1「世界」
あれから数日、母親はずっと家にいる。
本当に、すべて終わったのだと。
「おはよう」
眠気に目をこすりながら俺は、リビングで朝食を作っている母親に声をかける。
「あ、おはよう心」
母親は小皿に何かを注ぎ、味見をする。
うーんと首をかしげてから何かしらの調味料を追加していた。
「学校はどう?」
「まぁまぁかな」
そう話すと、母親はフーンと言いながら料理に視線を戻す。
俺はそれを見てソファに座り、テレビをつけた。
早朝六時・・・何気ない日常・・・
俺にとっては特別で、心温まる日常が帰ってきたような気がした。
「今日は学校何時から?」
「八時には出るかな」
母親の言葉に俺はそう話すと、彼女は笑って何度もうなずいていた。
「なんで?」
「いや?学校って普段何時ごろから始まるのかなって、ほら・・・私は家にいなかったから」
「あ・・・確かにな」
俺は気まずいことを聞いたと少し申し訳なくなり、ただテレビを見つめる。
そんな時、母親が声をかけてきた。
「何か飲む?」
俺はその言葉に少し戸惑いつつも、平静を装い、返事をする。
「何がある?」
「色々買っといたから、コーヒー、炭酸水、あとはオレンジジュースとか、色々あるよ。あんたこっちきて確認しなさいよ」
俺は母親にそう言われ、ため息を漏らしつつもソファから立ち上がり冷蔵庫を目指す。
コークに、サイダー、牛乳・・・?いつ飲むんだこれ・・・
俺はそう思いながらサイダーを取り出し、グラス氷を入れて飲料を注ぐ。
「準備はしなくていいの、心」
母親のその言葉に、俺はグラスに注ぎながら答えた。
「もうしてある。着替えて出るだけだから大丈夫だよ」
そう言いながら、ソファに向かい。
腰を下ろしてニュースを見ながらグラスを傾けた。
「よし、こんなもんかな」
母親はそう言って、簡単な朝食をテーブルに並べる。
「心も食べちゃいな」
その言葉に俺は頷いて、朝食を前に椅子に座った。
白米、味噌汁、鮭に、漬け物、それに牛乳。
和食に牛乳ってどうなの・・・合うのか?
俺はそう感じながらも、鮭を切り分け口に運ぶ。
舌に当たった瞬間、程よい塩味がふわりと鼻を抜け、香ばしい匂いも後から感じる。
美味い。
これだよな、日本は。
俺そのまま白米を口に入れ、咀嚼を進める。
そうして、味噌汁で流し込んだ。
それが異様に塩味が強い。
味噌汁だけ追加で塩を入れたのかと思うほどしょっぱい物だった。
俺は顔を顰めながらも、それをゴクリと飲み込む。
「どうかした?心」
母親は何食わぬ顔で俺を見つめ、味噌汁を啜っていた。
嘘をついているようには見えない。
直後、母親が鮭の皿を持って立ち上がる。
「どうした?」
俺は、それを不思議に思い問う。
帰ってきた答えは、意外な物だった。
「鮭の味がしないから、塩振ろうかと思って」
そう言って母親はキッチンの方に歩いて行く。
俺はその背中を見て立ち上がった。
「待って母さん!」
「急に大きな声出して何よ」
「お、俺がやるよ。帰ってきたばかりなんだし、座ってて」
俺はそう話しながら、自身の味噌汁の器を手に取り、母親に近づいて半ば強引に鮭の皿を奪う。
「母さんは座ってて。あとは俺がするから」
俺はそう言いながらキッチンに向かい、味噌汁を鍋に戻して、水を入れて再度煮立たせる。
だが、キッチンに置いた鮭を見て少し悩んだ。
味が薄いと言っていた。別のもので濃くするのは手だが、塩分は増やせない。
どうする?
「大丈夫?心」
「大丈夫。ちょっと完全に味を変えてもいい?」
俺がそう話すと、母親は少し考えた後に、頷いた。
俺はゆっくりと考え、レシピを頭の中で検索する。
何かしら方法があるはずだ。
俺はゆっくりと母親を見つめる。
彼女は何食わぬ顔で味噌汁を啜りながらテレビを見ていた。
俺はその光景にゆっくりと拳を握る。
味覚障害・・・
塩を増やしたりするってことは、なくなっているわけじゃない。
おそらく感じにくいんだ。
「このキャスターさん新しい人かしら、喋りが拙いね」
そう話しながら母親は俺を見る。
「え?俺はニュースとか見ないから、わかんないわ」
「ニュースは見たほうがいいよ」
そんな他愛のない話をしながら、俺は母親を見つめる。
・・・どうする。
母親が帰ってきての最初の壁は、これだった。