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その王女は

「遠いところをお疲れでしょう、ミレニア王女殿下」


 蜂蜜を溶かしたような金色の髪、紺碧の瞳をした青年が「ウイリアム・エスト・サファリー」と名乗ってミレニアに微笑みかけた。

 王子さまだ、本当に本物の王子さまだ、ミレニアは大きな目を見開いたまま動けなくなった。ぽかんと口を開いたままになっていたかもしれない、後ろから教育係のロッドマイヤー夫人に腰のあたりを押されて、ようやく我に返った。


 けれど、目の前に立つ人の気品に押されて、頭の中が真っ白になったようで、まったく言葉が出てこない。


「ミレニア王女殿下、どうかなさいましたか?」

「あ、あのミレニアです。初めまして…っ」


 重ねて問われて慌てて名乗ったそれは、祖国の王宮で急きょ仕込まれた淑女の挨拶ではなく、下町の少女のものだった。


「…僭越ではございますが、王女殿下は長旅をすませたばかりで大層おつかれでございます。本日はこれにて失礼させていただくわけにはいきませんでしょうか」


 王族の気品も礼節もない挨拶に、慌ててロッドマイヤー夫人が割って入った。


 にもかかわらずウイリアム王子は嫌な顔をもせず

「それは大変ですね、どうぞお休みください。足りないものなどがあれば、遠慮なく部屋付きの者に申し付けてください」

 などとミレニアを気遣ってくれた。


 その微笑みがいかにも社交辞令的なものであったことに、ミレニアは気づきもしなかった。ただ、背の高い美しい王子さまが目の前にいて、自分がその王子さまのお嫁さんになる、そればかりで夢心地だった。



「ウイリアム王子さま、なんて素敵なの」

「さようでございますね、ですがミレニア王女殿下、王太子殿下、とお呼びになるのが適切です。また、先ほどの挨拶はマナアスの王女として許せるものではございません。お教えしたことはお忘れですか」

「だって、ウイリアム王子さま…王太子殿下があんまり素敵だから。さすが王子さまよね、街で一番恰好がいいと言われていたトムとだって比べ物にならないわ」

 

 挨拶したばかりの王子の顔を思い出すと、自然と笑みがこぼれ落ちる。あんなに格好のいい人が自分の旦那さまになるのだ。そして、自分は美しいお姫さまになってみんなに愛されるのだ。なんて素敵なんだろう。ミレニアは踊り出したい気分だった。

 

 侍女たちも一緒に「お似合いだ」と「素敵なお二人」なんて言ってくれたら、ますます嬉しいのに、目の前のロッドマイヤー夫人は無表情で文句ばかりを口にする。


「ねえ、ロッドマイヤー夫人。ウイリアム王子さまは私のこと気にいってくれたかしら」

「気に入ってくださるとよろしいかと」


 気に入るに決まっているじゃない、私はこんなに可愛いんだから。こういう問いかけは「もちろん」という答えを言うためのものなのに、わかっていないわ、と思う。若い侍女たちだって本当はそう言いたいのだろうに、ロッドマイヤー夫人がいると何も話そうとしない。本当につまらないと思う。


「ああ、もっと王子さまのこと知りたいわ。ロードリオ伯爵を呼んでちょうだい」


 ロードリオ伯爵は、マナアスに派遣されていたエイドランドの副大使で、マナアスの第三王女ミレニアとエイドランド王太子ウイリアムの縁組がきまり、ミレニアがエイドランドにやってくる際にミレニアの世話役も兼ねて帰国した男だった。三十代前半の少し格好いいおじさん、だから身近において話し相手をしてもらうのに最適、とミレニアは思っている。ロードリオ伯爵はロッドマイヤー夫人のように小言は言わない。むしろ、いつも褒めてくれて、いい気分にさせてくれる。ミレニアは褒められるのが大好きだ。そして、自分は褒められる価値のある女の子だと思っている。


 ミレニアは、マナアスの王都の片隅にあるいわゆる下町で育った。父親はいない。けれど、ミレニアは気にならなかった。ミレニアの母はとても美しく、母親に良く似たミレニアは下町では格別に可愛らしい娘だった。

 また、貴族の屋敷でメイドをしていた母がしつけに厳しかったせいで、ミレニア親子はその界隈ではちょっと特別な高嶺の花の扱いをされていて、ミレニアは貴族の落とし胤ではないかという噂も絶えなかった。何度聞いても母は「立派な人よ」というだけであったが。

 男の子たちはみんなミレニアの気を引きたがるし、大人の男の人たちもミレニアが笑いかけると、すぐに言うことを聞いてくれる。だから、ミレニアは自分は特別な女の子だと信じるようになった。こんな下町は私のいるべき場所じゃない、お父さんがきっと迎えに来てくれる、と。


 そして、それが本当になる日が来た。王宮からの使者によって自分が国王の娘だということを知らされた。舞い上がるミレニアとは対照的に母親は絶望的な顔をしてミレニアを見た。


 「ミレニアは自分一人の子であり、決して王の子ではない。娘は絶対に手放さない」と言い張る母をミレニアは、娘が幸せになるのを邪魔するのか、と泣きながら詰った。そして、王宮からの使者の勧めに従い、母との縁を切り単身王宮にあがったのだった。




 王宮に入ると、国王との面会もそこそこにロッドマイヤー夫人を紹介され、「淑女教育」が始まった。立ち方、座り方、歩き方、話し方すべてを直すよう言われ、ミレニアをうんざりさせた。ミレニアは下町では特別な女の子だった。高嶺の花といわれるほどで、挨拶をするだけで大きな商店の息子でさえなんでも言うことを聞いてくれるのだから、変わる必要などないとミレニアは思っている。

 一般教養やマナアスの歴史、マナアスを宗主とする隣国との関係などといったものの教育もあったが、ちっとも身が入らなかった。ダンスだけは一生懸命にやったけれども。可愛らしい自分が可愛らしくダンスをすればみんなは愛してくれ、それで問題はなくなるのだから小難しいことなんて必要ないと、口にはださないけれどミレニアは思っている。


「ねえ、ロードリオ伯爵、私びっくりしちゃった。ウイリアム王子さまって本当に素敵な方ね」

 

 伺候したロードリオ伯爵に身を乗り出すようにして言うと、伯爵はいかにも、という顔で頷いた。


「さようでございます。見目麗しいばかりでなく、ダンスなども大変お上手でございますよ」

「まあ、私もダンスは大好き。ねえ、ロードリオ伯爵、私が王子さまとダンスをしたらどうかしら」

「王女殿下も大変可愛らしくていらっしゃるので、よくお似合いになりますよ。宮廷でも話題になる事でしょう」

「本当に? 王子さまは私を気にいってくれると思う?」

「もちろんでございますよ。王女殿下をお気に召さない男などおりませんでしょう」


 ロードリオ伯爵から、期待通りの言葉をひきだして、ミレニアはにっこりと笑った。素敵な旦那さま、そして王太子妃という立場、みんなが私に憧れるだろう、なんて素晴らしいことなんだろうか。


 けれども、王子さまとの恋物語は夢見ていたようには進まなかった。

 ミレニアを歓迎する舞踏会にウイリアムのエスコートで出席した時のことが悪夢のように思い出される。

 

 準備してきたドレスは瞳の色に合わせたピンク。花の妖精に見えるように、と希望をだして花びらの形に裁断した淡いピンク色のレースを幾重にも重ね、スカート部分はふんわりとした形にした。上半身はスタイルがよく見えるようにすっきりさせ、袖の部分はやはりレースの花びらの形の袖がついている。胸元は広く開けて、細かい花をいくつも刺繍してある。胸元を見せたほうが男の人は喜ぶもの、これまでの経験をもとにミレニアは主張した。

 

 やがて、濃紺に銀の縁取りのジュストコールを着て正装をしたウイリアムが現れ、エスコートされて舞踏会場である王城の大広間に入ったところまでは夢心地だった。

 けれど、国王夫妻の前までエスコートされ挨拶をするとき、どうしたらよいのかわからなくなった。ロッドマイヤー夫人の顔を思い浮かべ、ようやくカーテシーというものを思い出したけれど、片足を引いて腰を落とした瞬間にバランスがくずれ、ウイリアムの支えがなければ危うく倒れるところだった。

 そして、国王夫妻との挨拶のあと、貴族たちに挨拶するよう促されたけれど、ロッドマイヤー夫人からそんなことを教わった覚えのないミレニアは、にっこり笑ってぺこりと頭を下げることしかできなかった。マナアスでも王女としてのお披露目とエイドランドへ嫁ぐための送別を兼ねた舞踏会ただ一度にしか出席したことがなかった。その時は誰も何もミレニアには要求しなかったから、ミレニアは舞踏会とはただ綺麗なドレスをきて、笑顔をみせていればよいものだと思っていたのだ。

 

 そのあと、来賓であるミレニアがウイリアムとファーストダンスを踊るように促された。

 ようやく私の時間がきた、とミレニアは笑顔になってウイリアムに手を差し出した。恰好のいい王子さまと可愛らしい私、踊るうちにお互いに引かれあって恋が始まるのよ、みんなそんな私たちの恋の始まりを見てちょうだい、そんな気持ちでミレニアはステップを踏んだ。


 けれど、踊り終わった後にもたらされたのはおざなりな拍手だけだった。ミレニアの可愛らしさを褒める声も、新しいカップルをうらやむ声もない。そして、一番ショックだったのは、まったく熱のこもらないウイリアムの視線だった。街にいたころはミレニアが優しくしてあげた男にそんな目で見られたことはない。

 

 エスコートを受けるふりでそっとウイリアムに近づき、そっと胸元を腕に寄せ上目遣いで見上げてみる。


「ウイリアムさま、私ウイリアムさまと踊れてとっても嬉しいです」

「私も王女殿下と踊れて光栄です」


 ウイリアムがきらきらしい笑顔を見せた。すっと身体を離したのに、きっと照れ屋さんなんだとミレニアは思った。さっきの瞳も恋愛になれていないから仕方がないのね、と自分を納得させた。

 

 


「聞いたかしら、この前の舞踏会の話」

「もちろんよ。もう何度も聞いたけど、そのたびに笑っちゃって」

 

 ウイリアムにどうしても会いたくなり、ロードリオ伯爵を呼び付け、ウイリアムの元に案内させようとしていたところ、困った顔をしたロードリオ伯爵に案内されたのは中庭にある庭園だった。

 

「執務中にお邪魔すると、王太子殿下のご機嫌に障る恐れがございます。殿下はご用事であちらの回廊を通ることもございますから、こちらで花を愛でながらお待ちになられてはいかがでしょうか」

 そう言われ、渋々薔薇を眺めていたところだった。



「国王陛下にご挨拶されるときに転びそうになったって」

「その上、ご挨拶のお言葉もなく、頭を下げるだけだったって」


 二人の年若い女が可笑しそうに笑う。


「お国で教えていただかなかったのかしら」

「なんでも、教わる必要が無いっておっしゃったらしいわよ、お母様に教わっているから十分だとかおっしゃって」

「でも、お母さまはメイドでいらしたと聞きましたわ」

「そう、だからよ。貴族の屋敷や王宮に仕えていらしたメイドなら、確かに行儀作法は仕込まれているのでしょうけど」

「あくまでメイドとしての行儀作法ですものね」

「淑女、ましてや王族としての振る舞いでないことをどうしてお気づきにならないんでしょうね」


 自分のことだ、とようやく気付いたミレニアの頬にかっと血が上る。


「でも、この話を聞くたびに私、王太子殿下がお気の毒で」


 怒鳴りつけてやろうと思ったところに、ウイリアムの名前が聞こえて踏みとどまった。隣にいるロードリオ伯爵にも静かにという目配せをする。


「ドルレーン公爵令嬢との結婚が間近でいらしたのに」

「本当に。お似合いの二人でいらしたのに」

「相思相愛のお二人の間に割って入ったのがあんな女では…」


 ロードリオ伯爵がことさら大きな咳払いの音をたて、ぱたりと話し声が止んだ。女たちが足早に立ち去る気配がする。


「どういうこと? 私の前に婚約者がいたって」

「…は、その、お国の国王陛下からはどのようにお聞きに?」

「国王は…お父様はなにも言ってないわよ。ロッドマイヤー夫人が説明してくれたけど、要するに、エイドランドは小さい国だからマナアスに仲良くしてもらいたくって、その為に私にお嫁に来て欲しかったんでしょ。だから私がきてあげたのよ」

「…なるほど、そのようなご説明に…。実は、婚姻を申し出られたのは御国のほうでございまして。お申し出以前には確かに王太子殿下には婚約者がおられました。そこで両国の幸せのために王太子殿下は喜んでその婚約を白紙に戻して、殿下をお迎えになったということでございます」

「喜んで?」

「さようでございます」


 ロードリオ伯爵は慇懃に頭を下げた。ウイリアムが喜んで前の婚約を破棄して自分を迎えてくれた、とミレニアの機嫌が上を向く。


 しかし、まだ不満なところはある。


「でも、前の婚約者と相思相愛だったって言ってたわ」


 先日の舞踏会でのウイリアムの熱のない視線を思い出す。あんな目をするのはほかの女の存在があったからなのかと思うと腹立たしい。こんなに可愛いミレニアが好きになってあげようというのに。


「婚約自体が白紙になっておりますので、殿下がお気になさるようなことではないと存じます」

「ウイリアム王子さまがその女を好きだったかどうかと聞いてるの!」

「そこまでは存じませんが、幼いころから親しくされていたことは耳にしております」

「どんな女なの?」


 言いよどむ伯爵にもう一度きつく問いかけると、渋々といった様子で話しだした。


「我が国の筆頭貴族であられるドルレーン公爵のご令嬢でございます」

「年は?」

「確か、王太子殿下とみっつ違い、王女殿下のおひとつ上になられるかと」

「美人なの?」

「美しい方でございます。もちろん王女殿下のほうがお可愛らしくていらっしゃいますが」


 気にいらない。ミレニアは唇を噛んだ。ずっと大きな貴族のうちでちやほやされて、あげくに私の王子さまの婚約者になっていたなんて。こんなに可愛くて血筋だって貴族よりずっと上の自分があんな汚い下町で苦労しなきゃならなかったのに。


「その人、この前の舞踏会にはいた?」

「お見えではなかったと聞き及んでおります」


 この前の舞踏会で、ミレニアのダンスが拍手喝さいを浴びなかったのも、ウイリアムが夢中にならないのもその女のせいなのだ、とミレニアは気づいた。

 もったいぶって姿を見せないからみんながその女に未練をもつんだ、一緒の場に立てば、ウイリアムもミレニアのほうが可愛いということが分かるはず、みんなの前でその女に会って、ミレニアのほうが特別な女の子だということをわからせなければいけない。


「名前は何ていうの?」

「ソフィア・フィン・エルドラン嬢でございます」

「ソフィアね、わかった。ウイリアム王子様にソフィアに会わせてって頼んでみる」

「ミレニア王女殿下、どうぞドルレーン公爵令嬢とお呼びください」

「うるさいわね、私のほうが偉いのよ。名前を呼んで当然でしょ」


 ロードリオ伯爵が顔色を悪くしたことにも気づかず、ミレニアはウイリアムの元へ案内して、とぴしりと言いつけた。


 その後、ミレニアは機会があるたびに、ソフィアに会いたいという希望を伝えたが、ウイリアムはにこやかには聞くもののまったく取り合ってくれなかった。それどころか、王族としての貴族との付き合い方について、ロッドマイヤー夫人になにか言ったらしく、ますますロッドマイヤー夫人が口うるさくなり、ミレニアをうんざりさせた。


 ウイリアムとの距離が縮まらないまま、ミレニアがエイドランドに到着して二週間が過ぎた。マナアスから国王の代理として王太子を迎えたところで、婚約式、続けて婚姻式を行う予定になっているとミレニアは聞かされた。婚姻式には同じようにマナアスを宗主国とする近隣諸国の王族も揃うため、その歓迎の舞踏会が開催されるということをロッドマイヤー夫人から告げられた。

 

 ミレニアはロッドマイヤー夫人の目を盗んで、ソフィアに、舞踏会に参加するように、と命じる手紙を書いた。腹違いの兄にあたる王太子の名前を出して、欠席したらどうなるかわからないことを匂わせた。本当はすぐにその手紙を出したかったものの、これまでのウイリアムの様子では絶対にソフィアがミレニアに会う邪魔をすると考え、当日の朝に侍女に届けさせた。返事をもらうまで帰ってくるな、と言って送り出した侍女が承諾の返事をもってかえってきたときはミレニアは踊り出したくなった。

 

 こんなに突然では、十分な支度はできないだろう。みじめな恰好で現れたら丁度よい引き立て役になる。これでウイリアムもみんなも私に夢中になるに違いない。久しぶりに浮き浮きした気分でミレニアは支度を命じた。


 今日のミレニアのドレスは淡いクリーム色のプリンセスラインで、胸元とウエスト部分に色とりどりの花のモチーフが散らばっている。合わせるアクセサリーは、ドレスと同じ花柄の装飾の中にミレニアの目の色に合わせたピンクサファイアがつけられたネックレスとイヤリング。そして、ドレスに合わせたクリーム色の靴。昨日、「エイドランド王国からの厚意」で届けられたものだ。ドレスの色も形もふわふわした印象のミレニアに良く似あうものではあったが、


「ウイリアム王子さまの色じゃないわ!」

「王太子殿下の金色の髪に似たお色みでございますよ。殿下によく似合っておられます」

「違うわ、私はウイリアム王子さまの瞳の色のドレスが着たかったの。婚約したら貴族の娘は婚約者の目の色のドレスを着るって噂を聞いていたもの」


 ミレニアは不満げに頬をふくらませた。ウイリアムの瞳は鮮やかな紺碧の色だ。紺碧の色どころか青系統の色すらほとんどないドレスにふてくされたミレニアだったが、舞踏会の時間が近づきウイリアムが迎えに来ると、機嫌をよくした。

 正当な婚約者で王子さまからドレスだって贈られている自分がいかに可愛い特別な存在なのかを、今夜こそみんなに教えてやらなきゃ、ミレニアは決意を新たにした。


 ウイリアムのエスコートで入場し、そのままミレニアは義兄であるマナアスの王太子ギリウスに挨拶に連れていかれた。挨拶のあと、ウイリアムがギリウスに相談があると持ちかけ、ミレニアのことをロードリオ伯爵に預けてどこかへ行ってしまった。

 置いて行かれたことに腹を立てながらも、ミレニアはソフィアに自分との違いを見せつける機会がきたとにんまりと笑った。

「あちらにいるのがドルレーン公爵令嬢です」

 

 ロードリオ伯爵はまさかソフィアがきていると思っていなかったようだが、ミレニアが呼び出したというと少々おののいた顔で周囲を見回し、そっと一方に目を向けた。壁際に、ミレニアと同じ年頃の華やかな装いの少女の輪ができていて、その少女はその輪に隠れるようにたっていた。それでも、まるで引き付けられるように一目でその少女がソフィアだということが分かった。

 黒に近い紫のほとんど装飾もないシンプルなドレス。けれど、若さに似合わぬ地味な色や形が、むしろその白い肌を引き立たせている。ほっそりしていると言われるミレニアから見ても華奢な身体。すっと伸びた首の上にある小さな顔、それを彩るきらきら光る金色の髪。造作はよく見えなくてもきれいな女であることはよくわかった。


「…なによ」

 子どものころ思い描いたようなお姫さまだ、思わず言葉がこぼれる。半年前に王宮に召し上げられて、祖国の王宮でもきれいな女はたくさん見た。しかし、あんなに現実離れした物語の中のような人はいなかった。

 あれがウイリアムの昔の婚約者。相思相愛だと言われた女。出会う前のことだったにもかかわらず、ウイリアムの心を奪われたような腹立ちが瞬間的にミレニアを襲った。


 ミレニアはつかつかとソフィアのほうへむかった。近づくほどにソフィアのドレスが様々な色合いの紫が幾重にも重ねられ、さらに濃い紫の糸で一面に刺繍の施された手の込んだ美しいものであることが分かる。首元と耳を飾る装飾品も、小さいものではあるが高価そうなダイヤモンドだ。長いまつ毛に彩られた大きな青い瞳、すっきりとした鼻、鮮やかな紅を塗った少し薄めの唇が小さな顔の中にバランスよく配置され、ミレニアにすらとっさに文句をつけるところが見つからない。突然呼び出されたというのに、その姿は完璧で、完璧なことが殊更にミレニアを苛立たせる。

 

 ミレニアが近づいてくるのがわかると、少女たちはいっせいにカーテシーをした。ロッドマイヤー夫人から舞踏会でのしきたりとして、身分の上の者からでなければ声をかけてはいけない、ということを聞いた。王族である自分には、昔は雲の上の存在だった貴族のだれもが頭を下げるのだ、途方もない優越感をもったから、よく覚えていた。それをソフィアへのあてつけに利用すればいいと思った。


 カーテシーをして、目を伏せ敬意を示すソフィアを含めた四人の少女を心地よくミレニアは見下ろした。本当のお姫様は私、みんなにそれをわからせてやる。


「身分の高い方から順にお声かけください。まずドルレーン公爵令嬢へ」

 

 ほくそ笑んだミレニアに、しきたりがわかっていないと思ったのか、ロードリオ伯爵が小さな声を掛ける。


「そんなことわかっているわ。ソフィアの次の人は誰?」

「カリファ公爵令嬢でございます。しかし、殿下…」


 うるさい。睨みつけてやるとロードリオ伯爵は困ったように口をつぐんだ。


「カリファ公爵令嬢? こんにちは」

 

 ソフィアの隣に立っていた少女がぴくりと震えた。


「カリファ公爵令嬢よね?」


 重ねて声をかけてやると、カーテシーを深くする礼をしてカリファ公爵令嬢は困惑した顔をみせた。


「大変失礼いたしました。カリファ公爵の娘リーンでございます」

「リーンさん。私はミレニアよ。ウイリアム王子さまと結婚して王太子妃になるの。よろしくね」

「もったいないお言葉でございます」


 挨拶を終えたカリファ公爵令嬢は姿勢を正したものの、ソフィアに気遣わしげな視線をおくる。それを無視して、次は誰かをロードリオ伯爵に問うた。レブラーナ侯爵令嬢、アムンデス伯爵令嬢と次々と声をかけ、カーテシーをしているのはソフィアだけになった。


 右足を引いて腰を落とすカーテシーはひどく辛い姿勢だ。それなのに、ソフィアは美しい姿勢を保ったまま、まったく乱れがない。エイドランド国王に挨拶をしたときに、姿勢を崩しウイリアムに支えられた時のことを思い出すと、あてつけなのかと悔しくなった。だから、ソフィアのことは無視して、他の三人の少女ににこにこと話しかけた。

 少女たちがもの言いたげにしているのも、後ろでロードリオ伯爵が何かを言っているのも無視だ。


「このドレス素敵でしょう、ウイリアム王子さまにいただいたの」

「お似合いでございます」

「ウイリアム王子さまもそう言ってくれたわ。ウイリアム王子さまは本当に私を大事にしてくださっているわ」

「さようでございますか」


 舞踏会で貴族の娘となど、何を話したらいいのかわからない。けれど、話を終えてしまったらソフィアに頭を下げさせている今の状況が終わってしまう。もっと皆に今の状況を見て、自分こそが正当なウイリアムの婚約者、王太子妃になるにふさわしいのだということを認めさせたかった。ミレニアは一生懸命ウイリアムと自分の関係について話し続けた。初めて会った時笑いかけてもらったこと、初めてダンスを踊った時優しくリードしてくれたこと、今日の舞踏会へのエスコートがとても素敵だったこと。


 少女たちの顔から表情が抜け落ち、瞳だけが軽蔑を浮かべたことも、広間のあちこちから凍るような視線をおくられていることも、ミレニアは気づかなかった。


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