1「降りた鎖」
ガヤガヤと騒がしい学校。
窓から太陽の光が差し込み、教室を眩しく照らす。
「おはよう、鳴海」
そう話したのは天見だった。
彼は優しく笑いながらそう話す、逆光で浮き出る表情は、少し寂しさを醸し出しているような気がした。
「おっは、心」
そう言いながら視界に現れたのは熊懐だ。
大きな双丘を揺らしながら挨拶をする。
髪を耳にかけ、桜色の瞳が顔を見つめた。
「おはよう、天見、熊懐」
俺はそう話しながら昨日のことを思い出す。
あれから俺たちはまっすぐ帰った。
柳牛の事もあったからか、楽しく団らんで帰る気分にはなれなかった。
終始無言・・・とまではいかないが、全員がお互いに気を遣い、距離を探りながら話している間に家についていたというオチだ。
昨日の思い出に浸っていると、天見の視線が俺の後方に向く。
熊懐も少し気まずそうに俺の後方に目を向けた。
俺はその視線が気になり、振り返る。
視界に飛び込んできたのは、柳牛の姿だった。
俺はしっかりと柳牛を見つめる。
「来たんだな、逃げたと思った」
俺がそう話すと、柳牛がニヤリと笑った。
「うるせぇよ」
そう言いながら俺の横を通り過ぎ、天見の前に立つ。
「おはよう、天見」
「あ、あぁ・・・おはよう・・・柳牛」
その声は少し震えていて、恐怖を感じているような気がした。
「記憶はどうだ?」
俺の質問に、柳牛はこちらを見る。
「・・・不思議な気分だ」
「そりゃな・・・今までなかった自分が表に出てきてるんだ・・・もう過去にとらわれない、柳牛 忠刻がな」
そう話すと、柳牛は肩をすくめた。
「感謝してるよ、時間はかかるだろうが・・・母さんの頼みだからな、何とかする」
「そうしろ。思い込みで人は変わる・・・お前がマシになれば、父親も少しは気が楽になるはずだ」
そう話すと、柳牛は頷いた。
「天見と、熊懐もありがとな・・・」
そう言いながら柳牛は二人を見る。
「そういえば・・・」
そう言いながら柳牛は俺に視線を向けた。
「あの女の子たちは誰だったの?」
柳牛はそう話した。
あの女の子・・・おそらく結喜たちの事だろう。
詳しく話す理由もないな・・・虐待とは違ったわけで、癒怒の力も必要なかった。
「幼馴染と、その知り合いだ」
俺はそう話すと、柳牛はふーんと答えて頷いた。
興味ないなら聞くなよ。
そう思いながら俺は小さくため息を漏らす。
「まぁ、頑張れ。としか言えん、何かあるなら協力するが、心を変えるのは結局は自分自信でしか出来ない」
俺がそう話すと、柳牛は頷いた。
チャイムがなり、全員が席に着く。
授業が始まる。
何もなく、ただ暇な時間。
眠くなり、教師が話す授業の内容なんて耳に入らない、日差し、夕日、匂い、全てが心地よく、眠気に襲われる。
平和、これがずっと続けばいい。
何も問題なんて起きない、誰も傷つかない、そんな世界が出来れば、きっと苦労はしないのだ。
だが・・・苦労のない人生を『生きた』と胸を張って言える自信がない。
悩むのは、我々の・・・人間の特権なのだ。
瞬間、授業中の静かな教室に扉が勢いよく開く音が飛び込んだ。
授業が止まり、クラスメイト全員が扉を見ると担任、地神 絵梨が息を切らしながら立っていた。
「天見くん、ご両親がお迎えに来ています、すぐに帰宅の準備を」
そう話す地神。
俺は天見に視線を移した。
「天見」
俺が名前を呼ぶと伏せていた視線をあげ、俺を見る。
そして、優しく悲しそうに笑った。
違和感・・・
こいつは、天見は、こんなふうに笑わない。
いつも悲しそうに笑うことはあった、でも、その瞳の奥にはいつも愛情や友情があった。
おかしい。
こんなふうに、悲しみしか含まない瞳で笑ったりしない。
ドクンと強く心臓が脈を打つ。
今だ、今なんだ。
「あ、天見・・・」
俺が彼の名を呼ぶと、柳牛と熊懐が心配そうな表情でこちらを見つめる。
俺は横を通ろうとする彼の腕を掴む。
「天見くん、早く」
地神の声がより一層響いた気がした。
「鳴海、ありがとう。俺は大丈夫だ」
天見がそんなことを呟いた。
俺を見つめる瞳は先程とは違う、優しさに満ち溢れていた。
彼の赤い髪が夕日に透かされる。
「でも・・・」
俺は何も言えなかった。
違和感はわかっている。だが、言葉にできない。
天見、知ってるか?
大丈夫なやつは、そんな顔で笑わない。
知ってるか?
大丈夫なやつは、そんな優しい瞳で大丈夫って言わない。
腕が手から抜け、天見の背中が小さくなる。
ガララっと扉が閉まる音が響き、心を締め付ける。
俺はそれに拳を握り、歯を食いしばった。