3「最初から」
視点は退院した鳴海 心に切り替わる・・・
昼頃。
太陽が強く照らす時間に病院を出る。
11月・・・
おかしい。
高校の入学はまだだったはずなのだが、記憶がない。
医師は解離性健忘の症状と言っていたが・・・
だとすると俺はすでに高校に入っているのか?
自動ドアをくぐり、外の空気を浴びる。
もう冬が近いためか肌寒い。
そうして俺は目の前の光景に首を傾げた。
「やっほここ兄ぃ」
そう話すのは車椅子に座った黒髪の少女・・・犬神 結喜だ。
彼女がなぜ車椅子に座っているのかはわからない。
俺が知らない間に何かあったのだろうか・・・それとも、俺の記憶と何か関係があるのか。
「よ、結喜」
結喜のあいさつにしっかりと返事をする。
前回・・・友達を連れて何人かで面会に来たのを覚えている。
その時に足の事は話されなかった。
言いたくないことは誰にでもある、だから聞かないでおこう。
「たっだいま~!あ~寒い!!」
そう言いながら両手にコンビニの袋を持って現れたのはイヤーマフをつけた青髪の少女・・・名前は確か・・・兎静 楽。
「あ、心君」
楽は俺を見つけるなり名前を呼ぶ。
面会にいた子・・・こんなこと知り合った覚えはないのだが、この子は俺を知っている。
なら、過去に合っているのだろう。
「兎静さん・・・鳳山さんもいるんですからもっとゆっくり・・・」
そう話しながらあらわれたのは金髪の少女と、銀髪の少女だ。
この子たちも面会に・・・
そうだ・・・猫凪 癒怒と鳳山 哀歌だ。
我ながらすごい記憶力・・・
と言いたいところだが・・・なぜか懐かしい気がする。
きっとこの感覚は、この子たちは俺にとって大事な人間だったということを表しているのかもしれない。
「え?心さんいるんですか?」
哀歌がそう話す。
「いるよ、哀歌」
俺はそう答えた。
初対面・・・ではないのだが、会って間もない少女を名前で呼ぶのは少し気持ち悪いな。
でも、そう思っていたのに、勝手に口がうごいた。
記憶をなくす前にそう呼んでいた証拠だろう。
俺・・・少女を名前で呼ぶような人間になっていたのか・・・
それよりも意外なことが一つ・・・
俺自身、案外この状況に焦っていないことが不思議だ。
記憶がないのはもっと焦るかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
それとも、単純に俺がおかしいのか・・・
そう考えていると、結喜が口を開く。
「これからどうする?ここ兄ぃ?」
「とりあえず帰るかな」
俺はそう話しながら歩き出す。
そうして歩き出した途端、誰かに袖を引かれた。
「鳴海さん、待ってください」
「・・・何?」
「犬神さんの車椅子を押してください」
癒怒が言ったその言葉に結喜は目を見開く。
「いや、病み上がり・・・」
「だからです」
結喜が話そうとした言葉を遮り、癒怒は話す。
「記憶を失くして1週間弱・・・鳴海さんはこの数か月間ずっと車椅子を押していました。今までどうりの行動をすれば何か思い出せるかもしれません」
そう話す癒怒の表情は真剣だ。
何も言えない・・・
でもその意見には納得がいった。
確かに失くして間もないなら、結構あっさりと返ってくるかもしれない。
「わかった、やってみよう」
そうして俺は結喜の座る車椅子の持ち手を握る。
知らない感触なのに、すべてを知っているような・・・
妙に馴染む感触が気持ち悪い・・・
「よし、帰ろう」
そう言って歩き始める。
哀歌の事は癒怒と楽がどうにかしてくれる。
そうして歩き続けて家に着く。
結喜が俺の家に入り、俺は車椅子をたたむ。
そうしてあっさりと家の中に押し込む。
「・・・体が勝手に動く」
俺はそう呟きながら自身の両手を見る。
身体が覚えているなんて言うが、これはかなり恐怖を感じる。
何かに操られているような、頭の中は空っぽなのに、まるで全部を知っているかのように勝手に動く体に焦りを覚えてしまう。
「変な感覚だ」
「鳴海さん、鳳山さんをお願いします」
そういって癒怒から銀髪の少女を渡される。
あまりの綺麗さと、ふわりと香る甘い匂いに心臓が高鳴るが、それをグッとおさえて口を開いた。
「結喜は?」
「犬神さんは大丈夫です。義足ですし、支えがあれば自分で歩けます」
癒怒が言ったその言葉に俺は結喜を見る。
「義足!?」
知らなかった。
外では靴を履いているし、足首まである丈の長い服を身に着けていたから見えなかった。
でもなんで義足・・・
考えうるのは足の切断・・・病気か何かだろうか?
瞬間・・・
クラクションのような音が響き、俺は振り返る。
「鳴海さん?」
「心さん?」
「心君?」
癒怒たちが俺の顔を見て首をかしげる。
「どうかしましたか?」
「あ・・・いや、何でもない」
俺はそう言って哀歌の手を引く。
リビングに着くと、見慣れた風景が広がっていた。
「家だ・・・帰ってきたんだな」
見慣れた風景、知っている匂い。
そしてどこか懐かしい雰囲気、記憶がなくなったのなんか忘れてしまうほど落ち着く空間だ。
「・・・とりあえず着替えてくるわ」
俺はそう言って哀歌をソファに座らせ、自室に行く。
俺の記憶がないから覚えてないが、もしかしたら何か変わっているかもしれない・・・
そんな恐怖の中恐る恐る扉を開けた。
「・・・何も変わってないか?」
最初はそう思ったがよく見ると変わっていることもある。
壁にかかってある知らない洋服。
「・・・制服か?」
俺はそれを撫で、首をかしげる。
「そうか、高校の・・・俺、本当に高校生になってたんだ」
静かな空間、思考を邪魔するものは何もない・・・
俺は制服を取り、袖を通す。
しっかりとボタンを閉め、近くにあった小さな鏡を見る。
そこに映っているのは知らない自分。
入学式をした記憶なんかないのに、制服を着ている。
「・・・何も思い出せない」
心拍は上がりもやもやと何かが胸に引っ掛かる。
でも、何も思い出せない・・・
よく創作物の表現では霧や靄がかかったようになるなんて言うがそんなのはない・・・
真っ黒、真っ暗・・・そこには何もなかったかのように、喪失感と、少しの沈黙があるだけだった。
「・・・まったく、こんなにわからないものか・・・」
俺はそう言いながら机を見る。
「ん?」
その上には俺の知らないものが置いてあった。
「・・・写真なんて飾ってたっけ」
俺はそれを手に取って見る。
そこには俺と同じ制服を着た連中と、結喜達が映っている。
この背景は知っている。
東京の方の海浜公園だ・・・大きな水族館がある公園。
俺の手を握る楽は少し顔が赤くなっている。
哀歌も俺の手につかまっていた。
「・・・大丈夫?」
そんな声が聞こえ、俺は振り返る。
そこには楽が立っていた。
「・・・どうした?」
「もう結構時間が経ってるから大丈夫か見に来た」
そう話す楽は俺が持つ写真を見る。
「それ・・・現像して渡しておいた写真だ」
「そうなのか?」
俺は楽にそう言った。
「そうだよ?それね、学校の行事で中高の合同学習だったんだよ。そこで私は心君と出会った」
優しく笑いながら話す楽に俺は何も言えなかった。
「私が発作を起こした時はすぐに助けてくれて、迷子になったときはすぐに見つけてくれた。嬉しかったんだ」
発作・・・
迷子・・・
何も覚えてない。
「最後はその写真・・・サラリーマンの男性に撮ってもらったんだよ?1+1は2って変な掛け声でさ、最初は戸惑っちゃった」
「・・・そうか・・・」
俺は写真に目を落とし、よく見る。
記憶にない現実。
そこにあったのかさえ不明な光景・・・
「ちゃんと向き合ってくれた人なんて・・・初めてだったから・・・」
震える楽の声に俺は顔を上げる。
「私・・・好きになったんだよ・・・?」
「・・・楽」
大粒の涙が床に落ちてはじける。
それは儚く弱弱しい・・・
「本当に覚えてないの・・・?」
ポロポロと泣き出してしまう楽を見つめ、俺は唾をのむ。
その光景は俺の心を締め付けた。
俺の視界も涙でかすむ。
「・・・すまん」
そう言うことしかできなかった。
写真を何度見ても何も浮かばない・・・
ヒント一つ浮かばない
でも、楽にとってはこれはすごく大事な思い出だと知ってしまった。
鼻をすする音。
楽は涙を拭き、鼻をこする。
「・・・先にリビングに戻ってる・・・落ち着いたら心君も来てね」
そう言って楽はゆっくりと姿を消す。
流れる静寂。
俺はベッドに腰を下ろし、ため息を漏らす。
再度写真を見るがやはり何も変わらない・・・
「・・・すまん」
呟かれた力のない言葉は静寂に吸い込まれた。