表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

その公爵令嬢は

初投稿です

よろしくお願いします

「ソフィア嬢、本日をもって貴女との婚約を白紙に戻す」


 いつもソフィーと慈しんで呼んだ声が、今日は感情をどこかに置き忘れたように平坦に響いた。

 

 覚悟はしていたのに、それでも胸が鋭い刃につかれたように痛む。本当は泣き出してしまいたかった。幼いころ彼にわがままを許されていた時のように、感情にまかせて「嫌だ」と言いたかった。けれど、王太子殿下の婚約者であった身として無様なふるまいはできないと、部屋の隅に佇む異国の正装をした男の視線を意識してソフィアは自分を奮い立たせた。


「承知いたしました。父からもそのように承っております」

「そう、公爵にもよしなに伝えてくれ」 

 

 視線を手元の書類におとすようにして、ウイリアムが言う。


「わざわざ来てもらって悪かったね、もう行っていいよ」

「はい。王太子殿下にはこれまでのご厚情を感謝申し上げます。では、これにて失礼いたします」


 臣下として、きちんと淑女の礼をする。そして、侍従に先導されて王太子の執務室を退出した。婚約は家同士の約束、書面でやりとりすればそれで済む。わざわざ当事者同士が顔を合わせる必要などないのだ。それをわざわざ呼び出して告げようとしたウイリアムの気持ちを誰もがわかっていた。けれど、二人の婚約に横やりをいれたマナアスの使者はそれすらも許さず、その場に立ち会うことを求めたのだ。そのせいで二人は、儀礼的な顔で、余所行きの言葉で最後の挨拶を交わさなければならなくなった。

 

 これまで二人の挨拶はもっと気軽なものだった。ウイリアムはソフィアが王城を下がるときは必ず、馬車まで送ってくれたから、「ごきげんよう」「ではまた」などと手を振りあって別れた。けれど、今日のウイリアムは目をあわせることすらしなかった。

 最後にもう一度だけ、輝く海のような紺碧の瞳に自分を見てもらいたかったとソフィアは思った。




 マナアスは、50年ほど前に鉄鉱山を発見し、そこからとれる鉄を武器として加工し、それを利用した強力な軍隊組織を作り上げた。また、武力を背景に鉄を交易に利用することで豊かな財を得、さらに強力な国家を作り上げ、近隣の小国を支配下に収め宗主国となった。

 エイドランドもその一つである。マナアスは、それから20年ほどは栄華を極めたというが、近年は武力を背景にした他国支配にも陰りが見えてきていた。また、幾度も関税をあげたり、自国の農産品を高価格で購入させたりするなどの不平等な契約を押し付け続けたせいで、支配下の国々からは不服の声があがっていた。エイドランドは、天候の影響による水不足で十分な農作物の収穫を得られない貧しい時期を過ごしてきたが、国をあげて改善に取り組むことで農作物に恵まれるようになり、また数年前に、ダイヤモンド鉱脈が見つかったことで人々の暮らしは豊かになり、そのためマナアスの支配を厭う国民の声が高まっていた。当然マナアスは財源の豊かになったエイドランドから得られる利益を手放すはずはなく、そのために王女を属国であるエイドランド王国の王子に降嫁させることにした。

 

 ウイリアムは現在のエイドランド王の唯一の子、そして婚約者はいるとはいえ、まだ妃を持たない。宗主国から姫との婚姻を望まれればウイリアムが受けるしかないのだ。マナアスにはまだそれだけの力があった。そして、エイドランドの筆頭貴族であるドルレーン公爵家のソフィアとの間に結ばれていた婚約は白紙に戻されたのである。


 ソフィアが父親であるドルレーン公爵からその話を聞いたのは、一週間ほど前のことだ。

 

「すまないな、ソフィア」


 マナアスからの使者が来てから三日、久しぶりに屋敷に戻ってきたドルレーン公爵は少しやつれ青ざめた顔をしていた。左手で目元の疲れを覆うと呟くようにソフィアに詫びた。


「お父様が謝られることではありません。仕方のないことです」

 

 マナアスの要求を受け入れれば、エイドランドの従属は続く。不平等な条約による弊害は国民の暮らしのあちこちに現れていて、それが続くことは決して望ましいものでは無いことは、日々の教育の中でソフィアも理解している。それだけでなく、相思相愛の婚約者を奪われる娘の父親としても、力を尽くそうとしたことはその疲れ切った顔からでもわかる。しかし、マナアスはもともと武力に物を言わせてきた国である。要求を呑まないことは、すなわち武力による圧力につながることは目に見えていた。

 筆頭貴族として国を思う公爵としての立場と、相思相愛の婚約者を奪われる娘の父としての立場との間で苦しんだことは、その顔を見ただけでわかった。


「仕方のないことですわ、お父様」


 ほかに言いようもなくて繰り返したとたん、涙がこぼれた。

 お父様の前で泣いたら、ますます辛い思いをさせる、こらえようとするけれど、止まらなくなった。それでもこらえようとして唇をかむと


「おいで、ソフィア。泣いていいんだよ」


 大きく手をひろげて呼ばれ、ソフィアは父親の胸に飛び込んだ。涙の溢れる顔を父親の胸に押し付ける。ずっと、いずれ王妃になるべき者として、感情を出してはいけないと教えられてきた。でも、今はもう泣いていいのね、しゃくりあげてまるで子供にもどったように泣きながらソフィアは思った。もう、ウイリアム様の妻になることはないのだと。


「殿下に賭けるしかないのか…」


 公爵の小さな呟きはソフィアの耳には届かなかった。


 


 ウイリアムとソフィアの婚約が調ったのは、三年前のことだった。

 エイドランドの成人は十八歳で、ウイリアムは十八歳の誕生日を迎えると同時に立太子する。立太子の際には婚約者を披露することもしきたりである。その頃は宗主国マナアスの力が弱まる一方で、同じ被支配国である近隣の国々とは良い関係が築けている状況であったため、王太子妃は国内貴族から選ぶのが適当だと考えられていた。



「私は君にこの国を一緒に育んでほしい」

 

 ウイリアムはそう言った。


「ソフィーを貧民街の孤児院に連れていったことがあっただろう。以前までの貧しさの影響が、我が国にはまだ多く残っている。それを君がどう思うのかを知りたかった。いずれ王妃となる人は、国民のことをいたわれる人であってほしい。私は国王となるべき人間だから、伴侶にはそういう人を望まなければならない」

 

 試すようなことをして申し訳なかった、とソフィアにしか聞こえないかすかな声でウイリアムは詫びた。


「だから、君の対応を見て私はとても嬉しかった。君は私と同じ考えをしていて、同じ方向をみて共に歩いて行けると確信できたからだ」

 

 幼いころから誇り高い王になるべく努力を積み重ねてきたウイリアムに認められたことが嬉しかった。けれど、王妃たるべき素質だけを認められることはソフィアの胸を少し痛ませた。

 そんな内面をきれいに隠して、ソフィアはいつものように口角をあげて微笑んだ。


「身に余るお言葉です。ご期待に添うようお支えして参ります」


 すると、ウイリアムは困ったような顔になった。それから、深く息を吸い込むと覚悟を決めたように一歩ソフィアに近づき、跪いてそっと右手をとった。


「ごめんね、ソフィー。恥ずかしいからと言わずに済まそうとした私が愚かだった」


 ウイリアムの頬がかすかに染まっている。いつも堂々とした佇まいのウイリアムの初めて見る表情にソフィーは引きこまれた。


「ソフィー、君が好きだ。国のために結婚するのが当然のこととわかっていたけれど、私はずっと君と一緒に生きていきたいと思っていた。君を伴侶にすることができたら私はとても幸せになれる。そんな幸せをどうか私に与えてほしい」


 

 ソフィアの右手の甲に口づけ、両手でぎゅっと握るとそっと裏返し手のひらにも口づけたあとウイリアムは戴くように手のひらに額を押し付けた。ただの男として、愛しい人に愛を請うように。


「殿下…」

「今この場では名前で呼んでほしい。一人の男としての私を受け入れてほしいんだ」

「…ウイリアム様」


 ソフィアの目から涙があふれた。胸がしめつけられてうまく言葉にならない。こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。


「…お慕いしております」

 

 告白は震えかすれた小さな声になった。そのソフィアの心をウイリアムは掬いあげ、嬉しそうに笑った。


 

 思いが通じ合い、皆に認められ、ずっと傍で支えていきたいと思っていた。突然、その未来が断ち切られた。自分の立つはずだったウイリアムの傍らに別の女性が立つのだ。大国の王女ならば自分よりもなお王太子妃にはふさわしい。美しい女性なのだろうか。教養豊かな女性なのだろうか。ウイリアムもいつかその女性を愛するのだろうか。

 

 跪いて一心に祈るソフィアの目から知らずに涙がこぼれる。それでも、ウイリアムを支えることのできる、国を思う姫であってほしいとソフィアは願った。そしてウイリアムに安らげる時間を与えられる優しい方であってほしいと。

 自分以外の誰かがウイリアムのそばにいるなんて、ウイリアムの煌めく青い瞳がその人を見るなんて、ウイリアムの慈しむような声がその人の名を呼ぶなんて、ウイリアムの長い指がその人に触れるなんて。

 胸が痛む。それでも、ウイリアムが幸せになれるのならば耐えようとソフィアは思った。


 



 マナアスには、駒となるべき王女がおらず、王が若いころに幾度かかかわりをもったあと捨ておいた女が市井で産み育てた娘を探し当て王女として送り込んできた。マナアスは隠そうとしたけれど、人の口に戸は立てられず、いつのまにか貴族も市井の人々も知る事態となったらしい。

 さらに、王女は初めての舞踏会では国王陛下に対する淑女の礼すら十分にできず、貴族に対する挨拶の言葉すらなかったということを、ソフィアは友人からの手紙で知った。

 王太子殿下の婚約者だったという過去は、新しい婚約者が心を痛めることにもつながりかねないと、社交を控え身を慎んで生活していたソフィアはウイリアムを思って心を痛めた。

 

 

 そんなある日の午後、渦中の王女からソフィア宛に手紙が届けられた。送り主を重く見た執事がまずドルレーン公爵に届け、内容を確認した公爵がソフィアを部屋に呼んで手紙を見せた。今夜王城で開かれる舞踏会にくるように、という命令だった。その日はウイリアムの婚姻式を前に各国から集まった招待客を迎えるための舞踏会が開かれる予定であることをソフィアはそのとき初めて知った。


 兄であるマナアスの皇太子の名を使って、来なければドルレーン公爵になにが起こるかわからない、と書かれた手紙にソフィアはため息をついた。マナアスの王女にとってソフィアはよほど気に障る存在らしい。婚約を白紙にされることを下命されたソフィアにはどうしようもないことであるというのに。


「お父様の良きように」

 

 行きたくはない。行けばウイリアムがマナアスの王女と寄り添う姿を見なければならない。けれど、外交に関わる問題であればソフィアに決められることではない。

 公爵は眉をひそめ、短い思案のあとで、「行きなさい」と言った。


 いつもの父であれば、ソフィアの気持ちを汲み、行かなくていい、と言うだろうと考えていたソフィアは少し驚いて父を見た。苦々しい顔で、「我が身のことなどどうでもいいが…」と呟いた公爵は、


「傷つくことがあるかもしれないが、耐えてくれ」


と言い添えて娘を守るようにそっと額に口づけた。

 自分がその場に行くことに何かの意味があるのだろうか、そんなことを思いながら、ソフィアはひっそりと頷いた。


 


 承諾してもらわねば帰れないという使いの侍女に承諾の旨をしたためた手紙を渡し、ソフィアはため息をついた。

 できるだけ目立たぬようにして、王女殿下にご挨拶だけすればよい、ご挨拶をしてウイリアムとはもうまったく関わりのないただの一貴族の娘であることが分かればご納得いただけるだろう。

 ウイリアムの助けになれるように、ソフィアはただそれだけを願った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ