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ロミ~魔法屋の娘~  作者: 大石次郎
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第1話 目覚めのパン

パンを巡る冒険です。

ソテツ類やカラフルな陸珊瑚がニョキニョキと生えた海沿いの並木道を私は『自力木枠輪転式乗用機』のペダルを漕ぎ、颯爽と走り抜けていた。用心の為、当然ソテツ材で補強した『自力木枠輪転式乗用機用ヘルメット』をし、さらに砂浜から海風に乗って砂がよく舞い散ってくるからゴーグルもしている。完璧っ。

補助動力も付いてる。それも最大で市販品の3倍のパワー! 盗難防止用に電気ショック機能も付けた。最初はちょっとやり過ぎて、ショックで半径5メートル以内の耐性の無い一般人を一撃で気絶させる攻撃力を持たせてしまって師匠にこっぴどく叱られたので、今は『直接触れて鍵を壊した者を物凄くびっくりさせる』くらいに弱体化させてる・・。

カタログや都会のカルチャー誌や工学書の画と酷い印刷の転写図とそれらの本文を解読して自力木枠輪転式乗用機を1から自作するのに2週間、乗りこなすのに更に1週間掛かったけどとにかくもう完璧っ! 私は風っ。

「おーいっ、ロミちゃん! それ何乗ってんのぉっ?」

磯で釣りをした帰りらしい、師匠の友達のヒラメ系海魔人のタクアンさんが道の向こうから歩いてきた。ヒラメ系の人はヒラメを釣ってしまったら気まずいんだろな・・。

「自力木枠輪転式乗用機でーすっ!!」

速過ぎて直ぐ擦れ違ってしまったがそれだけは伝えておいた。私の功績を!



私は自力木枠輪転式乗用機の業者ではない。市街地に入って、うねうねと坂を上り、幾つか角を曲がると私が暮らし、勤める魔法屋『海鈴堂』がある。2ヶ月ちょっと前までは私と師匠は人魚達の海底拠点の1つルピタポイに店を構えていたんだけど、そこは最近治安が悪くなってしまって、それなりの額の臨時収入も入ったのでこの島、カムヤエ島に移転してきていた。

実はルピタポイに店を構える前は海鈴堂は元々カムヤエ島にあったりしたから移住してきた、というより出戻ってきた、という感じなんどけど、その辺りの事情はまた別の話。

店先に取り敢えず自力木枠輪転式乗用機を仮停めして、私はゴーグルを外して前後に1つずつある車輪を入念に調べた。木枠が剥き出しだと乗り心地が悪いので平っべったくした厚いゴム紐を車輪に張り付けてある。このゴムの芯を空洞にして空気を入れたら更に乗り心地がよくなると思うんだけど、強度を確保する方法を今、考えてたりもする。まぁ、今はとにかく車輪チェックだ。

「犬のうんち、轢いてない。よしっ。猫のうんち、轢いてない。よしっ。蟹、轢いてない。よしっ」

チェック終わりっ。島では油断すると驚く程簡単に蟹を踏んだり轢いたりしてしまう。心優しく、ちょっとだけ潔癖な私は『蟹を踏まず、轢かない』ことに関して常に心を砕いていた。

「ただいま戻りましたぁ」

スタンドを上げて、自力木枠輪転式乗用機を押して海鈴堂の中に入った。まだ珍しい乗り物だから電気ショックじゃ守り切れないので店の受付の横の壁にいつも停めることにしていた。ヘルメットも取った。このメット、蒸れるから通気性に改良の余地がある。まぁ髪が短いからどうってことないけど。

「お帰りなさいお嬢様。仕入れどうでした?」

店の奥からタラ系人魚のネリィさんが迎えに出てきてくれた。島に来てから雇ったウチの家政婦さん。ぽっちゃりしてる。いい人だけどパエリア好きで、油断すると毎晩パエリアを作ってしまうからそれなりに警戒は必要だった。

「バッチリですよ?」

ドヤ顔で答える。私は別に遊びに出掛けていたワケじゃない。週に1度ある、魔法系業者専門の問屋街の朝市に行って魔法道具や魔法素材をあれこれ仕入れたり、逆に余剰になった品や試しに作ってみた魔法道具や素材等を売ったりもしてきた。売値が良かったから出費も少なかった。ドヤっ。

仕入れた品は全て腰に付けてるウワバミポーチの中。ウワバミポーチは重さをゼロにして、見た目の何倍も物を吸い込みまた取り出せる『生きてる』鞄だ。私のポーチは中に常温スペースと冷温スペースがあってどちらもちょっとした小部屋くらいの収納容量がある。

取り敢えず常温の品だけ空いてるテーブルの上にポーチから引っ張り出してドサドサと置いた。ウワバミポーチは生きてるから、あまりたくさんの物を入れっぱなししておくと具合が悪くなっちゃう・・。

「それは良かった。また今回も凄いですね。あ、お腹空いたでしょう? フリッターうどん、用意してありますよ?」

「やったー。でも先に帳簿つけちゃいます」

「では終わったら」

「ロミ、戻ったのかい」

ネリィさんとの話が終わらぬウチに師匠も店の奥から出てきた。師匠は海亀系海魔人なんだけど、珍しく背広を着ている。

「師匠、お葬式ですか?」

「酷い連想だっ」

この世の終わりのような顔をする師匠。

「島の魔法屋の会合だよ。ちょっと行ってくる。夕方には戻るが、難しい客が来たら他の店に回せばいいよ。ネリィさん、後はお願いします」

「かしこまりました。旦那様、お気をつけて」

「いってらっしゃーい」

師匠は一度、来客用の上着掛けの近くにある鏡で自分の姿を確認してからさっさと店を出て行ってしまった。亀系種族のお年寄りだけど意外と歩くの速いんだよね。

「・・何か最近、師匠すぐ出掛けますよね? そんな会合ってあります?」

ネリィさんが奥に戻らず、読まれたままになっていた来客用の雑誌ラックの片付けを始めたから、棚から帳簿を出しつつ聞いてみた。

「デートみたいですよ?」

「えーっ?!」

結構な高齢ですよ? 師匠っ。



帳簿をつけて、仕入れた品を簡単にしまい、私は店の奥のダイニングでネリィさんとフリッターうどんを食べていた。付け合わせはキュウリと海藻がたくさん入ったサラダ。デザートにマンゴーのキッシュも用意してくれていた。フリッターうどんのフリッターはカムヤエ島の揚げ物らしく生姜が利いていてスパイシー。美味しい。うどんの出汁も柔らかく仕上げられていて決め手のソイソースの加減も絶妙だった。と、

「来客ダヨッ! 来客ダヨッ! 人間レベル3! パタヤ族レベル4! 来客ダヨッ!」

ダイニングに置いてある。来客探知機能があるブリキの羊人形が騒々しく告げてきた。

「レベル低い。一般人かな? ・・うどんだけでも」

私は慌ててフリッターうどんの残りを平らげ、ちょっと噎せそうになった。

「お嬢様、危ないですよ? うどんは」

冷たいジャスミンティーを差し出してくれるネリィさん。うどんヌードルは麺が太いしね。

「んっぐっ、気を付けます。じゃ、残りも後で食べますから!」

私はそう言い残して小走りで受付に向かった。



制帽にしているマリンキャップをダイニングに忘れてしまったが、まぁいいかと受付に行ってみると、何だか奇妙な客だった。まぁ冒険者や役人や魔法系業種の者でもないのにやってくるのは大体変わった事情の客だけど・・。

2人の内、人間の男性は30代後半くらい。身なりはいいけど、何だかぼんやりした様子をしていた。もう一人の、私と同じ褐色の肌で小柄なパタヤ族の女性は中年でホテルの寝室係の様な格好していて、さらに海牛が3匹入った水槽を抱えていた。うーん、意味がわからない。

「お待たせしました。御用件は?」

取り敢えず事務的に受付てみる。

「食用の生のスパイクヴァームの葉を購入したいんですがありますか? できれば茎が付いている物で」

パタヤ族の方が言ってきた。人間の方はまだぼんやりしている。

「食用? 生で茎付きですか?? それでしたらマジックハーブの専門店を紹介しますから・・」

「もう行ってきました! 5店もっ! 物凄く値段が高いんですっ!!」

人間の男性が急にカウンターに身を乗り出してきた。ちょっと怖いっ。

「あ、そうですか。まぁそのオーダーだと店で買うと高くなってしまうのも致し方ないかと・・」

ムチャなオーダーをしてくる客に対しては普段ならもうちょっとビシッと言ってやるんだけど、2人の様子がわけがわからなすぎて歯切れの悪い受け答えになってしまう。

「やはり、そうですか・・」

2人は意気消沈してしまった。あー、コレ、絶対めんどくさいヤツだな。他の店か冒険者協会にパスした方がいいんだろな・・。そう思ってるんだけど、ついついこう言ってしまった。

「あの、よろしければお話伺いましょうか?」

当然2人は物凄い勢いでワケを話しだした・・。



それから小一時間後、私はカムヤエ島のマジックハーブ類の収穫エリアの1つ、エメラルドリーフヒルの地のエレメントの強い森の中をエアボードに乗って飛行していた。浅く発光する木々が多いので照明魔法を使ったりする必要はなかった。エアボードは島の観光客何かがよく乗ってるサーフィンの板を小さくして、足の固定台を付けた構造をした魔力をチャージして飛行する魔法道具。燃費は悪い。森を素早く飛ぶのは危なくもあって、近くまで乗ってきた自立木枠輪転式乗用機に乗る時に使っているヘルメットとゴーグルをそのまま付けていた。

木や枝にぶつかりたくないから、本当は森の上空を飛びたいんだけどエアボードは地面から離れ過ぎると不安定化してしまう。かといって森の足場は悪いし、結構強い野生のモンスターもいくらか徘徊している。以前は護符等で守られてわりと安全な林道と繋がった移送魔法バダーンの発着場があったんだけど、最近モンスターに荒らされてまだそのままだった。あまり時間もないし、飛んで突っ切るしかない、というワケ。

「・・これで報酬10万ゼムは安いわぁ」

思わずボヤいてしまう。100ゼムで美味しい食パンが買えるけど、生の茎付きのスパイクヴァームはそんなに安くないし、普通、魔法屋は野外でハーブの収穫までしない! でも仕方なかった。2人の奇妙な客の事情はやっぱりかなり厄介だったから。



事の発端はぼんやりしていた人間の男性の客、トリア・ナカジマだった。彼は島からわりと近い所にあるパスコザキ王国で有名な加盟店70店を越えるベーカリーチェーンを率いる新進気鋭の事業家にしてカリスマパン職人だった。私も新聞や雑誌の転写図で何度か見たことがあったがあまりにも覇気の無い様子になっていたからわからなかった。

トリアはバカンスでカムヤエ島を訪れていたんだけど愛人2人! とビーチ近くを歩いていたら突然『灰降りの魔女』と遭遇っ! 問答無用に魔法で愛人2人を海牛に変えられ、元に戻したくば指定のマジックハーブを使って3日後に自分を満足させ、魔女の感情と連動している? らしい飼っている竜が目覚める様なパンを3つ作れ、と命じられた。

トリアは当然驚いたが、しかし地元の冒険者協会や島の役人には届けず言われた通りパンを開発することにした。なぜか? それは・・・トリアが自信満々な男だったからっ! パスコザキ王国でパン職人としてブイブイいわせてたトリアは余裕で魔女を満足させられると高を括ったワケ。確かに私が読んだインタビュー何かでは大抵傲慢な意識高い、イキり散らした発言ばかりしていた。

そして3日後、凝り凝った、手の込んだ最新の王都風創作マジックハーブパンを魔女と出した所、これが大不評! 竜も全く起きず、怒った魔女は居合わせた運の悪いホテルの給仕長まで海牛に変え、更にトリアの『社長としてブイブイいわせてた記憶』を全て奪い、また3日後に同じお題でパンを3つ作れと命じてきた。今度失敗したらお前も海牛に変えてやる! と脅して・・。

というのがトラブルのあらまし。パタヤ族の女性、ラッグさんは運悪く居合わせて海牛に変えられたホテルの給仕長の奥さんで同じホテルの寝室係主任らしい。とばっちりもいいところだった。

トリアは記憶を奪われた影響で頭がちょっとぼんやりして、何がどうなったか巻き込まれたトリアが滞在していたホテルの従業員に聞かないと上手く把握できないくらいで、自分の口座からお金を引き出せなくなってしまった上にどうも部下からの人望に難があったらしく、水晶通信でどうにか連絡を取った会社からもお金を出してもらえず、それどころかこれを好機とばかりに役員会で社長を解任されそうになってしまい、魔女に海牛に変えられる前に社会的に抹殺されそうになっていた。金欠だったのはその為。

それでも手持ちの資金と身に付けていた高価なアクセサリー等を売ってどうにかスパイクヴァーム以外の材料は揃えられたが、そこまででどうにも資金が足りなくなって海鈴堂にやってきていた。

灰降りの魔女はカムヤエ島の西にある島を根城にしているレベル30を越える超危険なヤツ。ただ、依頼としてスパイクヴァームを安く売ってくれ、というだけのものだし、自業自得なトリアはともかくラッグさんは可哀想だし、夕方には師匠も帰ってくるし、まぁいっか、と引き受けることにした。いつも店番を頼んでいる近所の無職の人が間が悪く不在で店を閉めることになっちゃったけど10万ゼム先払いしてもらったからいいでしょ?

そんな安易なノリで引き受けて現在に至った。ちょっと後悔・・。



森に入る前に音波探知魔法ジーンで安全確認した範囲まで来たので。近くのちょうどいい太い幹に着地して一先ず座って鬱陶しいゴーグルを上げた。それからウワバミポーチからネリィさんに油紙で包んでもらった昼の残りの冷めて少し固くなったマンゴーキッシュと水筒を取り出した。

「あー、疲れた。森まで自力木枠輪転式乗用機漕いできたの失敗だったよ・・」

ケチらずタツノオトシゴみたいな形をした乗用獣ウェイブランナーをレンタルすればよかった。浮遊しているウェイブランナーなら森の中まで入れるし。私は自分の貧乏性にうんざりしつつ、マンゴーキッシュを齧り、水筒の温かい蜂蜜コーヒーを啜った。

「着替えるのめんどくさいからそのまま来ちゃったけど、さすがに無防備過ぎたかな?」

落ち着いてくると海鈴堂の制服、といっても私が勝手に作ったヤツだけど、上は半袖のスタンドフリルシャツにベスト。下はガウチョキュロットにタイツ。という格好はモンスターが徘徊する森に立ち入るには随分いい加減だった。以前はもっと身体の線が出ない長袖の格好をしていたけど、年中殆んど気温が上がらない海底のルピタポイと違ってカムヤエ島はバリバリの熱帯気候。それに男装みたいな格好が息苦しい様な感覚も最近あって、今の制服にした。

まぁでも一応魔法屋の従業員だから物理耐性+1のアンクレットを左足に、ベルトのバックルには毒物耐性+1を付与、魔法耐性+1の腕輪は右腕に、精神耐性+1のチョーカーも首にしてる。腰の後ろの鞘には念力を出し、多少は魔法の媒介にも使えるマグネットタクト+2も納めてる。それなりの装備ではある。と、思う・・。

「戦いにきたワケじゃないし、ま、いっか」

今さら考えてもしょうがない、と切り替え、私は座ったままマグネットタクトを鞘から抜いてこれから進むルートに向けて構えた。

「ジーン!」

音波探知魔法を使った。音波がタクトで示した方向に拡がり、それが跳ね返ってくる。

「う~ん・・あ、いた。1体。シシオオカミの亜種か。向こうも音波に気付いちゃてるね。めんどくさぁ」

シシオオカミはその名の通り猪と狼の中間の様な姿をしたモンスター。この森の亜種は背にマジックハーブ類を生やしていて回復能力がある。わりと大きな個体だった。走力が高く、鼻もかなり利く。

「・・迂回しよ」

戦闘は無い方がいい。私はあっさり遠回りを決めた。



灰降りの魔女が飼っている竜はずっと眠っているらしい。呪いの眠りで普通の魔法では解けないとか。魔女は竜の呪いの魔法式をイジって『魔女も納得する美味しい食事』を媒介とした解除法を有効にした。強い呪いに対し違う理屈で魔法式を解く、という方法論は魔法屋でもよく使う手だけど条件付けが特殊過ぎる気はした。マジックハーブ調理に長けた魔法食材調理師ではなく、何でイキってはいても普通のパン屋チェーンの社長のトリア絡んだのかも謎だった。



「・・魔女の気まぐれ、みたいな?」

エアボードで飛びながら改めて考えてみたけどよくわからなかった。

「・・・・っ?!」

ビクっときたっ! 私の能力『敵意探知』に引っ掛かった。師匠の養女になって魔法屋で正式に働く為に錬成師の資格を取る段で、適性があるから、とついでに取得した能力だった。別に殺し屋とかじゃないからあんまり育ててなくてそんなに精度は高くないけど、知性の低いモンスターの単純な闘争心くらいは探知できる。

まだ距離がある感じ。でもエアボードより早い速度で追ってきてる感じ! 私は手近に露出していた、多分、土の属性触媒マッドジェムの原石を含有している岩場にエアボードを急着地させた。岩場の陰にいた無害な小型モンスター、リーフラットの小集団が慌てて逃げてゆく。

「ごめんね。何もしないから」

と棲みかを荒らしたことを謝りつつ、大まかに探知した方向に視線を向け、私は両手の人差し指と中指だけを伸ばした形でこれを両目の前に掲げた。知らない人が見たら新しい挑発ポーズと勘違いされかねないし、目が疲れるし、魔力の燃費も凄く悪いが、ここでまたジーンを使って音波を出すと完全に居場所を特定されてしまう。

「目が疲れるけどやるしかないっ。オリャっ!」

気合いを入れて『魔眼・透過望遠』の特技を使った。これは錬成師の試験を受ける前から使えた私の固有特技。覚えた経緯はまた別の話・・。

とにかく魔眼を発動させ、木々を透過し、視覚を拡大させ、遠くにいる目標をハッキリ捉えた!

「うわっ、デッカっ! やっぱさっきのシシオオカミかぁ。これはやり過ごせないか・・」

私は魔眼を解除し、素早く目薬を差し、エアボードを浮かせ、今まで座っていた場所にウワバミポーチから取り出し消臭剤を振り掛け、自分にも消臭剤を振り掛け、少し離れた高い位置の木の幹にボードを着地させた。

そこでポーチから潜入魔法シーヌのロール、命中精度強化したをパチンコ+1、辛味を強化した唐辛子玉+1、普通の干し肉を取り出した。習得が難しく、適性を問われるシーヌの魔法は姿や気配等を指定して効果時間内消すことができる。私はロールを開いて『姿』を指定し魔法を発動させ、透明化した。シーヌのロールは高価で1本2万ゼムはする! しかも規制が厳しく、あんまり市場に出回らない。最悪っ。

「くっそ~。赤字にする気かよっ」

最近、師匠がめちゃくちゃ高価な『ミスティックタワー』というどこにでも出現させられる霧で覆われた塔の魔法道具を私に相談もなく買ってしまったから、実は海鈴堂はわりと経営難なんだっ。ネリィさんも雇ってるのにっ。私はちょっと泣きそうになりながらマグネットタクトで干し肉を操って、ここから狙い易そうな木の根の辺りに配置した。さらに、

「ロアっ!」

烈風魔法を発動させて、干し肉の臭いをさっきシシオオカミを確認した方向に飛ばした。

「っ!」

敵意が凄い勢いで近付いてくる! 喰い付いたっ。私は息を殺し、パチンコに唐辛子玉をつがえて攻撃に備えた。来い、来い、来い、来いっ・・・・・来たっ!

「フゴォオオーーッッ!!!」

林の陰から猛烈な速度でシシオオカミ亜種が現れたっ。闘牛用の牛くらいのサイズがある。勿論、牛ではなくモンスターだ。口の回りに生えた牙は生半可な岩なら砕いてしまう。背中に生えたマジックハーブ類はレアな素材だったけど、食用にするのは難度が高過ぎる。スパイクヴァームも生えてはなかった。

シシオオカミ亜種は躊躇なく、干し肉に喰らいついた。今だ!

私はパチンコで唐辛子玉をヤツの鼻先に正確に撃ち込んだっ。パチンっ! 唐辛子玉が弾け、シシオオカミ亜種の鼻と目を容赦無く強化した唐辛子パウダーが襲うっ。

「ギャフゴフゥウウンッ!!」

大暴れするシシオオカミ亜種っ。近くの木を1本、体当たりの1撃でへし折って叫びながら逃げ去っていった!

「よしっ」

普通の動物なら呼吸困難で死んでしまいかねないけど、その強靭な体力と背中のマジックハーブ類の力で2時間も掛からずケロっと回復してしまうだろうけどそれで十分。ここからスパイクヴァームの収穫ポイントまでもうすぐだし、帰りは森の外に置いた自力木枠輪転式乗用機に魔法式のマーキングをしてあるから移送魔法のバダーンで1発で帰れる。

「もう一息、がんばろっ」

まだ持続時間内だったけど、透過化したままだと身体の感覚が掴み辛くでエアボードの操作が危ういから、シーヌのロールによる透過化を解除し、私はふわりとエアボードに乗り直し、森のさらに奥へと飛行を再開させた。



それから10分も掛からず森が開けた、一際、地のエレメントの強いマジックハーブ類の群生する原っぱに到着した。様々なマジックハーブの濃密な芳香と気に当てられて息を吸い込み過ぎるとクラクラするくらい。ここはエレメントが強過ぎるのと森の精霊や妖精達のテリトリーだから移送魔法のマーキングはできない場所でもある。

実際、原っぱにはいずれも熱帯種の、羽の生えたウッドピクシーや土の塊みたいなノーム、植物の精ドリアード何かがちらほらいた。

「着いた! よいしょっと」

私はエアボードを原っぱの片隅に着地させ、固定機から足を外した。

「足首痛ぁっ。エアボード苦手だよ」

私は足首に湿布を貼り、念の為、回復魔法リーマも掛け、エアボードをウワバミポーチににゅるっとしまった。あんまりモタモタしていると、妖精や精霊達に注目されてちょっかい掛けられてしまう。

「早く済まそ」

スパイクヴァームの生えてる所は覚えてる。足首の調子を確認してから私は関係無いマジックハーブを避けて、目当ての場所に早足で向かった。

「・・・あっ! これこれっ。ちょっと育ち過ぎてるかなぁ?」

スパイクヴァームがわしゃわしゃ生えてる所まで来た。小柄な私より大きく育っている物が多い。その名の通り青紫蘇の様な葉の縁が普通の人が素手で触ると指を落とされかねない程に鋭いトゲになっている。

「これは柔らかそうだし、気も満ちてる感じ。これにしよ」

私はウワバミポーチから剃刀だってバキバキ握り潰せる防護グローブ+1と、下手な武器よりよっぽど強力な柄の長い剪定鋏+1を取り出した。グローブを嵌め、鋏を構えた! と、スパイクヴァームが刈られるの察したのか微妙に応戦する様な挙動をしてきたっ。

「何だよ? この海鈴堂の2級錬成師ロミ様とやろうっての? と、言った側からタピオっ!」

私は素早く腰の後ろの鞘からマグネットタクトを抜いて眠り魔法を唱えた! 不意打ちが利いたのか? とにかくスパイクヴァームはへなへなになって眠りについてしまった。

「他愛もない。くっくっくっ・・」

とひとしきり悪人ムーヴをしてから、起きてしまう前に剪定鋏にサクっと3房程スパイクヴァームを採集した。

「これでよしっ。クエスト完了! でも切りっぱなしにはしないからね」

私は切った部分に回復薬のポーションを半分程振り掛けた。見る間に元通りにスパイクヴァームが生え揃った。魔法だけで回復させると水分が足りなくなったり根本の土が痩せてしまってりするから実体のあるポーションを使った方が無難。ここって、島の魔法系業者皆が利用しているからちゃんとリポップできるようにしとかなきゃなんだ。

半分残ったポーションは1度封を開けるとすぐ劣化するから飲んじゃうことにした。もったいない。

「んぐ・・・?? え? これ何味」

体力回復効果はバッチリあったけどよくわからない味がしたので成分表を見てみた。『トロピカルノスタルジー味』と書いてある。

「トロピカルノスタルジー味って、何味よ??」

メーカーに問い合わせたいくらいだっ!



トリアは泊まってるホテルの近くにある小さな調理スタジオを借りていた。ここでラッグさんに手伝ってもらいながら、熱心に魔女を納得させる3つのパンの開発をしていた。海牛の水槽は端の方に置いてあった。餌とかどうしてるんだろ・・? ま、それはそれとして、スパイクヴァームを届けると2人は大喜びだった。

「ありがとうございました! これで何とか材料は揃いました」

「夫を助けられるかもしれませんっ」

大丈夫かなぁ? 勝算あんのかな?

「いや、報酬はもらいましたし、いいですよ。それよりスパイクヴァームや他のマジックハーブ類の下処理、できますか? 記憶がアレみたいだけど・・」

「あっ、それは問題ありません! 奨学金でパスコザキ王立第一製パン学院を卒業して故郷で父のパン屋を継いだ辺りまでは覚えているんです。私は魔法食材専門ではありませんでしたが、基礎的な処理は学院で習いました」

「あ、そうですか。ならいいんですけど。というか、最初、どんなパンを作って魔女を怒らせたんですか?」

ちょっと興味あった。

「レシピが残ってました。これです」

トリアはレシピを見せてくれた。

「何々・・1つ目、前菜パンは新王都風ブルスケッタ。この『新王都風』って何ですか?」

「まぁ早い話、バケットの片面を香り付けしたオイルで浅く揚げ焼きにした乗せる具材にソースを多用する調理法です。最近王都で流行ってるみたいで・・」

「小洒落てますね。鼻に付きます」

鼻に付きます、は言い過ぎだと言ってから思い至るが思ったことをすぐ口に出してしまうのでコントロールが難しい・・。トリアとラッグさんを苦笑させてしまった。以前の私ならむしろ『言ってやった』と得意になってたけど、最近こういうやり取りになってしまうのがちょっと気まずい。

「ですね。今の私・・いや、現在の私たからすると昔の私になってしまうんでしょうけど、私、からすると、技巧に走り過ぎてるというか、これは美味しい料理ではあると思うのですが、少なくとも『美味しいパン』を求めた方に前菜として出すのはちょっと違うような気がします」

「う~ん、他の2つのパンは似たりよったりですねぇ」

「はい、あの魔女がなぜ私を指名したのか? ただの気まぐれかもしれませんが、記憶を飛ばされる前の魔女が失望する顔、それは覚えているんです。ただのわがままではなく悲しそうでした。私は次のパンはパン職人として素直なやり方でパンを焼いてみようと思います」

トリアの目には本気の光があった。

「そうですか・・。わかりました。今日はもう夕方まで店を開けないでよいので、私も手伝いましょう。調理や製パンの専門ではありませんが、マジックハーブの扱いは貴方より詳しいですから」

別に夕方まで店を開けずにしておいてよいワケじゃなかったけど、ここまで来たら手伝うのが筋でしょう。

「いいんですか? しかしもうこれ以上報酬は」

「出世払いじゃないですけど、無事解決したら何か・・スコーン。冷蔵便ならパスコザキ王国からでも遅れるでしょう? とびきり美味しいのを送って下さい。お代はそれで結構です」

師匠もネリィさんも、お茶の時のスコーン好きだしね。



夕方までみっちりパンの開発に付き合い、どっと疲れて海鈴堂に戻ると既に事情を了解した師匠が呆れ顔で待っていた。ヤバっ。

「ロミや、私は厄介な話は他所に回しなさい、と言ったはずだよ?」

「でも私が受けたのはハーブを取ってくるだけでしたし、まぁ報酬は安かったし、帰りも遅くなっちゃったけど・・」

「灰降りの魔女は、負の灰を振り撒く悪魔『アッシュリング』と契約した強力な魔法使いだ。1つの島を拠点として、配下の軍勢の規模もある。事が大事になれば戦争になってしまうんだよ? 相手が横暴であってもそこは関係ないんだ」

「でもそれなら私が対応しなくても誰が対応しても同じじゃないですかっ」

「島の役人や冒険者協会も黙って見過ごしてはいないよ? トリアさん、だったか? 素人の彼が勝手に動いて騒動を大きくするんじゃないかとやきもきしている。一通り根回しはしておいたけど」

「でも、だからっ、誰かが何とかしないと何にもならないですよ?!」

小言ではなく本当に注意を受けるのは久し振りだったから涙が出てきてしまった。不覚っ! ここで本当ならもう帰ってる時間なのにまだ居てくれたネリィさんがそっと、寄ってきてくれた。

「お嬢様、お疲れでしょう? お風呂の用意ができてますよ? ゼイルッフ様もお話の続きは後にされては?」

「・・そうしよう。すまないね」

師匠はため息をついて自分の書斎の方に引っ込んでしまった。私もなるべく『泣いてはいるがヘタレたワケではない』というスタンスの表情をキープしてネリィさんに促されるままお風呂に向かった。

浸かったお湯には花のハーブが使ってあって落ち着いた。

お風呂から上がると私は感情的にならない様に気を付けて詳しく状況を師匠に話、師匠もなるべく説教にならない様に言い回しを気を付けて受け応えてくれた。

お風呂から上がるともうネリィさんは帰っていたけれど、その日、用意してくれていたいつものパエリアはいつも通りの味だった。



翌日、私は今度はしっかり師匠に断ってから時間を作り、午後にトリア達のキッチンスタジオに向かった。

「あれ? ロミさん。今日も来てくれたんですか?」

「スコーンが好きなんです」

昨日、色々あった事は勿論伏せる! 私は何食わぬ顔をした。

「今日も夕方まで手伝います。魔女は明日の昼に、ホテルに現れるんですよね?」

「ですよねラッグさん?」

作業に関しては意識がはっきりしているが、そこから離れるとちょっとぼんやりしてしまうトリアだった。

「はい、確かに。もうホテル側は諦めている様ですね」

「当日も私と、私の師匠がフォローします。バックに島の警備局と冒険者協会の人達も控える予定です。マスコミも何とか押さえてくれているようです」

「そんな大事にっ・・すいません。何だか他の事にまるで気が回らなくて」

「大丈夫です。もうこうなったらやり切るしかないですからっ。私達も全力でサポートします。今日はもう時間が無いですから、試食を色々してみましょう」

「試食ですか? このパンはマジックハーブの含有量が多いので中々・・」

そう、薬効が強過ぎて魔女ではない者では試食が儘ならないことが1つのネックだったが、師匠が島にいる他の穏健派の引退した魔女や魔女見習いやバカンスに来ている現役魔女何かに話を付けてくれて試食のアテはできていた。

「大丈夫ですっ。わたくし、魔法屋海鈴堂2級錬成師ロミにお任せあれっ!」

そこからもう大忙しだった。協力してくれるはずの在カムヤエ島の魔女達は魔女だけに気まぐれでトリッキーな人達ばかりで、味覚が独特だったり、何を言ってるかよくわからなかったり、蛙に変えられそうになったり、誘惑されたり、全員に試作パンを配って感想を聞くだけで大仕事っ。

これで追加報酬が『美味しいスコーン』だけとは・・記憶が戻ればもっと引っ張れそうだけど、今さら言い出すのはカッコ悪過ぎるからどうしようもなかった。トホホ・・。



そして日が変わり、灰降りの魔女にパンを出す当日になった。場所はラッグさんの勤めるホテルの簡易厨房付きの中ホールだった。私、師匠、トリア、ラッグさん、海牛の水槽が中で、ホールの外には警備局や冒険者協会の人達がいざという時の為に待ち構えていた。

魔女が来る時間は決まっている。私とラッグさんは落ち着かなかったけど、トリアは粛々と時間に合わせてパンを焼き、釜を調整していた。師匠は念の為、と灰封じの魔法式をホールに忍ばせると「来たら起きる」とだけ言って居眠りし始めてしまった。

「夫、大丈夫でしょうか?」

「正直わかりません」

運の悪さもありましたね、と続けて言いそうになったけど、何とか堪えた! 偉いっ、よく耐えた私っ。

「また会えたら2人で旅行に行ってみようと思います。これまでずっと忙しかったから」

「いいですねそれ」

ラッグさんと笑い合っていると、魔女の時間になった!


ズズズズ・・・


ホールの中空に2つの灰の渦が生じてそこから奇怪な箒に乗った魔女と、目を閉じた竜? らしき頭部の様な物が現れた。

その頭部には3つの閉じた目があり、液体状にとろけ混ざり合っていた。

「何か、竜が、思ってたのと違う・・」

「魔女の宴の賭けで敗れらしいよ」

いつの間にか起きていた師匠が近くにいた。

「眠りの呪いは強く、それを解く為に強引に魔法式を描き変えて形を保てなくなっているんだろう。処置がこれ以上遅れるとあの竜はもうダメだろうね」

灰降りの魔女はトリアを睨み付けた。

「今度は失望させないでしょうね?」

「勿論ですっ。しかし魔女よ、なぜ私なんです? あなたはまるで私よりも私のパンに拘りがあるようです」

「・・自惚れるな。ほんの少し前、お前がまだ駆け出しの頃に焼いたパンをたまたま買って、たまたま覚えていただけだ」

「そうでしたか・・」

この答えに師匠はこっそり小声で補足してきた。耳がこそばゆいっ。

「たまたまではない。灰降りの魔女はパン好きでよく人間に化けてあちこちでパンの食べ歩きをしている。しかし人ではないので時間の感覚が違う。以前気に入っていたパンを焼く職人がいつの間にか腑抜けていて癇癪を起こしたんだろう。魔女は自分がこの世の道理から外れていることを突かれると大体癇癪を起こすからね」

「そこっ! 何をモショモショ話しているっ」

若干赤面した灰降りの魔女が一喝してきたが、師匠は知らん顔していた。

「まぁいい。私は時間を指定した。パンは焼けているんだろうね?」

灰降りの魔女は露悪的なくらい横柄に言って、ふわりと箒から降り、座席に着き、不定形な竜の頭部も近くに呼び寄せた。ラッグさんが慌てて水を持ってゆく。魔女はラッグさんの事は見もしなかった。

「はい、勿論です。1つ目の前菜パンは・・こちら、『7種の野菜丸パン』です」

トリアが差し出したマジックハーブたっぷりな人間では食べれない、しかし、見た目は素朴な小さな7つの丸パンだった。いずれもシンプルな味付けの野菜ペーストを練り込んでいる。

「問題は味よ」

魔女は1つ口に運んだ。

「っ!」

魔女の動きが止まる。どっち? そのリアクションどっち?

「・・生地の練りは悪くないわ。野菜の下処理も下品にならないギリギリな加減を心得ている。水分の加減は湯焼式でしょうね。ホテル簡素な窯で仕上げたのは統制できたと見るべきでしょう。残りは食べなくてもわかる。これは30年代の形式の・・」

凄い喋りだした!!

「・・まぁ、悪くはないわ。ガツ、お前もお食べ」

魔女が指し示すと残りの丸パンは浮き上がり、目を閉じたまま口を開けた不定形の竜の口に入っていった。途端、3つある1つの目の上に複雑な魔法式が浮かびそれが砕け散り、竜の目が1つ、開いた! すると竜の形が少し安定化してきた。

「次のパンを出しなさい。ドリンクは水だけでいいわ」

牽制されて慌ててティーポットを引っ込めるラッグさんっ。

「メインのパンはチーズとオニオンのサワーブレッドです」

トリアさんは魔女の目の前で熱々のサワーブレッドをカットして見せた。切り口からオニオンまみれのチーズが溢れだすっ。魔女は思わずナプキンでよだれを拭った。

皿に取り分けられた魔女の為のサワーブレッドをナイフとフォークで口に運ぶ魔女。前菜の時と違い、一言も口をきかない。魔女は7割程食べると手を止めた。

「危ないわ・・ガツの分を食べ切るところだったわ。私に罠を掛けたのね?」

「いえ、そのような・・」

魔女はまた竜に食べ残しのパンを与えた。竜の呪いは更に解け、2つ目の瞳が開き、形がさっきより定まった。

「デザートはビターオレンジシナモンロールです。今のチェーンではなくなってしまったようですが、父が開発したウチの店の名物でした。マジックハーブに合わせて調整しています。スパイクヴァームの苦味と物理的な葉の固さに苦労しました。しかしロミさんの助言で加工法を改良し・・」

「前置きが長いっ! パンの香りが飛んでしまうっ。私に挑んでいるの?!」

「いえ、そのような・・」

トリアは最後のデザートパン、ビターオレンジシナモンロールの皿を灰降りの魔女の前に出した。

「ルックスは悪くないわ。問題は味よ。私に抜かりはないわっ」

宣言し、無駄にトリアを睨み付けてから魔女はビターオレンジシナモンロールを豪快にかぶり付いた。

「・・・」

しばしシャクシャクと咀嚼し、飲み込み、ラッグさんが最初に出した水を初めてそれも一気に飲み干した。

「ふうっ・・そう、こういうのでいいのよっ! ホホホホホホっ!!!」

爆笑しているっ。何だろうこの人。私が師匠の方を見ると肩を竦められた。

「・・・ガツ、それからアッシュリング、お前達もお食べ」

灰降りの魔女は残りのビターオレンジシナモンロールを2つに分け、竜と魔女の背後に現れた灰でできた大きな鉤爪を持つ、人と獣と蛇の中間の様な悪魔に与えた。

竜は最後の魔法式を解き、3つ目の瞳を開き完全に形を取り戻した! 胴体はホールに開けられた灰のゲートの向こうにあるままだったが、首から上の姿はかなり改造されているが物理戦に特化した砕突竜の成体だった。レベル23くらいかな? 強力な竜族だ。

悪魔アッシュリングはシナモンロールを食べることは食べたが「甘イ、小麦、ダ」とだけ呟いただけだった。

「用は済んだわっ!」

灰降りの魔女はアッシュリングを灰の渦に変え、それを逆巻かせてホールの中空に浮かび上がり箒に乗り直し、甘えてきたガツという名らしい砕突竜の顔を一撫でした。

「約束は果たそう」

魔女はニヤリと笑うと右手をスッと横に引いた。すると海牛の水槽の水が吹き上がり、給仕の格好をしたパタヤ族の中年の男性、それからいずれも獣人体の姿で水着に軽く上着を羽織っただけのワーキャットの女性とワータヌキの女性がフロアに投げ出された!

「貴方っ!」

「おおっ? ラッグっ! 戻ったのか私は?!」

夫に抱き付くラッグさん。よかったね。

「何これぇ? 何か生臭いしっ」

「ほんと最悪だわぁ」

愛人2人もまぁ無事みたい。というかイケイケだった本来のトリア、獣人フェチだったんだ・・普通に引くっ。

「ハッ?! 私は・・」

トリアも記憶を取り戻したようだ。戻らない方が良かったんじゃない? 職人としても、人としてもっ。

「トリア・ナカジマよ。お前がこれからどんなパンを焼くかは私は知らない。だが、今のお前にもう多くは期待しない。そして褒美はやろう・・ホホホホホホッ!!!」

灰降りの魔女は灰ではなく、金貨を降らせながら灰の渦の中、竜と共に消えて去って行った。

師匠は自分のマグネットタクト+3で金貨を1つ拾い上げ、しげしげと見詰めた。

「ふむ、これは旧時代のパスコザキ王国の金貨だね。ホテルの保証金や諸々の材料費を差し引いても一財産になる。トリアさん、また事業を拡大させますかな?」

トリアは考え込み、それからラッグさんと私を見てから師匠に向き直った。

「・・いえ、さすがに懲りました。余剰な分は福祉や王立製パン学院の苦学生の為に寄付します。会社の事も1度本国に帰ってから話し合ってみようと思います」

「それで」

よかったんじゃないですか? と言おうとしたら愛人2人が物凄い剣幕でトリアに詰め寄り、ワーキャットの方が右頬にワータヌキの方が左頬に強烈なビンタを炸裂させたっ。ええっ? 今、私はいい感じで締めようと思ったのにっ。

「最低っ!」

「ダッサ。日和り過ぎ」

「ウチら手切れ金にこの金貨1枚ずつもらってくからっ」

「マジ無いわっ」

「粗チンっ!」

「下手クソっ」

代わる代わる毒を吐いて愛人コンビはホールから出て行き、外で待機している警備局や冒険者協会の人達を困惑させた・・。

「まぁ、当然ですね」

両頬を腫らして、しかしさっぱりした顔でトリアは微笑んでいた。

「案外大したこたなかったじゃないですか、師匠?」

私はまだ泣かされたことをちょっと根にもっていた。

「灰降りの魔女と接触するのは20年ぶりくらいだよ? 時と共に魔女は心を失うこともある。どれだけ危険か、判断がつかなかったんだ、ロミ」

師匠はそう言って今日は被っていたマリンキャップに頭をポンっと手を置いてきた。

「そういうことなら別にいいんですけどねっ」

子供扱いされてちょっと気恥ずかしくなってしまったが、とにかく、これで解決っ!



・・で、こっからちょっとだけ後日談。約2ヶ月後、雨季に入ってカムヤエ島が雨ばかりになった頃のとある午後、冷蔵便でトリアからスコーンが届いた。別に初めてのことじゃなくて、あれから月に1度、トリアから試作品のスコーンが届くようになった。別に毎月送ってほしいと言ったワケじゃないんだけど、トリアは毎月送ってくれて、ちょっと申し訳ないくらいだった。

トリアは本国に帰った後、結局他の役員と折り合えず、社長職を自ら退き、今度は古典的な素朴なパンの店と最新の流行を取り入れたパンを出す店を別々に展開し始めて好評らしい。新しいやり方を完全に捨てない辺りが記憶が戻った、というか、昔と今が繋げられた様で、私は何だか安心した。

「やっぱり紅茶ですよね?」

「私はなんでもいいよ? ロミは?」

「異存無しっ。包み開けちゃいますよ?」

「あ、待って下さいっ。私も見たいです!」

外側は少し雨に濡れていたけど、しっかり梱包された包みを広げ、箱を開けた。たちまち甘く芳ばしい香りが海鈴堂のダイニングに拡がった。箱に整然と並べられた試作スコーン達っ! はるばるパスコザキ王国からやってきた。

「今月はビワとイチジクを推されてますねぇ。あっ、でもコーヒー味もありますよっ。惑わしてきますねぇ」

「師匠、灰降りの魔女も使い魔に買いに行かせそうですねっ」

「いや、おそらく人間に化けて自分で買いに行くよ。あの魔女はそういう律儀なところがあるから」

「そうなんですかぁ? ちょっと変わってますよねぇ。人騒がせだしっ」

私はビワのスコーンを1つ摘まみ上げてみた。きっと創意工夫の途上にあるスコーンは、ピカピカに光っているようだった。

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