表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イェル姫と白の城塞  作者: 八点鐘
5/5

【5】

 イェル姫は両開きの扉を勢いよく開け放った。そして、大股に〈窓の間〉へと入っていった。

 いつの日かと同じように、甘い香りが誘うように当たりに立ち篭めている。

 イェル姫は己の剣を、窓へと打ちつけた。


 コーーーーーン!


 いつかと同じように音が響き渡る。しかし、それを咎め諌める者は、もう誰もいない。

 四方からひしひしと迫り来る孤独と死の気配に怯え、やがては啜り泣きながら、イェル姫は窓を叩き続けた。


 どのくらい叩き続けただろうか。

 剣は既に折れて柄だけになり、手も指も肉刺や切り傷で血まみれになっていたが、それでもイェル姫は窓を叩き続けていた。

 〈白の城塞〉を支配しはじめた死と孤独から逃れるために。

 二人の命を背負って、外へと出て行くために。

 白の城塞はしんしんと冷えていくようだ。このままここに居たら、凍え死んでしまう。

 この、暖かい窓から、早く外に出なくては。


 どのくらい叩き続けていただろうか。

 手応えが突然軽くなった。窓に罅が走り、外へとへこみ始めたのだ。

 イェル姫は狂ったように、罅の上へ剣の柄を打ちつけた。

 何度目かで、腕が窓の外へと突き抜けた。華々しい音がして、ガラスの破片が外で砕ける。手や服が切れるのも構わず、そのまま割れ目にかじりつくようにして、イェル姫は罅を広げた。

 頭程の大きさに窓が割れ落ちた途端、外の光がどっと流れ込んできて、姫は目を灼かれた。

「あっ!」

 眩しい。瞼がちりちりと痛い。涙が流れ、とても目を開けていられない。

 しかし、甘い香りが噎せるほどに押し寄せてくる。

 床は、足が痺れるほど冷えていた。しかし、窓だけは暖かい。

 手探りで、指先に伝わる窓の温かさだけを頼りに、すでに切り傷だらけの手で割れ目を広げていく。剣の柄は少し前に落としてしまい、灼かれ盲いた目では見付けられなかった。


 外へ。


 暖かい方へ。


 頭の中は、もうその事しか考えてなかった。

 ビアンカの事も、ガルドの事も、遠くなっていた。


 外へ!


 ただ、それを遂げることだけが、己の存在の証であるかのように。


 手探りだけで広げた穴に、ドレスが裂けるのも厭わず己の身体をねじ込む。入らなければ、もう一度割れ目を広げる。

 顔に、腕に伝わる暖かさが、さらにイェル姫を駆り立てる。

 イェル姫は穴をくぐろうと、駄々をこねる子供のようにもがいた。肘を使い、膝を使い、顎を使い、全身を使って暴れた。邪魔をするガラスには肘を、膝を打ち付け、これを粉々に砕いた。


 どのくらいもがいていただろうか。

 その細くてか弱い身体は、ついに窓の外へと押し出された。

 全身を光が、肌を焼くほどの強い光がつつむ。

 窓の向こう側へどさりと落ちたが、苦痛は何も感じなかった。ただ、達成感だけが残っていた。

 やったわ、わたし……。


 どのくらい経ったのか。

 とても、暖かかった。今まで自分を支配していた哀しみ、痛み、寒さ、そういった負の感情はどこかへと飛んでいってしまった。

 ひどく疲れたので、手も足も動かない。目も灼かれてから、一度も開けられないままだ。


 でも、幸せだった。ここが〈外〉なのだ。

 さまざまな音が聞こえ、さまざまな匂いがし、さまざまな色彩が瞼のむこうで乱舞している。

 限りない幸せ、温もりと優しさを全身に感じながら、必死に思い出し、己を理解しようとした。しかし、〈白の城塞〉の想い出などは、周りから五感に押し寄せるさまざまな感覚の波に押し流され、初めから無かったかのように急速に薄れていく。


 ここは……、そして……、わたしは……。


 ようやく開いたものの、半ば盲いていた目に黒い大きな影が映ったとき、稲妻のような本能が全てを明らかならしめた。


 ──おかあさん。


 生まれたばかりの雛鳥は、母鳥の暖かく、安全な羽毛の下へと潜り込んだ。

 傍らに転がる、それまで己が長いときを過ごした殻のことなど、とうに忘れて。

話の終わりまでネタがバレてなければ、とりあえずは書き手の目論見は成功なんですが、いかがでしたでしょうか?


「卵」の話でした。


イェル姫は黄身、ビアンカは白身、ガルドは殻です。タネ明かしをしてしまえば、名前の元ネタも一目瞭然ですね。


料理をしていて、卵を割ったときにふと思い付きました。

黄身はこれだけ厳重に護られているのに、雛として孵れば、殻はごみとなり、白身は消えてしまう。

消えたものは、それまでの間、どれだけ頑張ったか、何を思っていたのかなど、すべて関係なく、うち捨てられるだけ。


精子の尾は、受精した後どうなってしまうのか? -J・ティプトリーJr.にそんなようなSFがありますね。


人間の子供は、ある程度大きくなるまで、胎内で知覚したこと、出産の経過とかを記憶しているとよく聞きます。


でも、その後の成長につれ、外界からの情報量の増加に押されて、この様なプライオリティの低い=生きてくためには必要ない記憶は忘れ去られていくとの事。

雛鳥は、卵の殻の中で過ごしている間、何を感じているのでしょう?


※あとがきも、初出当時のものを引用して改稿しました。

 初出は2000年らしいです(!) 10年以上どころか20年前って!!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ