【3】
どのくらい過ぎたのか。
イェル姫はビアンカの身長を追い越していた。そしてビアンカは老い、痩せ、縮んでいった。イェル姫は一人で〈白の城塞〉を散策することが多くなったが、常にガルドが遠くから見守っているのは知っていた。
ときにビアンカと語らい、ときにガルドと剣の稽古をしながら、しかし幸せに、満ち足りた日々を過ごした。
ある日、日課となった城塞の散策の途中で、イェル姫は違和感を憶えた。
この廊下は、初めて見るような気がしてならない。
幼い頃からずっとこの城塞を過ごし、ありとあらゆる廊下、部屋は見尽くしたと言ってもいいほどなのに。
何かが違う。何かが──。壁の色も、天井の色も、床の布も、全て同じなのに、何かが。
その想いを裏書きしたのは、廊下の終わり──突き当たりだった。
行き止まり。
終点。
廊下に、この城塞に、終わりがあるなど、小さい頃より考えても見なかった。どこをどう歩いても必ず居室につながっているもの。
そう信じていた。しかし……。
突き当たりには、頑丈な両開きの扉がつけられていた。扉の意匠も、大きさも、他のどの部屋とも同じだが、ここの扉は、何故だかより堅牢に見えた。
イェル姫はおそるおそる扉に近づき、一瞬の躊躇の後、象牙のドアノブを握った。
そっと回すと、鍵はかかっていない。他の部屋と同じように。
助けを求めるように、あるいは諌める誰かを待つかのように、イェル姫は背後を振り返った。が、こういう時に限ってガルドはいない。
しばし、恐怖と好奇心が心のうちで争ったが、やはり好奇心が打ち勝った。
そうよ、この城塞で私が入ってはいけない部屋などないわ。そんな話、聞いたこともないし。
イェル姫は、ドアノブを回し、音を立てないように慎重に扉を押した。
扉が開くにつれて、部屋の中から甘い香りと眩い光が押し寄せてくる。
背後を振り返り、誰もいない事をもう一度確かめると、イェル姫は扉を一気に押し開けた。そして、そこに広がる光景に息を呑んだ。
白いカーテンに飾られた、白い、さまざまな濃淡の曇りガラスの幾何学的なモザイクで塞がれた、身の丈ほどの〈窓〉が、そこにはあった。ガラスの向こうからは眩いばかりの光が降り注ぎ、時折何かの影が横切っている。
イェル姫は〈窓〉というものを見たのは初めてだった。しかし、これが〈窓〉であり、これの向こう側には〈外〉の世界が広がっている事は一目見て判った。
おそるおそる、イェル姫は指を伸ばした。カーテンは、まるでビアンカのドレスのようにふわふわだった。
一時、自分がとてもいけない事をしている、という思い、ビアンカとガルドに対する罪悪感が湧き起こったが、それはどうにか振り払った。
〈窓〉。
指先が、ためらいがちに触れていく。
「あたたかい……」
まるで、ビアンカの腕の中のように、その〈窓〉は暖かかった。
開くのだろうか?
思い付くまま、イェル姫は窓を拳で叩いた。
コーーーーン!!
「!」
遠慮がちのノックのように、とても軽く叩いたつもりであったが、その音は城塞中に響き渡ったのは確実だった。
「姫さま」
自分のやってしまった事の大きさに気づくより早く、背後から太い声が呼びかけた。
「ガルド……」
ガルドは何も言わず、扉を押し開けて待っている。その表情は相変わらず見えないが、怒っているように感じられた。
「……ごめんなさい」
「………」
そうした方がいいような気がしてイェル姫は謝ったが、ガルドは何も言わなかった。黙って扉を閉め、イェル姫をビアンカの待つ居室へと連れていった後、いつも通りどこへともなく歩き去ってしまった。
ビアンカにさっきの出来事を告げると思ってたのに……。そうされなかったことが、イェル姫は却って心苦しかった。
「姫さま、どうしたのです? お疲れのようですけど」
たとえ老い、皺が頬に刻まれていても、ビアンカの笑顔は素晴らしかった。
その笑顔に応えるため、イェル姫は洗いざらい話すことを心に決めた。
「……ねえビアンカ、私……」
しかしビアンカは遮るように、こう言った。
「お疲れのようですね。もうお休みなさいませ、姫さま。お話は、明日お聞き致します」
ふわり、と白い布が身体にかけられる。
イェル姫は何もかも話してしまいたかった。そして聞きたかった。あれは何なのか。しかし、ビアンカのドレスのひだに包まれると、あっという間に睡魔が押し寄せてくる。
それでもイェル姫は、なんとか話を続けようとした。
「わ、私……突き当たり……、入っ……て……窓……」
「お眠りください、姫さま……」
そう呟くビアンカの横顔は、とても悲しげだった。
「お眠りあそばしたか」
「ええ、ガルド。では、何があったのか話してください」
眠るイェル姫の髪を枯れ枝のような手で梳きながら、ビアンカは言った。
「もっとも、先ほどの音で、大方の予想はついておりますが」
軽く頷き、ガルドは淡々と話した。
「姫さまは、〈窓の間〉へと入られました。そして、ご自分で〈窓〉を叩かれました」
「やはり……そうでしたか。ご自分で〈窓の間〉を見つけられたのですね」
「御意」
ほう、とビアンカは溜め息をついた。
「時が至った、ということですわね……とうとう」
ビアンカは、イェル姫の寝顔をいとおしげに見つめた。
「ビアンカ殿……」
「ガルド。最後まで姫さまの事、頼みましたよ」
「……は! 仰せのままに」
ガルドはいつも通り、背筋を伸ばして踵を打ち鳴らした。
ビアンカはイェル姫の寝顔を見守り続けた。今までも、そして今夜も。いつも通りに。
ガルドはフルアーマーを着てます
あれを着て長距離を歩くこと、ずーっと巡回を続ける、というのは非現実的なのは分かってますが、ファンタジーですので大目に見て下さい
「俺の宇宙ではフルアーマーで何キロも歩けるんだよ! その方がカッコいいだろ?」