3「知る者」
教師の授業・・・
俺はまじめに受けているつもりだったが、正直熊懐の事が気になってそれどころじゃなかった。
「・・・一体何なんだ・・・」
俺はそう呟きながら熊懐の座る斜め前の席を見る。
桜色の髪は、黒髪が多いこの教室ではよく目立っていた。
天見は赤髪、柳牛は赤茶・・・ていうかくすんだオレンジみたいな色をしている。
この学校は髪の色には意外と寛容だったりするんだろうか。
そんなことを考えながら熊懐を見ていると、彼女は振り返り目が合う。
直後、熊懐は頬を赤らめて視線をそらした。
・・・なんだろうこの感じ・・・
勘違いしてしまいそうだ。
そうしていくつかの授業が終わり、昼食の時間が続く。
俺は授業中なのにも関わらず、スマホを取り出し天見の連絡先を開く。
・・・いつ交換したのだろう。
気が付いたら入っていた連絡先だ。
(ちょっといいか?)
俺がそう送ると、案外早く既読の文字が現れる。
直後に天見の方を見ると、彼はこちらを向いて怪訝そうな顔をしていた。
(どうした?)
(頼みたいことがある)
俺の言葉に天見はハテナマークを浮かべる柴犬のスタンプを送ってきた。
あいつ・・・こんなスタンプ使うのか・・・意外だな。
(できることならやるよ)
(昼休みに話したいことがある。天見は柳牛を、俺は熊懐を誘う・・・頼めるか?)
その言葉に敬礼をした柴犬のスタンプが送られてきた。
それで俺はスマホをポケットに押し込む。
その数分後・・・
チャイムが響いた。
授業終了の合図とともに俺は立ち上がり、熊懐のもとに向かう。
同年代の女子に近づくのは何年ぶりだろう・・・
少し緊張するな・・・
そう感じながら歩き、桜色の髪をした女子の背中が近くなる。
そうして・・・
「熊懐」
俺の呼ぶ声に、熊懐はものすごい勢いで振り向いた。
まるで、想像もしていなかった人物から声をかけられたようだった。
「・・・何?」
「飯の前にちょっと話したい事がある。いいか?」
そう話すと、熊懐は綺麗な髪を揺らしながら周りを見た。
「・・・話って?」
「ここじゃできない、場所を移そう」
そう言って先に歩き出す。
足音は一つ・・・振り返ると、熊懐はまだ椅子に座っていた。
ひどく困惑している様子だった。
「熊懐・・・?」
俺が眉を歪めながら名前を呼ぶと、熊懐は顔を赤らめた。
「わかったわよ!!」
そう言って熊懐は立ち上がり、後をついてくる。
そうして、廊下で待っていた天見と合流する。
「・・・来たか・・・」
そう話す天見を見て、柳牛と熊懐は首をかしげる。
「・・・天見、どこか人が来なさそうな場所はあるか?」
「校内で?きついこと言うね・・・ま・・・ないことはないだろうけど」
そう言いながら天見は考える。
そうして・・・少し考えた後に天見は廊下を見た。
「・・・ここでいいんじゃない?」
そう話す天見に釣られるように俺は廊下を見ると、誰もいなかった。
「・・・そうか・・・昼食は教室か食堂・・・だから今は廊下に誰もいないのか・・・」
それは盲点だった。
灯台下暗しとはこういうことか。
「・・・ならここでいいか」
俺はそう呟く。
まだ状況を読み込めていない柳牛と熊懐は俺と天見を交互に見るしかできない。
「で、鳴海?何の話をするんだ?」
天見はそう話す。
そうだ。天見にも話していなかった。
「・・・天見。この二人には話していいと思う」
その言葉を聞いて、天見は首をかしげる。
初めはわからなかったみたいだが、徐々に俺の意図に気づき顔色を変える。
「・・・本当に言ってるのか?」
「まじだ・・・」
その言葉に天見の表情が険しくなる。
「もちろん、鳴海の事だ。最終決定権は鳴海にあって、それは俺が覆せるような、覆していいような話じゃない・・・でも、まだ何もわからない状態で・・・」
そう話す天見の意見に俺は頷き、口を開く。
「そうだ。まだ早い、最初は俺もそう思ったが、情報があまりにも少ない、情報量を増やすと言う意味でも協力を仰ぐのは悪い作戦ではないと考えるんだが・・・」
その言葉に天見はうなる。
自身の事ではなのに、ここまで真剣に考えるのは意外だった。
「それでやりやすくなるなら・・・いいと思う。もとより鳴海の事だ。俺は意見することはあっても、それを押しとおす権限はない」
そう言って天見は俺を見つめて頷く。
「ならいいな?」
「あぁ。任せる」
俺と天見に会話に、柳牛と熊懐は首を傾げ、熊懐は特に興味がありそうだった。
体を前のめりにし、双丘が揺れる。
大きすぎず、小さすぎない・・・いや、少し大きいか?くらいの胸が視界で揺れた。
「なになに?」
興味深々に聞く熊懐・・・記憶の事を知ったらどんな表情をするのか・・・いや、意外にも何もなくあっさりとした反応で終わるかもしれない。
「これから話すのは誰にも話さないでくれ、先生にも・・・誰にも・・・」
そう話す俺の顔を見て、何かを悟った柳牛は背筋を伸ばした。
「それは大事なんだな?鳴海にとって・・・」
柳牛はキリッとしたまなざしで俺を見つめる。
そこには何の疑いもなく、ただ、すべてを信じると宣言しているような瞳が光っていた。
「・・・何かわからないけど・・・わかった」
熊懐はにっこりと笑いながら話す。
状況が理解できないのか・・・そう思ったがそうではない。
表情がほんの少しだけ強張り、瞳の奥には不安の色が顔を覗かせる。
それでもきっと、覚悟を決めたんだ・・・俺はそう受けとった。
「俺は・・・」
静寂が流れる。
これは言っても大丈夫か・・・
信用して大丈夫か・・・
頼っていいのか・・・
俺は今・・・初めて会った人たちに秘密を明かそうとしている。
それは負担を、重荷背負わせることを強いているのと同じ行為だ・・・
やはりやめるべきか?
そんな感情が渦巻く。
でも諦めきれない・・・柳牛はともかく・・・熊懐と話した時の感覚。
もちろん記憶はないし、断言はできないが・・・彼女は過去の俺を知っている。
そうでないと、他人が見たことない行動を俺にするはずがない・・・
これは身勝手な賭けで、憶測で、根拠のない想像だ。妄想の域は出ないが・・・この可能性を俺は・・・こいつらの事を俺は・・・信じたい。
そんな時、自然と口から出た。
それは軽く、引っ掛かりのない流暢な言葉だ。
「高校入学後の記憶がないんだ」
その言葉に柳牛と熊懐は目を見開く。
「・・・は?」
柳牛はそう呟いた。
直後に天見を睨む。
「天見は知ってたのか?」
「・・・知ってた」
その言葉に柳牛は歯を鳴らした。
「なんで言わなかったんだよ。そんな大事なこと」
「記憶を失う前でも、接点はあまりなかった。それに大事だからこそ話せなかった」
その言葉に何かを話そうとした柳牛だったが、一度飲み込み、話し始めた。
その言葉とはおそらく・・・言おうとした言葉とは遠くかけ離れた何かなのだ。
「・・・どのくらい記憶がないんだ?」
柳牛の言葉に俺はゆっくり答える。
「全部だ・・・入学式から・・・お前らと会ったのも・・・今日が初めてだ・・・」
そう言いながら俺は歯を食いしばる。
正直、賭けなんだ。初めからな・・・
だから、もし柳牛と熊懐が俺から離れても仕方がないと思っている。
その場合・・・俺は賭けに負けたことになるが・・・
「だから・・・」
続けようと俺が話そうとした瞬間・・・視界に入ってきたのは驚くものだった。
それは桜色の髪をした少女、熊懐の泣き顔だった。
「・・・熊懐?」
俺の言葉に熊懐は涙を拭く。
「あ、あれ?おかしいな・・・鳴海の方が辛いはずなのに・・・」
そういいながら止まらない涙を拭き続ける。
「なんで泣いてるんだよ?」
俺は焦り、熊懐に声をかける。
「そんなの・・・決まってるじゃん」
そう言いながら熊懐は涙を拭き続ける。
寝れた頬に桜色の髪が張り付き、浅くなった呼吸は肩を見れば簡単に理解できた。
「大好きだったから・・・」
涙で濡れてきらりと光る桜色の瞳が、俺をしっかりと見つめる。
「・・・なんで」
「なんで・・・?それも覚えてないんだね・・・」
そう言いながら乾いた声で熊懐は笑う。
まったくだ。
記憶がないどころか、一度も話したことすらないと思っていた。
「熊懐、おちつけ」
そう言いながら天見は熊懐の背中を撫でる。
それで落ち着いて来たのか、熊懐は深呼吸をして俺をみつめた。
「記憶は戻るの?」
「わからない・・・でも、戻すために力を貸してほしい」
そう話すと、柳牛も熊懐も即答で頷いた。
「何からすればいい?」
乾き、震えた声で話す熊懐・・・
その瞳は覚悟が決まったものだった。
「まずは情報が欲しい」
「情報?」
俺の言葉に柳牛が首をかしげる。
「そうだ。情報が欲しい・・・俺の知らない過去について、俺がどんな人間だったのか・・・何をしてたのか・・・そこら辺の情報が欲しい」
「それなら・・・たくさんあるよ・・・私は鳴海をずっと見てきたから」
そう話す熊懐。
涙はとっくに止まっていて、すっきりした顔だった。
「よかった。きっと記憶は大事なんだ。でも、俺だけじゃ暗い海の中から、何度も俺を呼んで鳴り響く記憶を引っ張り出せない。だから、頼む」
その言葉に柳牛と熊懐は頷く。
「でも、条件がある」
柳牛と熊懐はほぼ同時にそう話す。
「条件?」
「ああ、まず俺から。記憶が戻ってもこの関係は続く。俺たちは友達だ、それだけは破綻しない・・・いいな?」
にやりと笑いながら柳牛は話した。
「わかった。約束する」
俺はそう話して、柳牛を見た。
「じゃあ私からは・・・」
そう話す熊懐。
「まず・・・鳴海じゃなくて心って呼ばせて」
「いいよ」
俺の返事に熊懐はガッツポーズをする。
「それと、終わったら付き合って」
「・・・それは約束しかねるな・・・」
その返事に熊懐は肩を落とす。
「だよねぇ・・・初対面で告白もあれかぁ」
「熊なのに狂暴じゃないんだなぁ?」
落胆している熊懐をからかうように柳牛は言った。
「熊だって懐けば優しいし甘えますぅ~」
「まったく、あの熊はどこにいったんだか」
熊懐の言葉に柳牛はそう返した。
その光景は、俺が求めていたものとは違ったかもしれない・・・でも、やっぱり選択は間違っていなかった。
きっとこの人たちなら・・・天見と、柳牛と、熊懐なら信じていいんだと。
不安の中でもそう思えた。