42.目印
・前回のあらすじです。
『シチリ島についたユノたちが、マーリンをさがしに森にはいる』
〇
森に入ると甘ったるい匂いがした。
ヒイラギに似た低木に、黄土色のちいさな花が咲いている。
ユノはキンモクセイを思い起こしたが、鼻孔にまとわりつく香りも、植物の造作も掛け離れている。
嗅覚に粘着質に残る匂いの性質が、彼の記憶を喚起したのだ。
エバも鼻をひくつかせて正体を追った。
「変な匂いがしますね。この花が原因なんでしょうか」
腰をかがめて、低木をつつく。ユノは先を指で示した。
「とにかく、進んでみよう」
花々をエバは振りかえり、それからユノについていった。
森は秋めいている。広葉樹がわんさと生えそびえ、赤味をふくみはじめた枝葉が、空をおおっている。
豊かな色彩の葉から漏れる光は黄金色で、下生えに反射したそれは、森全体を、清い色に染めあげていた。
「天国みたいだね」
「だったら困りますけど」
「そうかな」
ユノは軽く笑った。エバは眉をひそめる。
(においに中てられたのかなあ)
ユノの言動には酔ったような、『ハイ』になったような危うさがある。
(ミミル草の副作用かも。……もしくは、ルルル草の成分がすこし混じってたとか?)
エバはかぶりを振った。どちらかといえば、前者の――匂いが原因の気がする。
森林に漂う香気は、魔法力を回復する水薬からするものに近い。かなりパーセンテージが低いが、魔法用の飲み薬には、アルコールが含まれている。
サクサク。
ふたりは奥へ進んだ。
ゴッ!
と突風が吹く。木々が揺れる。
葉擦れの音がする。木の葉や土が舞う。
ふたりは目を閉じた。
風が止んで、ふたたび歩きだす。
「……あれ?」
エバはあたりを見まわした。
「どうしたの?」
ユノが立ち止まる。
ふたりは森のなかにいた。それは別段おかしなことではないのだが。
「ユノさん、ここ、さっき通りませんでした?」
不安げにエバは身をすくめた。
うしろを振りかえる。
遠く――木々のかなたに、都市と、白と黒の煙が揺れている。
「そうかな。似たような景色だからそう思うのかも……」
ぽりぽり。
額を掻いて、ユノは眉根を寄せた。
頭にぼんやり、かすみが掛かったような心地がする。こまかいことが考えられない。
それでもエバの疑問を無視するのは嫌だった。
「なんか、目印でもつけたほうがいいかな」
「そう……ですね。けっこう深いみたいだから、なにも無しだとほんとに迷いそうですし」
腰の剣を抜いて、ユノは手ごろな木をさがした。
近くにあった山毛欅の大木に切りつける。幹の模様と混同しないよう、目印は文字にする。
『ユノ』
と、自分の名前を彫った。
「これで、もし戻ってきても判るかな」
「大丈夫ですよ。たぶん」
自分に言い聞かせるようにエバは声を高くした。
ぬぐいきれない不安を抱えたまま、ふたりは再び森の探索をはじめる。
甘い香りがした。
嗅覚はもう匂いに慣れて、ユノもエバも気にならなくなっていた。
ふたりは森の奥に消えた。
ゴッ。
強風が吹く。
木の葉が舞いあがる。