7「伝播させる方法」
暑い・・・
買った飲料の水滴が服にしみこむ。
ひんやりとした感触が服を向けて地肌にあたり、俺の体を震えさせた。
「買ってきたぞ」
俺はそう言って、買ってきた飲み物をここに配っていく。
「で、こっからどうするよ」
ペットボトルのキャップをひねりながら俺は話した。
「どうも何も、変わりませんよ」
癒怒がそう話しながらごくりと飲料を流し込む。
「だよな、少し休憩したら再開するか」
「そうする」
俺の言葉に答えたのは結喜だ。
そこで、楽が立ち上がる。
「どうした?」
俺の言葉に楽はこちらを睨む。
「なんで誰も言わないの?」
「何の話だ」
そう話すと楽は癒怒を見つめた。
「・・・なんですか?」
眉を歪めながら首をかしげる癒怒にイラっとしたのか、楽の眉間に皺が寄る。
「誰も聞かないから聞くけど、さっきの癒怒ちゃんは何?」
さっきの癒怒・・・
結喜の体に触れることをためらった癒怒の事を言っているのだろう。
俺は知っているが、彼女たちは知らない。
俺から言ってもいいのだが、それは少し違う気がした、だから言わなかった。
いつか、だれかがこの問題に首を突っ込むことが分かっていたからだ。
空間に静寂が流れる。
「・・・なんで何も答えないの・・・?」
楽はそう話す。
その顔は怒っているようにも見えたが、心配なども含まれているようにも見えた。
「さ・・・さっきは・・・」
絞り出すように癒怒が話す。
その額には汗がにじむ。
焦りか、暑さかはわからない。
俺と結喜はその光景を黙ってみている。
声でどんな問題になっているか察しなくてはいけない哀歌はオドオドとするばかりだ。
静寂。
重苦しい空気が体を包む。
「癒怒・・・」
俺は気が付いたら小さくつぶやいていた。
心配・・・そんな言葉では片づけられないほど何かが渦巻く。
この状況を見ているのが限界に達し、俺は口を開く。
「楽・・・あのな」
俺が何かを話そうとした瞬間に、癒怒は俺に手のひらを見せて制止をする。
自分で言うから・・・そう話したそうなまなざしを見て、俺はため息を漏らす。
「私は・・・」
癒怒がつぶやいたその言葉に全員が耳を傾ける。
両親にすら簡単に言えなかったことだ。
そう簡単に話せるわけがない。
癒怒は深呼吸をして楽を見つめる。
「私は人に触れません」
その言葉は鋭く、全員の心と脳に刺さる。
「・・・どういうこと?」
「・・・難しいことは私にもわかりませんが、簡単に言えば幻覚が見えているんです」
その言葉に結喜と楽は目を見開き、哀歌は口をふさいでいた。
「でも、心君には触れて・・・」
「唯一・・・鳴海さんなら大丈夫なんです・・・移らないんです」
癒怒はゆっくりと俺に視線を向ける。
「移らない?」
その言葉に楽も俺を見て眉を歪めながらつぶやいた。
それに俺はため息を漏らす。
直後に話し始めた。
「癒怒の幻覚はかなりシビアでな・・・癒怒自身は誰かを傷つけてしまうと思ってる。汚いともな・・・」
「幻覚が? 創造のものは誰かを傷つけることはできないはずでしょう?」
俺の言葉に楽は眉を歪めながら癒怒を見つめそう話す。
「はいそうですねってそんな簡単に話がまとまるなら、癒怒は躊躇しないだろ」
そう話すと、楽は細かく頷いた。
「私の幻覚は他人に移るんです。移ってしまえば顔の判別すらできない・・・」
「そんなにひどいのに、よく心君には触ったね」
楽は少し不満そうにそう話すと、癒怒は俺に視線を向ける。
「あぁ・・・あれは俺から触れたんだよ。たまたま移らなかっただけか・・・何かしらの理由があるのかは分からん」
「結構強引に言ったんだね・・・」
俺の言葉に楽はそう呟いた後、小さく頷いた。
そして楽はまっすぐ癒怒を見つめる。
「癒怒ちゃんこっち来て」
楽は少し低い声で癒怒に話す。
それは少し怒っているようにも感じ、何か覚悟を決めたようにも見えた。
癒怒が指示に従い、楽のそばにゆっくりと歩く。
そして目の前・・・
楽はにやりと笑って両手を広げた。
「・・・兎静さん?」
癒怒の疑問には一切触れず、楽は癒怒を抱きしめる。
最初こそ驚き抵抗したが、癒怒は目を大きく開き話す。
「・・・移らない・・・」
「感情が問題なら・・・ううん・・・信頼が問題なんだよ・・・だから・・・」
楽はそう話しながら、哀歌を見る。
俺はその意図に気が付いて哀歌に近寄り、手を握る。
「心さん?」
「よく気が付くな」
「よく触れる手なんで・・・」
哀歌は少し照れたように話す。
「どうしましたか?」
「どう・・・」
なんだろう。
癒怒と楽が抱きあっていると説明するのはおかしいよな?
いや、光景の説明としてはあっているのだが。
「・・・最初の一歩かな・・・」
「はい?」
俺はため息をも漏らしながら哀歌の手を引く。
「ま、行けばわかる」
「えぇ・・・」
そう言いつつも哀歌は素直について来た。
そうして合流をする。
楽が勢いよく哀歌の手を引き、3人で抱き合う。
最初こそ驚いた哀歌だが、次第に落ち着いていく。
人のぬくもりか・・・
ガタッ
そんなとき視界の外から低い音が響いた。
砂を蹴る音とともに確かに一歩ずつ踏みしめる音・・・
俺はその光景に目を見開く。
視界がかすむ。ずっと望んでいた景色・・・
「・・・結喜・・・!」
俺の言葉に楽と癒怒が顔を上げ、結喜を見つめた。
立っていた慣れない義足で、何にも支えられず立っていた。
その光景に俺は・・・
「犬神さん!」
「結喜ちゃん!」
癒怒と楽は叫ぶように声を荒げて手を伸ばす。
たった数メートル。
一般人なら片手で数えられるほどの距離しかないだろう。
だが結喜はその短い距離ですら何歩も足を滑らせるように歩く。
「あと少し・・・」
俺はそう呟いていた。
それは誰にも聞こえないくらい小さな声で・・・気が付いたらつぶやいていた。
直後、結喜はバランスを崩し体が大きく揺れる。
俺はそれを受け止めようと1歩をふみだす・・・
だがそんな心配はいらなかった。
「しっかり受け止めました」
「あっぶなぁ!」
そう言って癒怒と楽は安堵の声を漏らす。
視界がかすむ。
太陽の光が何かを通したように強く照り、反射する。
結喜の肩は震えていた。
癒怒はもう泣いていた。
哀歌は状況が分からないとオドオドしている。
楽は大きく口を開けて笑っていた。
直後、結喜は俺を見つめて満面の笑みを見せる。
そして一言。
「ここ兄ぃ・・・泣きすぎ」
この涙は・・・喜びだろうか・・・
感動?
いや・・・望んでいたんだ。
だから、この感情はきっと喜びだ。
認めた直後・・・過去の自分が少しだけ前に進んだ気がした。