3「追求する理由」
冷たい水が手にあたる。
映画を見終わってから少し遊び、今は片付けタイムというわけだ。
映画鑑賞に利用したお菓子の皿や、グラスなどを洗っている。
「・・・冷たいな・・・」
俺は無意識のうちにそう呟いていた。
結喜達は話している。
先ほどの映画がどんなところが良かったのか、お互いの共通点を探すのに必死になっている様子だ。
もちろん手伝ってくれないことは不満には思わない。
彼女たちが行ってる話し合いも、大事な経験になることを俺は知っている。
俺はシンクの中に視線を落とした。
皿とグラスが多い。
家に誰かを呼ぶことはあったが、こんなに量が多いのは何年ぶりだろうか・・・
記憶にある限りではないような気がした。
そんな時、視界に小さな手がヌルっとあられた。
「私も手伝いますよ」
そう話しながら現れたのは、幻覚を持つ金髪の少女、癒怒だ。
「・・・ありがたいが、あいつらと話さなくていいのか?」
手伝う。
そう話した癒怒の言葉は否定せずに、俺は質問を投げかける。
その言葉に癒怒は小さくため息を漏らした。
「どうした?」
「私はあんまり人と関わってきてないんです。なので、いろんな感情を一度にぶつけられるのに慣れていなくて・・・」
「だから疲れて逃げてきたと」
そう話すと癒怒はゆっくりと頷いた。
癒怒は今まで怒りか、憎悪くらいとしか相対していない・・・喜びや、楽しさなど、結喜達の話す感情に疲れてしまったのだ。
「ならいいや、手伝ってくれ」
俺は快く受け入れ、少し左にずれる。
「すいません、荒らしたのは私たちなのに後片づけをお任せしてしまって」
そう言いながら、癒怒はグラスを一つ手に取る。
直後、眉間に皺を寄せた。
「・・・見えてるんだな」
「・・・・まぁ、はい」
今、癒怒が持つグラスはおそらく真っ黒になっている。
俺から見ると、白い泡がたくさんついた普通のグラスなのだが、癒怒はそうじゃないらしい。
「きつかったらやめてもいいんだぞ?」
俺の言葉に癒怒は首を振る。
「大丈夫です。鳴海さんが触れば元に戻るのを知っているので、私も克服しなければいけませんし」
そう言いながら洗い物の続きを行う。
癒怒はそう言っているが食器を握る手には力が入っているのがよくわかる。
「そういうのは詳しくわからないんだが、幻覚は治ったりするのか?」
そう言いながら癒怒が洗った食器をタオルで拭きながら話す。
その重く、デリカシーのかけた質問に以外にも癒怒はあっさりと答えた。
「どうですかね。心因性なんで、トラウマを克服することや、心の中身を完全に入れ替えればできるかもしれません」
食器を洗いながらこちらに視線を向けずに癒怒は話す。
「案外簡単に言うんだな」
そう話す俺の言葉に癒怒は返す。
「簡単ですよ。克服しようと思うってことは、それを望んでるってことです・・・少なくとも」
この言葉の直後、癒怒は俺に視線を移して瞳の奥をのぞき込むように見つめる。
その瞳はどこか、狂気に満ちているような感じがした。
「『諦めるよりは簡単です』」
そう言った癒怒の声は少し低く、雰囲気がいつもと違う気がした。
「なら私も聞いていいですか?」
その言葉に俺は頷く。
「感情を取り戻そうとするのは何でですか?」
俺はその言葉に首をかしげる。
「それはあった方が話しやすいからだろ。人と関係を結ぶのは感情ありきだ。それはおまえ等だって望んだはずだ」
そう話すと、癒怒は俺から視線を外して、食器を洗いながら口を開いた。
「それにしても、急いでいる感じがします。人生は長いのに、すぐに死ぬわけじゃないのに、鳴海さんはなぜか急いで、焦っている感じがするんです。意味がないならやらない、ほかに手段はないのか、効率的な方法はないのか、感情を取り戻す話でも、何回かそんなことを言っているのが引っ掛かってます。なぜですか?」
そう話す癒怒は真剣だ。
視線こそ俺には向いていないが、耳だけは一言一句聞き漏らさないと、そんな気がした。
俺はその状態の癒怒をみてため息を漏らす。
この子たちは何でそんなに観察眼が優れているのか。
ここまでくると超能力の一種を疑ってしまうかもしれない。
だからこそ知っている。
彼女らに・・・結喜達に嘘は通じないと。
だから話す。
「結喜のためだ」
「犬神さんのため?」
俺の言葉に癒怒は俺を見る。
「あぁ、結喜は俺が感情を亡くした理由が自分にあると思ってるはずだ。その誤解を解きたい・・・それに・・・感情がないと結喜の心に寄り添えないだろ。だから1日でも早く取り戻したい。・・・ま、できるならだけどな」
俺の言葉に癒怒は頷いた。
そして小さく呟く。
「羨ましいなぁ・・・」
「なんか言ったか?」
俺はうまく聞き取れずに聞き返す。
いや、おそらく聞こえていたのかもしれないが、聞かなかったことにした。
「いえ、協力しますよ・・・でも、感情ってのはもともと時間がかかるものなんです。目には見えなくて、触れないから、時間がかかります。自分でわからないのに、誰かにわかるはずがありません。でも、近道くらいはあるかもしれません・・・それを探しましょう」
そう言って癒怒はにっこりと笑った。
「あぁ、頼む」
俺は彼女の瞳をしっかりと見ながらそう答えた。