エルフの森が燃やされて、むせる
森が燃えていた。ヤヤラートと呼ばれた、エルフの森が燃やされていた。
だが、ヒューマン共の目的は達成されなかった。燃やされた森に会った村、そこには何も残されていなかったのだ。燃え尽きた家こそあったものの、物資もエルフも居なかった。
「ちっ、逃げ出しやがったか。燃やし損だぜ」
「エルフの臆病モン共め」
そんな事をほざいているヒューマンを、幾つかの赤い双眸が見つめていた。
「許さない。絶対に、絶対にだ」
「ああ、今日は引くぞ。あいつが、ヨーコが待っている」
◇◇◇
一年ほど前だ。ヤヤラートのエルフ、パーシーが一人のヒューマンを拾ってきた。
他の村が焼かれ、エルフたちが奴隷にされていると聞いていた村人たちは、当初その少女を迎え入れる事に反対した。
「わたしは助ける。罪も犯していないし、困っている人を放り出すなんて、ヒューマンと一緒じゃない」
そう言って、パーシーは反対を一蹴してのけた。
少女は黒目で黒髪を持っていた。この地方では珍しい。何処から来たのかと聞けば『ニホン』と言う。だが、エルフたちはニホンという村も、地域も国も知らなかった。
「わたしはヨーコ。ごめん、それ以外あんまり覚えてない」
「わたしはパーシー・ヤヤラート。よろしくね」
そう言ってほほ笑むパーシーにヨーコは笑顔を返した。
それからしばらく、パーシーとヨーコは共同生活を送っていた。
エルフの使う『木魔法』に驚くヨーコに、パーシーは新鮮な喜びを感じた。この子は悪い子じゃないと確信するまで、そう時間は掛からなかった。
「パーシー、水を汲んで来たよ」
「ありがとう。もうちょっとで晩御飯だよ」
「今日はなにかなー」
村のはぐれ者で、両親を喪ったパーシーにとって、ヨーコは唯一無二の存在となっていった。
同時に知らない事もあった。
「見事なものじゃのう」
「いやー、それほどでも」
太陽が昇り始めた早朝、早起きの老エルフがそう言ってヨーコを褒めたたえた。
ヨーコがやっていたのは、武術の『型』に他ならなかった。見る者が見ればそう言うしかないだろう。
「ヒューマンには武術と言うものがあると聞くが、それもそうなのかな?」
「うーん、この世界で他のヒューマンに会ったことが無いので、分かりません」
「ほっほ、この世界と来たか。それでその武術、何と言う名前なんじゃ」
「……多分『フサフキ』」
ヨーコはそれだけしか覚えていなかった。本来ならば知識チートが可能になるようなニホンの技術。それも覚えていなかった。彼女にあったのは、一般的な常識と『フサフキ』という技だけだった。
その常識とて、この世界では通用しない。
◇◇◇
「カカルターが燃やされた」
ヨーコが村にやって来て半年が経った頃、ついにヤヤラートの隣村が燃やされた。多くのエルフが死に、生き残った者は全て連れ去られた。
「ねえパーシー」
「なに?」
「次はこの村なのかな」
「……大丈夫。大丈夫よ、きっと」
次の日、ヨーコはふっと山に消え、イノシシを抱えて帰って来た。
「ヨーコ」
「狩ってきたの。みんなで食べよう」
「う、うん」
その辺りから村人たちは毒されていったのかもしれない。
エルフは肉食だ。
正確には雑食だが、森の中での穀物生産はおぼつかない。当然、山菜と狩猟が主になる。木魔法を駆使して、獲物を絡め捕り、槍や弓でトドメを刺すのが彼らのやり方だった。
そこにヨーコが一石を投じた。
素手でも獲物を狩ることは出来る。
「ヨーコ、技を教えて」
最初はパーシーを含む若者たちだった。改革を恐れない、それでいて自分と村の未来を憂う者たちだ。
「じゃあ、仕事の負担にならない様に、太陽が昇る頃にやるわよ。パーシーは寝坊助だから、わたしが起こすね」
「えー」
若者たちが笑った。
三か月くらい後には村人の半数が『フサフキ』を学ぶようになった。中には健康に良いと、老エルフまでが混じっていた。そして、村の収穫が増えると共に、ヨーコへの信頼は増していった。
◇◇◇
「げほっ、ごほっ」
「だめよヨーコ、無理しないで」
「だけど、がほっ、こんな、時に」
村を流行り病が襲っていた。おおよそ三分の一が体調に不良を起こしていた。
そしてそんな時に、ヤツらがやってきた。ヒューマンだ。
奴らは剣やこん棒で武装し、手には松明を持っていた。ご丁寧に、油の入った樽までも。
何をしようとしているのかは、明らかだった。だからエルフは抵抗した。
槍や弓や『フサフキ』を使って抵抗した。
だが彼らはまだ未熟であり、エルフの抵抗に慣れたヒューマンを追い払うには至らなかった。
「ちっ、大損だ」
「こいつら変な攻撃してきやがる」
エルフの必死な抵抗で、ヒューマンも少なからず損耗した。
それでも、八名のエルフが命を落とし、五名が捕らえられた。
ヨーコたち病人は事前に山奥に逃がされていて、難を逃れていた。
そして山の中腹から、燃えるヤヤラートを見つめていた。誰もが憎しみと悲しみの気炎を抱いていた。
「ごほっ、許さ、ない」
ヨーコは控えめに言って狂人だった。
ニホンより遥かに暴力的である、この世界においてもだ。
「前の世界がどうだかは知らない。だけど、ヤツらを許さない」
「ヨーコ」
「やられた事をやり返す。ぶん殴って、殺して、燃やしてやる」
「わたしもやる」
パーシーを始め、エルフたちは決意した。
◇◇◇
「みんな、準備はいい?」
「ああ」
村長の息子が代表して、ヨーコに返答した。村長は一年前、村を燃やされた時に戦死していた。
これからやるのは、報復だ。一年かけて、準備をした。
エルフたちはニホンでギリースーツと呼ばれる格好をしていた。もちろんヨーコの発案だ。
都合の良い記憶喪失だが、こと戦闘にかけては知識が残されていた。
ある日の夕方、一人の少女がヒューマンの辺境都市、ラッタを訪れた。
もちろんヨーコだ。エルフの民族衣装を着てはいたものの、耳と髪を見れば一目瞭然だ。彼女は旅人と判断され、街に迎え入れられた。
「この街はこれからエルフに襲われる!」
ヨーコは街の中央広場で堂々と言い放った。
「身に覚えがある人も多いんでしょう」
そう、ラッタはエルフ奴隷の中継点でもあった。エルフの村を燃やし尽くした冒険者たちの巣窟だった。
だからヨーコは叫ぶ。
「自分が無関係と思うなら逃げなさい。一日後だ。一日後にこの街は燃え尽きる。あはははは」
それを目にし、話を聞いた誰もが彼女を狂人と嘲った。事実彼女は狂人であったが、言っている事は本当だったのにも関わらずだ。
一日後、ラッタの街はエルフに半包囲されていた。とは言っても、街側は気付いていない。
ギリースーツを身に纏い、顔にも迷彩を施した彼らを、街は捕捉出来ていなかった。復讐の念に纏わりつかれた赤い目のエルフたちを、見つけることが出来なかった。
「殺さないで。殺したら炎が見えない」
「分かってるわ」
凄まじく物騒な会話をヨーコとパーシーはしていた。
簡単に殺してなんかやらない。動かない身体で、炎を見つめて焼かれればいい。
「ぴゅぅぅぅ」
パーシーの草笛が攻撃を合図した。
最初は街を守る城壁だった。近くの木が一斉に背を伸ばし、高さ十メートルにも及ぶ城壁に纏わりついた。
エルフの木魔法。ヨーコとエルフたちはそれの使いどころを相談していた。その結論がこれだ。
城壁を覆った木をエルフたちが駆け上る。ギリースーツのお陰で、それは木の葉が騒いでいるようにしか見えない。
突然の異常に狼狽えた衛兵たちは、対応出来なかった。すなわちエルフの侵入を許したのだ。
「最初は衛兵よ。冒険者も無力化!」
「おう」
エルフと共に侵入したヨーコの指示が飛ぶ。
彼らは事前に打ち合わせた通りの行動を開始した。
「パーシー、わたしたちは領主邸よ」
「分かってる」
この地の領主、ヘルマントル・ツイストーンは、あまりの異常事態に対応出来なかった。
緑色の怪物が攻めてきた? 意味が分からない。
「こんばんは」
「な、貴様っ!?」
「ああ、御託はいいの。ゆっくり死んで」
ヨーコの肘が、中年太りの領主の腹に突き刺さり、そのまま彼は崩れ落ちた。
殺してはいない。
「パーシー!」
「ええ」
パーシーの木魔法が、領主邸の中庭にあった木を強制的に育てた。
副作用として、土地は養分を失い、水すらも枯れた。乾ききった木々が領主邸を覆った。
「終わった。行こう、ヨーコ」
「うん」
帰り道で襲ってきた警備員たちを昏倒させながら、ヨーコとパーシーは外に出た。
後は火を付けるだけだ。
街のあちこちでは、同じような光景が広がっていた。
衛兵は衛兵詰め所に、冒険者は冒険者ギルドに詰め込まれ。木に覆われていた。
「やれ」
村長の息子が冷徹に言い放った。
そこにいたのは、森と自然を愛するエルフでは無かった。復讐を身に纏い、赤い目を輝かせる殺戮者であった。
◇◇◇
夜の帳の中で街が燃えていた。赤々と炎を巻き上げ、燃えていた。
「煙いわね、むせそうよ」
「だからヨーコ、ちゃんと口を覆わないと」
「いいの。この煙と匂いをちゃんと覚えておきたい」
ヨーコは黒光りする目で街を見つめていた。
「無関係な人は逃がしたの?」
「ああ、女子供を殺す趣味はない」
なんかこう、戦士と言った感じの村長の息子が言い放った。
「俺たちはヒューマンとは違う」
「エルフの奴隷は?」
「居なかった。他の街に移されたのか、それとも」
「じゃあ、他の街も燃やさなくちゃね」
「そうだな」
村長の息子、ヨーコ、パーシーが歯をむき出しにして笑った。
他のエルフたちも笑っていた。さあ、今度はどの街を燃やそうか。エルフを殺した連中をどれだけ殺そうか。
後の世に『ヤヤラートの戦士』もしくは『悪夢のヤヤラート』と呼ばれる集団は、次の標的に向かって移動を開始した。
むせる。