5「認識できない現実」
ただ、その場に立ち尽くして彼女たちの話を聞く。
俺には無い記憶・・・
俺は知らない話・・・
何をしていたのか、何を目指していたのかすらわからない。
何を手に入れ、何を失ったのかさえ覚えていない。
でも、たった一つ。
これはずっと変わらない。
きっと、記憶の消す以前の俺の時から変わらない、彼女たちは・・・結喜、癒怒、哀歌、楽の事を大切だと思う気持ち。
こんなに胸が締め付けられるのは、おそらく過去の俺が今の状況を否定しているからだと、そう思った。
過去から今・・・大切なものがあると、取り戻すべきもの、拾わなくてはいけないもの、愛すべきものがあると、心が語り掛けてくるような感じがした。
俺は少しの深呼吸をして、覚悟を決める。
そうして一歩踏み出し、結喜達の前に体を出す。
「・・・戻った」
俺の声に全員の視線が集中する。
「・・・聞いた?」
「何が?」
結喜の言葉にそう返す。
聞いた?という質問に対して、聞いてないと返すと演技っぽいからな。「何が?」と返すのが一番だ。
「なんでもない」
結喜はそう話す。
何でもない、というならそれ以上は踏み込まない。
まぁ、ここで食い下がると本当に知りたがっているようにも見えるが・・・今はいい。
「これからどうしようか?」
楽が頭に両手をのせながらそう話す。
だが誰も答えない・・・それは先ほどの話の党利、選択肢が少なく、まだ完全に決め切れていないのが原因だ。
だが、かけらを集めるという方針は決まっているなら、俺が出す答えは一つ。
自然に、バレないように、そして本当に望んでるように・・・
「海浜公園・・・机の上に写真があった。あれ、東京の海浜公園だろ?海沿いの・・・何回も行ってるから知ってる。あそこに行ってみたい、電車とバスで2時間くらいだろ」
俺の言葉に彼女たちは顔を見合わせる。
発言の内容には気を付けた・・・
言い方や表情管理も気を付けた。
おそらくバレてはない。
「・・・ここ兄ぃさっきの話やっぱり聞いてた?」
結喜にそう言われ、心臓がドクンと高鳴る。
だがこんな時は何も言わないのが正解、何かを話そうとすれば誤魔化そうとしている様にも見えてしまう。
こんな時に取る行動は一つ。
無言で首をかしげること。これだけだ。
たったこれだけで、状況が理解できてない奴を演じることができる。
俺は今まで、それで生きてきた。
「・・・知らないならいいんだ」
「・・・そうか?ま、そのうち教えてくれ」
俺はそう返した。
「なら行こうぜ・・・今から行ったらあまりいいとこ見れないかもしれないが、これ以上遅れると暗くなる」
そう言いながら俺は先に玄関に向かう。
そこで足が止まり、リビングに戻る。
「哀歌を忘れた」
そう言って哀歌の手を引いて再度玄関に向かう。
両手がふさげるとこんなに歩きにくいもんなのかそう思いながらゆっくりと玄関に向かう。
「靴は履けるのか?」
「はい、出しといてもらえれば自分でできます」
慣れか・・・よくできた子だ。
「了解、じゃあ俺はっと」
俺はそう言いながら下駄箱の上に置いてあるファイルを手に取る。
それは完全に無意識で、気が付いたときには持っていた。
俺はそれを見つめながら首をかしげる。
「・・・なんだこれ?」
俺はそう呟きながらファイルのチャックを開ける。
そこには一冊の何かが入っていた。
「・・・?」
俺はそれを取り出し、表に刻まれている文字を見た。
「・・・身体障害者手帳・・・」
そう書かれている一冊の手帳を開き、名前を確認する。
そこにはよく知る人物、犬神 結喜の名前が書かれていた。
「・・・結喜の・・・」
この用途は知っている。
使い方も分かる。
よくネットで見るしな・・・
でもこれを無意識に手に取ったということは、過去の俺はこれを日常的に持ち歩いていたというわけだ。
記憶は完全にない、なのに体が覚えているというのは結構不思議なものだ。
気持ち悪さまで覚えてしまう。
でも、なんで一冊しかないのだろう。
哀歌も盲目なら待っていてもおかしくないはずだ。
「哀歌は手帳とかないのか?」
俺の言葉に、哀歌は靴を履く手を止めて見上げる。
「ありますよ。カバンに入っています。いつもは渡してたんですが・・・」
「なら俺が持つから出してくれ」
そう話すと、哀歌はカバンの小さなポケットを開け、手帳を取り出した。
「お願いします」
「お願いされます」
そう話しながら手帳を受け取り、俺はファイルにしまう。
「よし立て・・・」
そう言いながら哀歌の手を引いて体を支える。
ふわりと甘い香りがして心臓が高鳴るのを感じた。
「じゃあ行くか・・・」
その言葉の直後、リビングから結喜と癒怒、それと楽が出てくる。
あ、完全に忘れてた。
「行くぞぉー」
そう話すと、彼女たちは少し小走りになる。
「準備できたら出るから、外でまってて」
そう話す結喜の声に、適当に返事をして玄関を出る。
もちろん哀歌も一緒だ。
傾き始めた日の光が顔を照らす。
眩しさに顔を目を細めた。
「・・・さむい」
自然と漏れたそんな呟きは綺麗なそれに吸い込まれていった。