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イェル姫と白の城塞  作者: 八点鐘
4/5

【4】

 小さく身震いして目覚めたイェル姫は、異変に気づいた。

 寒いのだ。

 この城塞の中で、ビアンカのそばで寒いなどということは今までなかった。手に触れるビアンカの白いドレスのひだが、なんだかかさかさしている。


 身体を起こしたイェル姫は部屋を見渡し、そして息を呑んだ。

「……ビアンカ!」

 ビアンカは、己のドレスのひだに埋もれるようにしてぐったりとしていた。呼吸が細く、荒い。

「ガルド! どこなの?! すぐ来て!」泣きながらイェル姫は叫んだ。

「ビアンカが、ビアンカが大変なの!」

 枯れ枝のような手が、イェル姫のドレスの裾を掴んだ。

「……いいんです、姫さま……」


 どうか、とビアンカに請われ、イェル姫はその場に腰を下ろしてビアンカの手を取った。ビアンカの手は、思わず涙がこぼれるほど冷たく、生気がなく、かさかさしていた。

「姫さま……以前、わたくしが話した事を、憶えておいでですか…?」

「なんの、話……?」

「〈外〉へ……」

 そと……?

「姫さま、今すぐ、〈窓の間〉へ……お行きなさい。そして〈窓〉から〈外〉へと出るのです……」

 まど…? どうしてそれを?

「そして、この先、どんなことが待ち受けていようとも、必ず〈外〉へ…外の世界へ行くのです! ……それが……わたくしの最後のお願いです……」

「ビアンカ……そんな、最後だなんて……!」

「わたくしのお役目は……もう終わるのです……。これ以上、お側にいることは……お許しください……」

 眠りに落ちていく人のように、ビアンカはゆっくりと瞼を閉ざした。

 そして、握っていたビアンカの手が、ほんの少し重くなった。

「……ビアンカ?」

 静寂。

「嘘でしょ……こんなこと……。あなたがいないだなんて……私が〈外〉へ行くだなんて……?」

 姫の心臓がどきどきと打つ音だけが、空しく響いている。あとは何の気配もない。

「いやよ、もっと話を聞かせて! 私の側にいてよ! ビアンカ!」

 答えるものなど、何もなかった。イェル姫はただただ、泣き続けた。


 どのくらい過ぎたのか。

 零れ落ちる涙を拭いながら、イェル姫は廊下を進んだ。甘い香りが近づいてくる。

 外へ……〈窓の間〉へ。

 いつも通り、迷うことなどなかった。

 だが、廊下の角を折れた途端、イェル姫は息を呑んだ。


「ガルド……」

 

 〈窓の間〉の扉の前に仁王立ちになったガルドは、重々しく口を開いた。

「こちらを通すわけには行きませぬ」

「でも、ビアンカが……!」

「承知」

 すべてを知っているかのように、ガルドは動じない。

「〈外〉へ、と申されるのでしたら、私を倒して行かれることです。さ、こちらをお取りください」

 イェル姫の剣。稽古を付けるときにガルドが誂えてくれた、金の鞘、金の柄をもつ、細身の剣。

 最初に貰った時は、何故稽古用に真剣を用いるのかわからなかった。それはこういう事だったのだろう。

 姫が剣を受け取ったのを見届けてから、すらり、とガルドは己の剣を抜刀した。白銀の幅広の刀身がぎらりと輝く。

「参りますぞ」

「いや! ガルドと闘うなんて!」イェル姫は剣を落とした。

「そんな事をしてまで、〈外〉になんか出たくないわ!」

「お戯れを」兜の下から、低い笑いがもれる。「ビアンカ殿のご遺言を無碍にする姫さまではありますまい?」

 ビアンカ……。彼女の最後の願い。

「私を倒して〈外〉に出るか、私に倒されてここで果てるか。姫さまにはそのどちらかしかないのです!」

 剣が突き出されてきた。

 完全鎧を纏ったガルドの動きは、決して俊敏ではない。しかし、床に裾を引くようなドレスを着ているイェル姫とて、さして早くは動けない。

 廊下に転がるようにして、イェル姫は切っ先を避けた。悲鳴のような音を立てて、切っ先に引っ掛かったドレスの裾が裂ける。

「その程度では……〈外〉で生き抜くなど笑止千万!」ガルドの怒鳴り声が、廊下にびりびりと響く。

「〈外〉で得体の知れぬ魍魎共の餌食になるくらいならば、せめて私がこの手で、姫さまを……。これは、私の、慈悲ですぞ」

 姫は廊下に座り込んだまま、じりじりと後ろに下がった。すると、手に何かがあたった。

 投げ捨てた、自分の剣だ。

 このままでは殺される。そう考えたら、イェル姫は我知らずのうちに、それを手に取り鞘を払い、構えていた。まだ死にたくない、という恐怖に後押しされて。

「そうです……それでよろしい」

 唇を噛み締めて恐怖に耐えながら、イェル姫はガルドの見えそうで見えない瞳を凝視した。

 相手をよく見ろ、目を反らすな、と教わったから。

 ──ガルド、泣いている? 何故だか、そんな気がした。


「いざ!」

 ガルドが放った強烈な一撃を、姫は教わった通りにパリィで受け流した。それでも、手がびりびりと痺れる。

 稽古と違って、ガルドはまったく手を抜いていない。打ち込みは重く、速い。そして容赦ががない。

「どうしたというのです!」

 打ち込みながら、ガルドは吼えた。

「姫さまはもっとお強いはず! それとも、私が今までつけた稽古は、全て無駄だったとでも?」

 受け流しながら、イェル姫は必死に思い出していた。ガルドから教わった、固い殻で身を固めた相手の倒し方、狙うべき場所を。

 身体でもよく動かすところはやわらかいし殻もない。顔、首、振り上げたときの脇の下、肘の内側、それから…。

 考えを巡らす間にも、己の限界が近付いてくる。もとより体力も腕力も、大してあるわけではない。

「くっ!」

 一瞬の動きを見切り、イェル姫はガルドの足下に飛び込むようにして、足下に斬り付けた。膝の辺りは、動きやすいように鎧に隙間がある。そして姫の細身の剣は、その隙間を見事に通り抜けた。

「うぉっ!」

 たまらず、ガルドが片膝をつく。しかし、これでは動きを止めるのが精一杯で、致命傷にはならないことを姫は学んでいた──ほかならぬガルドから。

「何の、これしき……!」

 ガルドは立ち上がろうとしている。咄嗟にイェル姫は動いた。

 小柄な姫には、ガルドの姿勢が低くなっている時しか狙えない急所──胴鎧と兜の隙間めがけて。

「あぁぁっ!」

 イェル姫は飛びつくように、剣を突き出した。

 そして、剣が間違いなく肉に達した時の嫌な手ごたえに、何かが呼び覚まされた。

 無我夢中であったとはいえ、自分が何をしてしまったかを姫は知った。しかし、指は恐怖で凍り付いて、剣から離れようとしない。


「見事……」

 ガルドのつぶやきが聞こえた。

 純白の鎧に、ぴしりと罅が走る。

 ガルドはどうと倒れた。その勢いで兜が割れ落ち、中から溢れ出した白銀の髪が床に広がった。

 初めて見たガルドの顔は驚くほど端正で、肌は抜けるように白い色だった。ビアンカのように。

「ガルド……! ああ、なんてこと……」

 駆け寄ったとき初めて、ガルドの手にしていてた剣の刃が入念に潰されている事に気づいた。これでは何も斬れない。

「あなた、初めから……」

 姫を殺すつもりなどなかったのだ。それどころか、姫に倒される覚悟で立ちふさがったのだ。

「どうして……?」

 ガルドはゆっくりと首を振った。

「これが私の使命なれば………どうぞお気になさらぬよう……」

 言葉が出ず、イェル姫は涙を流すばかりだった。


「姫さま……最期に、私から一言申し上げたいのですが……」

 イェル姫が頷くのを待ってから、ガルドは続けた。

「この〈白の城塞〉が、この世の全てではないのです……。ここは仮の住まい」

 ガルドの顔が、〈窓の間〉の方へと向く。

「確かに私が話したとおり、恐ろしい魑魅魍魎もおりましょう。ビアンカ殿が話されたとおり、餓える事も凍える事もあるでしょう。ですが、〈外〉には、それを補って有り余る〈広さ〉と〈自由〉があるのです」

「……〈自由〉?」

「そうです……。私も、ビアンカ殿も持てなかったそれを、姫さまはいま、まさに手に入れようとしているのです……こんなに嬉しい事は、ありません……」

「じゃあなぜ……なぜ私にこんな事を……ガルドと闘うなんて……」

「私を倒せぬようでは……それほどの覚悟と、意志の力がなくては、到底生きて行けません。〈外〉の世界はそういうところです。……そのために倒されるのであれば、本望というもの……」

 鎧に大きな罅が走り、ガルドは苦しげに眉根を寄せた。しかし、笑顔を──イェル姫にとっては初めて目にする笑顔を浮かべ、ガルドは囁くように言った。

「さあ、〈外〉へ……。時間がありません……この城塞は、もう……」

 ぱき、ぱき、と音を立てて罅が次々に走る白い篭手が、震えながら扉を指差した。

「姫さまなら、大丈夫。きっと、生き抜いていけ……ま……」

 白い篭手に包まれた手が床に落ちて、ぐしゃり、と嫌な音を立てて潰れた。

「! ガルド!」

 薄い笑みをその顔に浮かべたまま、ガルドはそれきり動かなくなった。その死に顔は、ビアンカに似ていた。

 二人とも満足して、幸せに死んでいったのだ。悲しんでいるのはイェル姫だけだった。


 二人が死に際して望んだこと。


 ──〈外〉へ。

女子が扱うような細身剣で、屈強な男が振り下ろすブロードソードに対してパリィなどしたらポッキリ折れると思いますが、俺の宇宙では(略


ガルドの脳内CVは故・曽○部和恭さんです

曽我○さんってだれー、という読み手様も今や多かろうと思いますが、置鮎○太郎さんが一番声質が近いと思います

あんな雰囲気の、ステキなバリトンボイスの声優さんでした

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