1「過去には戻れない」
あれから数週間、吐く息は一段と白くなり、凍えるように冷たい風が体を撫でる。
十二月
いつも通り学校に来た俺は、いつものメンツと話をする。
「おはよう」
「お、おはよう。鳴海」
俺の言葉に天見がそう返事をした。
椅子に座りながら俺を見上げ、彼はにっこりと笑う。
「あれからどうだ?」
そう話すと、天見は無気力な笑顔を浮かべたが、その表情に迷いはないような気がした。
「まだ全然前には進めてはいないかな。でも、立ち止まってもいないよ」
そう話した天見の言葉に少しだけ安堵する。
「ならよかった。一日、数ミリでも進んでいれば前進だ。あまり気にせずに頑張れ」
「ありがとう。その言葉に救われるよ、鳴海の方の進展は?」
天見から投げかけられた質問に、俺は一瞬だけ、顔を歪めてしまう。
その変化に、彼が気が付いたかはわからない。
進展・・・そんなものはない。
記憶は、なかなか戻らない。
だが、それを話してしまうと、彼がどんな反応をするのかは大方予想ができた。
「まぁまぁかな」
何もなく、終わればいい。
俺は何事もなかったかのように、肩をすくめながらそう話した。
何も、無理をする必要はないんだが・・・さんざん協力をしてもらって、結果は何も得られませんでした・・・そう話す方が気が引ける。
「何かあったら話してくれ、できることなら協力するよ」
天見はそう話す。
もうたくさん強力をしてもらっているのに、まだ手伝おうとしているのか・・・優しい男だ。
「あぁ。その時は頼むよ」
きっとないだろうけど。
方法が・・・何かしらの手段が浮かべば協力を仰ぐかもしれないが、記憶を戻す手段が分からない。
ただ普通に過ごして、ストレスを減らせば戻るんだろうが・・・今の状況に自然と焦りが出てくる・・・
「何の話してるの?」
視界の端からそんな声が聞こえ、視線をそちらに向けると、桜色の髪をした彼女が立っていた。
「熊懐、おはよう」
「おはよう、心。で、なんの話をしていたの?」
その質問に、俺は天見を見る。
天見は俺の視線に気が付いてから、ごまかすように笑った。
その様子を見て、俺は熊懐に視線を戻す。
「別に、大した話じゃないよ」
「え、ない、その言い方。気になるんだけど」
熊懐は頬を膨らませ、そう話した。
「うぃーす。おはー鳴海、天見、熊懐」
あくびをしながらそう話して、現れたのは柳牛だ。
「おはよう、柳牛」
「なんの話?こんな朝っぱらから、教室のド端っこに集まって秘密の会議みたいな」
そう話しながら柳牛は近づいて来た。
「いや、別に大した話じゃない」
「フーン・・・で、記憶の方はどうなったんだ?何かしらの進展はあった?」
柳牛の言葉に、俺は天見の時と同じ反応を見せた。
俺が何事もなかったように振舞う姿を、彼らはただ見つめていた。
「そっか」
柳牛は心底興味がなさそうにそう話したが、言葉の端から優しさがあふれ出ている。
何かに気が付いたのか、これ以上は聞かないようにしようと思ったのかはわからない。
「そろそろ授業だな・・・」
天見がそう話すと、熊懐と柳牛は壁にかかってる時計を見た。
「確かに、お話は終わりだな」
そう言って、そそくさと柳牛は自身の席に歩いていく。
またなの言葉もないとは・・・案外たんぱくだよなあいつ。
そう思いながら俺も歩き出し、カバンを下ろして席に着いた。
それから数時間、すべての授業が終わり、俺はカバンを持って立ち上がる。
「帰るか」
小さくそう呟いて、教室から出ようとすると背後から声がかかる。
「さよならは無しか?」
その声は天見の声だった。
俺はゆっくりと振り返り、口を開く。
「どうせ明日も会うだろ」
「そういわずに一緒に帰ろうぜ」
その言葉に俺は頷く。
天見は優しく笑い、先に歩き出した。
「私も一緒に帰るー」
「俺を忘れんな?」
視界に入ってきた熊懐と、柳牛、彼らはそう言いながら俺の肩を叩き、天見の後を追った。
夕日が明るく帰路を照らす。
静かな空間、長く伸びる影・・・静かな空間に足音が響き、その中で俺は話し始めた。
「そういえばさ、天見の後継ぎの件、妹じゃダメなのか?」
そう話すと、天見は目を見開き、首を傾げた。
「確かに・・・盲点だったな。化粧品会社だと女性の意見がメインになりそうだし。母さんも何も言わないから、そんな選択肢があったのすっかり忘れてたよ。でも、それは妹の人生を賭けるから、俺からは提案しないかな」
「優しいな」
天見の言葉に俺がそう返すと、天見は小さく首を振った。
「優しくないよ。俺はあの子の兄だけど、何もあの子の人生を決める権利なんて持ってないから」
そう話して、天見はカバンを握りなおす。
「そうか・・・」
そう話した瞬間、分かれ道で天見と柳牛が立ち止まる。
「じゃ、俺たちこっちだから、また明日」
そう言いながら天見と、柳牛は小さく手を振った。
小さくなる背中を見つめ、熊懐に視線を向ける。
「・・・じゃぁ、帰るか」
「うん・・・」
そう話して、熊懐と共に歩き始める。
話題がない・・・
女子と二人きりの時はどう話せばいいんだ?
静寂に、足音が溶ける。
何もないこの空間を切り裂いたのは、熊懐の真剣な声だった。
「記憶・・・進展ないんでしょ?」
突然発せられたその言葉に俺は目を見開く。
「・・・なんで」
「気づくよ。天見と柳牛が気が付いたかは知らないけど」
そう話す熊懐。
桜色の髪が小さく揺れ、夕日が彼女の顔を赤く染める。
「もっと早く、行動してれば過去は変わったと思う?」
熊懐はそんなことを話し始めた。
「・・・なんだって?」
「全部の事においてだよ・・・私は・・・その・・・心が好きだし・・・?」
照れているのか、熊懐はそう話しながら徐々に顔をそらす。
「どうだろうな・・・結果は変わるかもしれないな・・・でも、起きたことはしかたがない」
「心は強いね・・・感情を失って、次は記憶で、それでも過去を振り返らずに前を向けるんだ・・・?」
熊懐が話したその言葉に、俺は少し考え、ため息を漏らした。
「振り返らずっていうか・・・振り返る記憶がないけどな」
笑いながらそう話すと、熊懐は少し申し訳なさそうな表情を見せた。
「私は・・・諦めた方がいい?」
「何を?」
そう話すと、熊懐は黙ってしまう。
その姿を見て、俺は彼女が言いたいことを理解する。
諦める・・・いや、諦める理由を他人にゆだねるのはよくない・・・
「例えば、過去に戻って未来を変えられるとしたら・・・戻るか?」
「・・・多分・・・?」
「なら、過去に戻っても、何も変えられないとしたら?」
その言葉に、熊懐は黙り、俺を見つめる。
「・・・心ならどうする?」
「俺なら・・・それでも戻ると思う。過去にしかない思い出もあるからな・・・おそらくだが・・・」
熊懐の質問にそう答得ると、彼女は小さく頷いた。
「強いね・・・意味がないことをできるんだ・・・」
「意味があるかどうかじゃない・・・変えられない未来なら、きっとそれが正解の道なんだ。世界の修正力ってやつだよ・・・でも、何も変えられないからと言って、何もやらない理由にはならない」
「それってどういう・・・」
「賭けてみる価値はあるかもって話だ」
その言葉に熊懐は目を見開く。
「なるほど・・・」
そう話した熊懐は立ち止まる。
少し歩いたとき、横に熊懐がいないことに気が付いて、俺は振り返った。
「熊懐?」
「なら、私は、心の事が嫌いになるまで、大好きでいるね?」
その言葉に、俺は目を瞬かせる。
彼女の顔は夕日で赤く染まる、きっと・・・夕日の赤さだ。
「・・・好きにしろ」
俺は少し笑いながらまた歩き出す。
直後、熊懐は小走りで隣に並んだ。
過去には戻れない・・・
過去に戻って何かを変えられるという保証はない・・・
だからこそ、今を生き、未来を生きるんだ。
きっと、俺の記憶は未来にある。