。
だが、あのグループは笑っていた。それだけの冗談が許されるグループなのだ。
私はそれを見て、少し羨ましさを感じると同時に、私が持っていないものを簡単に手に入れたようにする彼らが、彼女らが妬ましかった。
私は過去に人間関係で嫌な思いをしている。
過去と言っても今もなのだが・・・
そんな私でも、その光景が、その関係が羨ましかった。
何かをしても、それがいいことで返ってくるとは限らない。
むしろ、いいことで返ってきた記憶が無い気さえする。
私の選択が間違えていたのか・・・やり方が間違えていたのか・・・今となってはわからないし、きっともうわからない。
だが、今眺めている風景が、ひどく羨ましく感じたのは事実だった。
自身が触れた筆箱を見つめる。
真っ黒く染まったそれに、私は歯を食いしばった。
痛い・・・
私が何をしたというのだろう・・・
何もしていないじゃないか・・・
敵は作らないように当たり障りのない態度を取り続けていた。
それが問題だった?ならどうすればよかった?
態度が悪ければ罰せられ、全員と仲良くしようとすれば罰せられる世界で、私はどう行動すればよかった?
なんで、あの人達は、そんな世界でもそんなに笑っていられるの?
私は一人がいい・・・、誰にも干渉せず、誰にも干渉されない世界・・・それが楽で、安全で、安心だ。
諍いなんてない・・・痛みもない・・・病むことも、悩むこともない・・・
なのになんで、こんなにもあの光景が羨ましいの?
私はそうして歯をさらに強くかみしめる。
体が震える。
見ていたくない、過去を振り返れば、どこで間違ったのかを探そうとすればするほど、自分の過去に、選択に意味を見出せなくなる。
自分のやってきたことのすべてが無駄だったんじゃないかと思ってしまう。
視界に入れないようにしなくては・・・
私はゆっくりと立ち上がる。
そうして、歩き出した。
お手洗いに行って、顔を洗おう。
少しはすっきりするはずだ。涙で滲んだ視界も次の授業までには晴れるはず・・・
後ろの扉から出れば女子トイレは近い・・・
仕方ない・・・後ろの扉から・・・
私はこのとき何を思ったのか・・・
もしかしたら感情が抑えきれなかったのかもしれない・・・
ただぽつりと無意識に漏れ出した。
「誰か・・・私を助けてよ」
その言葉だけ残して、私は教室を後にした。