第136話 紡がれてゆく愛
喜望峰に急設されたラウンジでは交代制ながらも、兵士たちが一応の休息をとる事を許されていた。とはいえ、そのようなものが仮設されても、大半の兵士たちは自分たちの艦で休む事を選択する。
しかしながら、接収して自分たちのものとして運用する手前、使って見せないと隠れた課題も浮き彫りにならないのもまた事実である。
「ここの水は本当に大丈夫なんだろうな?」
ティーカップを手に、注がれた紅茶の香りを確認するアレス。水とは言うが、使用しているのは軍が所持しているものである。彼が言いたいのは、喜望峰の設備で沸かしたお湯や茶葉が安全なのかどうかである。
「少なくとも人体に有害なものは検出されていないとの事だ」
ヴェルトールも苦笑しつつ、どこか警戒しながら紅茶をほんのわずかに口に含む。
上級士官が真っ先に行動してやらねば、下士官は付いてこない。帝国にはいまだそう言う空気がなくもない。
それに、休息が必要な事に変わりはなく、だらけすぎるのは問題であるが、張り詰めすぎるのもまた効率が良くない。
手本としての姿を見せなければいけないのだ。
「でも良いのか? もう一か月だろ? ちょっとゆっくりしすぎなんじゃねぇの?」
一方で恐れ知らずに紅茶を飲むのはデランであった。
そんな姿を見せる反面、彼は少し落ち着きがない。喜望峰を手に入れてからというもの、サラッサに大きな動きはない。
それは確かに不気味な静けさとも言えた。帝国側は基地の建設や補給路の確保という大がかりな仕事もある。それらは終わりの目途が立っているのだが、サラッサ本星への進軍ルートはまだ模索中である。
「貴様らしくもないなデラン」
アレスはそんな友人の変化を悟っていた。
普段のデランであれば、どっしりと構えるはずだ。だというのに、喜望峰に来てからはどこかそわそわしている。
武者震いという言葉もあるぐらいだ。それにここは何を言っても最前線。緊張感があると考えれば、悪い話でもないが、どうやらそれだけではない。
なんと言えば良いのか。余裕がないように見えるのだ。
「俺たちは帝国史上初の場所にいる。失われた航路と技術。かつての人類は容易にたどり着けたらしいが、俺たちからすれば決死の距離。本国も慎重になるだろうさ。それに、喜望峰に残された敵のデータ解析もある。敵のデータという事は、相手にも筒抜けだ。その裏をどうかくか……これはおいそれとは決められん事だ」
「んなことはわかってるんだよ。でもよぉ……ここは一度でも敵の領域だった場所だ。一か月何もないというのは不気味なんだよ」
「それはリヒャルトたちも言っていただろう。敵にとってもここは遠い場所だと。それに、先の戦いで相当数の艦船を失っている。仮に、これが俺たち帝国側だと考えれば同じだ。戦力の再編には相当の時間がかかる。連中は、人材は用意できるらしいが、機械はそうもいくまい。全自動で作るにしてもだ」
帝国とサラッサの大きな違いは用意できる戦力の種類が異なるという事だ。
帝国は植民惑星の生産能力をフル稼働させれば、艦船の数を揃える事は比較的容易である。だが、それだけ艦船を建造しても、扱える人材の育成にはそれこそ年単位の準備が必要であり、なおかつ必ず使い物になるとも限らない。
人類の人口は確かに爆発的に増加したものの、軍へ進もうとするものはどうしても少ない。そして、良くも悪くも大規模な戦争が起きなかった。
だからこそ、軍人を育成しても、そこから先が繋がる土壌がなかった。
訓練だけは続けても、どこか「何も起きるはずがない」と言う空気が蔓延していた。
一方でサラッサは、現時点の情報ではクローンによる人材確保は可能との事だが、帝国ほどの植民惑星開拓は行われていないとの事だった。ある意味では真逆の性質を持った存在なのである。
だがロストテクノロジーの所持と言う可能性を踏まえると、サラッサ側の戦力は未知数でもある。
警戒するべきは光子魚雷の存在。スターヴァンパイアに残っていたかどうかはさておき、所持していないと考えるのは無理がある。
「フフフ……」
生真面目に戦況の話を続けるアレスを見ながら、ヴェルトールは小さく笑う。流石にそれに気が付かないアレスではない。ヴェルトールの奇妙な行動に疑問が沸いた。
「どうしたヴェル」
「いや、デランが落ち着かないのは戦況の話だけではないだろうなと思ってな」
「む……?」
アレスは首をかしげる。
一方のデランは目線を逸らしていた。
「アデル嬢とはどうなのだ? 熱いキスを交わしたのだろう?」
「おい!」
一番言われたくない言葉を投げかけられたせいか、デランは立ち上がりかけたが、恥ずかしさが勝ったのか、それはやらなかった。むしろ今以上に縮こまるように、身をかがめて、そっぽを向く。
流石にそれを見ればアレスも「あぁ」と納得する。
「お前、色気づいたのか」
「うるせぇ! あれのせいで、色々と大変なんだよ!」
「抱いたのか?」
「はぁ!? お前、馬鹿だろ!」
デランの反応を見て、ヴェルトールとアレスはお互いに顔を見合わせて苦笑する。
前々からどこか純情な奴だとは思っていたが、これは相当らしい。そして、いつもの四人の中で、何かと女性に好かれたのはデランであった。
そんな彼に訪れた意外な春は、彼らにしても恰好の話題なのである。
「デランとしては、責任を取らねばならんと考えているのだろう? そして、あの子は海兵隊だ。一番危険な任務に従事している。気が気ではないというわけだ」
ヴェルトールの指摘にデランは返事をしないという事は図星なのである。
空母を指揮するという手前、艦隊指揮以上に部下を死地に向かわせる命令は数多くこなす必要がある。
アデルの半ば強引な愛の告白はセンセーショナルではあったが、デランとしても恥をかかせるわけにはいかないという気持ちもあるし、そうなった場合、自分を好いている女に歩兵をさせるのが気が引けるというものだ。
だからと言って、それを許せば他の前線に立つ者たちには不平等となる。
デランは真面目なのだ。
「悪いかよ……」
「いや? 俺は、それをとても良い事だと思う。俺たちは、いずれは冷徹な指示を出す時が来るだろう。部下に死ねと命ずる事はこれから必ず起きる。だが、死んで当然とは思わん。死なせたくないという【言い訳】はもっていなくちゃならん。俺は、それが人類とサラッサの大きな違いだと思っている」
「違い?」
「あいつらの戦い方は……死んでも代わりがいるという考えの下にあると思う。それは……言うなれば、俺個人としては納得できない考えだ。お前だって、艦載機隊を使い捨てるような戦い方はしないだろう」
「当たり前だ。そもそも、戦闘機のパイロットを一人用意するのにどれだけの時間と金がかかると思っていやがる……無駄に殺すような使い方はしない。それは空母の鉄則だ。だから……」
「その優しさは忘れてはいかんという事だ。その感情もな。だが、指揮官が恐れを抱けば、それだけ部下にも伝播する。それは余計に部下を殺す事になる。少なくとも、俺はそう考えている。まぁ、お前の気持ちもわからんでもないさ……俺だって、ステラが気になるさ」
「さらっと惚気やがったなコイツ……」
どこか余裕をみせるヴェルトールにデランは、自分の悩みが少し馬鹿らしくなった。
小さく溜息をついて、天井を見上げるように深く座りなおす。
「あーもう、そうですよ、そうですよ。キスされて、意識してますよ! 死なせちゃまずいなぁと思ってますよ!」
「フッ……戦場のロマンスか。羨ましい限りだな」
開き直ったデランを見ながら、アレスが小さくほほ笑む。
「そういうアレスはどうなんだよ」
「俺か? まぁ色々あるのさ」
意外にもアレスの女性関係は誰も知らない。元々が禁欲的で寡黙な男ゆえに浮いた話を耳にしないのもある。
しかし、こうも赤裸々な話が続けば、気にもなるというものだ。
それに、自分たちだけ暴露するのは割に合わない。
「お前、結構人気あるんだろ? 誰か一人ひっかけたり……は、しねぇかお前は」
「ま、そう言う事だ。好ましい者の一人はいるが……秘密だ」
「んだよ、教えろよ。お前だけ秘密なのは不公平だろうが」
「ヴェルトールは自ら公言、お前の場合は自爆みたいなものだろう? 俺は根掘り葉掘り聞いたわけじゃないのさ」
「あ、それは卑怯だろうが!」
「なんとでも言え。それよりも、貴様にむこうで熱視線を送り始めている者がいるが?」
「あん?」
アレスの言葉の意味が一瞬わからず、デランはきょろきょろと周囲を見渡す。すると、ある一点でピタリと止まる。
そこにいたのは待機用の簡易スーツ姿のアデルだった。それもとても良い満面の笑みでそこにいた。
「いつからいた」
「貴様が愛の告白をする時」
「お前……!」
が、その刹那にはデランはがっちりと腕を掴まれていた。
「じゃあな」
アレスは再び微笑を浮かべた。
ヴェルトールと共に引きずられていくデランを見送りながら、冷めた紅茶を飲む。
「それで? アレスの想い人は俺にも秘密か?」
「言いふらす趣味はないというわけさ」