59.信仰
・前回のあらすじです。
『ユノたちが、マーリンの家にもどってくる』
〇
薬湯があるということで。エバは一番ぶろをいただいた。
彼女はいま屋敷の浴室にひたっていて、リビングにはユノとマーリンしかいない。
モルガンは食器洗い。それが済んだら、ユノとエバの布団をととのえにいく。
「食べるまえに治しておくべきだったかしら」
ユノが持ってきた鞘を、マーリンはテーブルから取りあげた。対面のソファで、ユノは金髪金目の魔女を見る。
「なに? ほれた」
「いえ。そうじゃなくて」
ユノたちがもどってきてすぐ、マーリンは晩餐をはじめたのだった。ユノの損失した右手のことは後回しで、とにかく飯を優先した。
片腕だけのユノが食事に不便をしたのはたしかだが、文句はない。
「人をつっぱねる割りには、ボクたちを優遇してくれている気がして」
「あはは。なにそれ。自意識過剰ね」
「でも、人嫌いなんでしょう? こんなところに……結界までめぐらせて、隠れ住んでるってことは」
「くだらない人間がきらいなだけ。そして大多数の人間は、くだらない」
「ボクもその一人だって思うんです」
マーリンは組んだ脚の上に本を開いていた。それはもう、エバから略奪した聖書ではなくて、『異世界学』という専門書だった。
「優遇はしていないわ。でも、あんたを――そうね、あんたのいう”その一人”にしておくのは、もったいないと思って」
どう説明したものか。マーリンは白い額に指を当てた。
「ユノ。この世界がなにによって支えられているかは知ってるわよね」
「金の竜と黒い竜」
「そう。でも、片方――黒い竜、ディアボロスはあなたが斃した。なんの因果か、」
マーリンはそこで、風呂場につづく廊下を見た。奥からエバの鼻歌がする。
「あの子にのりうつっちゃったみたいだけど」
「のりうつった……? じゃあ。エバのもともとは――」
「ふつーの人間でしょうね。まあ、その人格も、もうなくなっちゃったと考えていいけど。それより、」
マーリンは話をすすめた。
「金竜、つまり、人間が”善なる神”とあがめている神だけになってるわけよね、今は。まあ。”良心”というものが、人間社会を営む因子として重要なのは認めるけどさ。おかしなことに、人間という存在そのものが、自分たちでつくったその”信仰”に、耐えられるようにできていないのよね」
「信仰? 宗教なんですか」
フン。
マーリンはユノの疑問を鼻であしらった。
「ちったああたまはたらかせなさいよ。あんた、水の惑星から来たんでしょ? しかも、義務的に教育をしてくれる国の出身。自分で考える能力くらいあるでしょ」
「……考えちからっていうか。ボクが受けてたのは、どっちかっていうと、”従うちから”を養うための教育だったので」
「原始的ね」
マーリンは笑う気も起きなかった。
「じゃ、今から考えてちょうだい。ユノ、あなたはこの二柱の司る善だの悪だのってのが、いったいなにか見当ついてる?」
「善って、良いことって意味でしょう? 人の役に立つとか、そういうことじゃないんですか?」
「なかなかの洗脳を受けてきたみたいね。じゃ、悪は?」
ユノは戸惑った。が、答えた。
「人にとって、めいわくになること……」
「じゃ、すべての人間は等しく悪人よね」
「ボク、倫理の授業を受けてるんですか?」
「私が倫理を受けもつなら、まずは良いも悪いもなく、自分の好きなように生きなさい、と教えるわね。その過程で、自分にとってなにがよくてなにがだめなのか、判断をしなさいと」
ユノは、ヒザに置いた手をにぎりしめた。
かるく身を乗り出す。




