43.ループ
・前回のあらすじです。
『ユノとエバが、迷わないように森の木に印をつける』
エバは目をしばたいた。
森の浅いところに戻っている。
振り返ると、木々と海の向こうに煤煙が伸びていた。
遠近法で小さくなった、学都の北側である。
「ユノさん、私たち、また同じところに来てるんじゃ……」
ユノは前を行っていた。くるりとエバを省みて、首をかしげる。
「そうかなあ?」
「ユノさん!」
強くエバは言った。ユノの黒い両目が、ほのかに濁っている。
(魔法だ……やっぱり)
道を惑わす術があるのは、エバも王都の旅人が話しているのから小耳にはさんだことがあった。
だがそれも、特殊な道具を使えば看破できるという。
今のふたりにとって不幸だったのは、そうした、道案内型のアイテムの購入を怠ったこと。
そして、そもそもこの森にかかった魔法が、市場に流通しているような量産品でまかなえるほど、安価な技術によって張られているものではない。ということだった。
(意識まで操作してるんだもん。でも、だったら……なんで私には効かないんだろう)
魔法使いは、一般の戦士よりも呪に関して耐性や反発の作用が高い。それでもユノとのレベルの差異を考えると、エバだけ正気でいるのは不可思議なことだった。
あるいは――。
(私も……正気じゃない? ループしてるって思うのは、私の錯覚?)
気になったが、エバは疑うのをあとまわしにした。
ユノの服をひっぱる。
「さっき目印をつけましたよね、木に。もしまた同じところに出ても、分かるように」
「そうだっけ?」
「そうですよ!」
エバは声を張りあげた。
ビクッとユノが肩をゆらす。もともとまのぬけた顔つきが、一層ぽんこつになった。
――見覚えのある山毛欅の木を、エバは指さした。
「木の幹に、ユノさん自分の名前を彫ったんですよ。おぼえてないですか?」
あいまいにくちを歪めて、ユノはエバの示す大木に歩いた。
ぼこぼこの幹をのぞきこむ。グローブをはめた左手で撫ぜる。
「うーん。でも、なにも刻まれてないよ。エバの気のせいじゃ……」
木の幹には、彫り物どころか、切りつけたような跡もなかった。
「えっ」
とエバはすっとんきょうな声を出す。
駆け出して、ユノと同じように木をしらべる。
暑い樹皮におおわれた幹を、木に触れたまま一周する。
「……ない」
「ね?」
困惑した笑顔を向けて、ユノはエバをなだめた。
エバはかぶりを振る。
まだ湿ったままの本を、破れないようにゆっくりめくる。
もどかしい。
そろえた二本の指を木に向け、エバは呪文をつぶやく。
「斯くて果実は知恵を与えた。人の目を明かし、宿命から解き放つために」
エバの指先から電流がほとばしる。
――空間にひずみが出来る。
周囲にただよっていた香りが遠のく。
光の範囲にいたユノの目が、次第に輝きを取りもどす。
幻が取り払われた。
狭小な円のなかに、くろずんだ幹に彫られた印が現れる。
ユノ。と。
「これ……。ボクの切ったやつ?」
「はい。森に魔法が掛かってるんです。それで私たちは、何度も同じ場所を――」
――ぱちんっ。
火花が飛んで、魔法が閉じた。
森が幻影につつまれる。
息を大きくついて、エバは土の上にへたり込んだ。
彼女のちからでは、わずかなポイントを、ほんの数秒あばくしかできない。
「ユノさんの意識も、森のすがたも、魔法の影響でおかしくなってるんです」
「どうして?」
「わからない……」
今は正気のユノが、エバの横にかがみこんだ。幸いにも、妙な花の匂いは、まだ遠のいたままだ。
「なにか、魔物のいたずらかも。そうじゃなかったら――」
恐々とエバは自分の身体をかかえた。ぶるりと身震いする。
ユノは頭(のまともなうちに、鞄から薬を出しておく。
「エバ、さっきの魔法、魔力を回復したらまた使える?」
「あと二回くらいなら。でも、それ以上は、身体のほうが保たないかも……」
静けさがふたりを支配した。
去年迷い込んだ、【フォルクス=メルヒェンの森】をユノは思い返していた。
あのフィールドにも、旅人を惑わす魔法が掛かっていた。が、図らずも魔法の装置をユノが破壊したために、森はもとのすがたを明かした――。
「どこかに、魔法を展開するための像とかあるかもしれない。それを壊せれば……」
「像を? けど手がかりもないのに――」
花の匂いが濃くなった。エバは反射的に、自分のくちと鼻を手でふさぐ。
ユノも片手でしのごうとしたが、無駄だった。
ユノはフラフラ、また奥へと不毛な歩みをはじめる。
「マーリンって人のところに行くんだっけ」
「はああ……」
ユノの正体のない質問に、エバはため息しか出なかった。




