3「信じる」
その日の夜・・・
私は食器を運び、テーブルに置く。
「結喜、これもそっち置いて!!」
母親の声に従いながら夕飯の支度を手伝っていた。
この日が初めて、鳴海 心という人物を詳しく知ることになる。
カチャカチャと音を立てながら、私は食器を慎重に運ぶ。
母親に渡された料理を運び、テーブルに置く。
千葉県に引っ越してきてから初の客人ということもあってか、その日の夕飯は少しばかり豪華だったのを今でも覚えている。
「今日は豪華だね、作りすぎなんじゃない?」
私がそう話すと、母親は追加の料理を運びながらにっこりと笑う。
「中学生の男の子なんでしょう?食べ盛りだし、成長期だからたくさん食べなきゃ」
そう言いながら母親は優しく笑って見せた。
その言葉と笑顔に、私は何かを言おうと口を開くが・・・
だが、言葉は紡がれなかった。
あの男の子の事をなんて言ったらいいのか・・・これから来るのに、暗い空間でお出迎えするつもりか?
そんなことを考えると、私は何も言えなくなった。
「どうしたの?」
そう話す母親の顔を見つめ、私は首を振る。
「ううん・・・何でもない」
そう話した私を、母親は不思議そうに見ていた。
そんな時、インターホンの音が耳を刺す。
私と母親はインターホンの機械に目を移した。
「来た?」
「多分きた」
母親の問いに私はそう答え、歩き出す。
そうして、インターホンの機械まで行き、応答のボタンを押した。
「はい」
「隣の鳴海です」
機械から返ってきた知っている声を聴いて、私は母親に目を向ける。
母親は眉毛をクイッと上げ、からかうようにニヤリと笑って玄関を指さした。
想い人とかではないのだが、母親は何かを勘違いしているようだ。
だが、それを毎回否定するのはめんどくさいため、私は何も言わない。
一度否定してしまえば、今後も面白がってやってくるに違いない・・・
私は小さくため息を漏らし、玄関に向かう。
そうして、ゆっくりとノブに手をかけ、扉を押した。
「来たんだね」
「来ちゃダメだったのか?だとしたら罠すぎるだろ」
そう話す心を見て、私は笑う。
人の誘いを罠と呼ぶ人間ははじめて見た。
「上がって、お母さんも楽しみにしてるから」
私のその言葉に、彼は小さく頷き、家の中に入る。
そうして靴を脱ぎ、廊下を歩いて、リビングに出た。
「いらっしゃい」
心に話しかけたのは母親だ。
完全に外向きの態度に、私は眉を歪める。
そんな私を見て、母親も眉を少しゆがめた。
「何?結喜」
「なんでもないよ」
笑った表情なのに、声が弾んでいない母親の声に、私は目をそらしながらそう答えた。
母親は彼の姿をしっかりと見つめ、小さくため息を漏らす。
そうして、優しく笑い、ゆっくりと話した。
「たくさん食べて帰ってね。遠慮はいらないから」
母親のその言葉に、彼の瞳は少し細く鋭くなったが、すぐに元に戻り、作った笑いを浮かべた。
そうして心は口を開いたが・・・その声は震えていたような感じがした。
「ありがとうございます」
そう話した心は苦しそうな表情を一瞬だけ浮かべた。
あぁ・・・この子は何も、誰も信じてないんだ・・・
この一瞬でそれが痛いほどわかった。
「席について、飲み物は何がいい?」
母親の言葉に、心は軽く頭を下げ、椅子に座る。
「お茶があれば、それでお願いします」
そう話した彼の声には少しトゲがあるようにも聞こえる。
人から・・・同じ形をした生物から・・・こんなにも複雑で多種の感情を感じることなんてなかった。
きっとこれが経験で、きっとこれが、見なくていいものだったのだ。
断ることもできたはずだ・・・なんでついて来たのだろう。
そんなに嫌なら来なければよかったじゃないか・・・
私から誘ったのに・・・無責任にそんなことを考えてしまう。
だが・・・過去の彼の動きを思い出す。
はじめは私の転倒を防いだ。
次は自身に危害を加えた人間を見逃した。
道で立ち止まっていた私に声をかけ、心配をしてくれた。
お人よしなんかじゃ片づけられない・・・異常なまでの優しさ。
私を見ても表情は変わらなかった・・・だから子供が好きというわけでもないだろう・・・
なら、特別大人が嫌いなんだ。なぜか・・・それは今の私にはわからない。
いや・・・きっと私は一生わからない。
そう考えたとき、私はすっと心が軽くなったような気がした。
悪い人じゃない・・・ただ、世界に慣れていないのだ。
ただ、人の優しさに慣れていないのだ。
今まで独りぼっちで頑張ってきたのだろうそんな人間を誰が責められるだろうか・・・
人間があんな顔をするのは初めて見た。
でも、私には優しかった、声色も、表情も何もかもが優しかった。
それだけで信用するに値する。
自分が辛いときに他人に、私に優しくしてくれたのだ、それだけでいいじゃないか。
そんな時、まるで世界を入れ替えるような甲高い音を立てながらお茶の入ったグラスがテーブルに置かれる。
彼の目には何が映っているのだろう。
彼が見ている世界はどんなものなのだろう。
知りたい・・・。
あぁ・・・私は・・・
そんな時、心は私を見て目を見開く。
まるで知らない人を見る目だ。
私は目が合った瞬間に少し恥ずかしくなり、テレビに視線を向ける。
いつもと変わらない風景だ・・・
そう考えた瞬間、テレビが一瞬だけ暗転する。
コマーシャルに切り替わるタイミングだろう・・・
だが、暗転した画面に映ったものを見て私は少し驚いた。
そこには、今まで見たことがないほど、穏やかで、優しく笑う私が映っていた。
視線をすぐに心に移す。
そうして、すべてを受け入れる。簡単だ。
「食べよう、ここ兄ぃ?」
そう話した。