3敗【墓場】
「…墓場、ですか?」
「そう。幸い研究所から割と近くてね、僕はいつもそこでユケツの分を貰ってきてるんだよ。まあ、骨粉なんて致命傷の世界じゃそうそうお目にかかれないから、貴重なことに変わりはないけど…」
確かに墓場であれば骨粉は簡単に手に入るかもしれない。この世界では「墓を掘り返して骨を奪うなんて」といった倫理感など皆無だ。取り放題だろう。しかし、だからこそ。
「この世界に墓場なんてあったんですか?」
俺の質問に、ミスターは困り顔で笑いかける。カルテを書く手は止まらないのに、目線があちこちに移動してしまっている。回答に悩んでいるのが丸わかりだ。ごめん。
「言いたいことは分かるよ。分かるけど、実際にあるんだ。僕も初めて見た時は驚いたよ。こんな人が作ったルールも、神が創ったルールも破り捨てる世界に墓を見つけた時はね。きっとあそこは唯一人間らしい場所なんじゃないかな」
―人間なんていないけれど。
そう言いたげな、悲しげというには悪意がある、ニヒルな笑みを浮かべて、ミスターは俺を説き伏せる。
「まあ、墓場はなんていうこともない、普通な感じだよ。問題は墓守の方が、君に合うかなんだよね」
墓守。墓守だと?
「墓守まで居るんですか」
墓を守るもの。そんな倫理の塊みたいな存在が、墓に続いて本気でこの世界に居るのか?信じられない。
「うん。居るっていうか、やってるんだよ。ユケツが大好きなクリア君がね」
クリア?
「えっ!クリアくんがお墓にいるの!?」
「おぶっ」
聞き覚えのない人名に反応して、後ろの馬鹿が俺の肩に突撃してきた。
「お前な!」
「クリアくんっ♪クリアくんっ♪」
この馬鹿女。話を微塵も聞かない。
「クリア?ミスター、クリアがそんなのやってるのか?初耳だぞ」
「うん。あっ、ケンケツも知らないんだっけ。あの子、あんまりそういうの言わないタイプか」
「まあ…考えればあいつほど墓地に似合うやつもいないけどさ」
「確かに~!」
どうやらこの馬鹿兄妹とクリアなるものは知り合いのようである。
俺を置いて進むクリア談義がその証拠だ。
「おい、クリアって誰だ」
誰に言っているのかもよくわからない俺の呟きに、ユケツが素早く耳元で叫ぶ。
「クリアくんはね~、透明くんだよ!骨人のクリアくん!」
「うるせえ」
「酷い!!」
骨人?
スケルトンというのは、あれか。血肉や臓器がなくても、骨だけで動く怪物。墓場にはもってこいの奴なのは間違いないだろう。しかし”くん”ってことは…、男か?よくわからない。骨格を見ればわかるのだろうか。骨だけだから表情はなにもないはずだが…。
俺は笑いも泣きもしない髑髏を想像して、背筋を凍らせた。
ぱっと見人間に近いこいつらと一緒にいる俺には、少々鳥肌の立つ相手かもしれない。
「とっても優しいんだよ!いつも私たちに色んな遊びを教えてくれるの!」
「優しい、ねぇ…」
優しいスケルトンを想像してみたが、不気味なことに変わりはない。
まあ、創作物の世界では怪物に優しさというエッセンスはお決まりであるし、こいつらもほぼ人間だが化け物だ。今更だろう。
「色んな遊びってのは、例えばどんなのだ?」
「うーんと、クリアくんとは最近ね、眼球占いやったんだ~!私が色落ちしてない眼球引いて終わったの!」
聞いた途端、柔らかな微笑みが口元に貼りついた。
「良かった。まともな奴じゃなさそうで。確かにお前と気が合いそうだな」
「…ふんっ!もうカガチのそれには慣れたからいいもん!傷つかないもん!」
頬を膨らませてそっぽを向く姿は、いつも通りの甘噛みポーズだ。
だがそんなことも知らないのか、いつも通りそれを勘違いしたケンケツが俺の肩を掴んでくる。
「カガチは馬鹿だなあ。好きな子虐めるのは三流がやることだぞ。えっ?好きな子?おい!俺の妹に手は出させねえぞ!」
「イカレ過ぎだろ」
情緒どこに置いてきたんだこいつ?
あ、地獄か。
虚しさだけが膨らむノリツッコミまで覚えてしまった俺は、横でもっと虚しく騒ぎ立てる兄貴を居ないものとして扱った。当たり屋というレベルではない。トラックで軽自動車を撥ねている。目の前で蛙みたいに飛び跳ねる妹の方も、できれば無視したい。出来ればだ。
「お兄ちゃんはいつだってイカレてるよ」
今、「お前もな」という言葉を飲み込んだ俺を、誰か称えて欲しい。誰でもいい。俺は偉かっただろ。
俺は正当な承認欲求を、ユケツの頭を撫でる、という行為に変換しながらミスターに再度問う。
「具体的に、墓場ってどこにあるんですか。俺この近くでそんなの見たことありませんけど」
ミスターは「割と近く」というが、墓なんてものがあったら俺はそこに住み着いている自信がある。それくらいの関心と無条件の好感を一瞬で覚えるだろう。あるなら早く教えといてくれ。
しかし散々墓場について説明しにくそうだった彼が、今度は迷わずあっさりと答える。
「ああ。カガチは”嫌われてる”から。見たことないのも無理ないね」
「は?」
嫌われてる?
「うーん。説明するのがめんど、難しいな。とりあえず行ってきなよ。もう時間あんまりないよね?」
ミスターはそう言いながら俺の足元を見つめた。それだけで、俺にとってはものすごい恐怖である。俺も俺の足元を見つめる。
どうやらまだ、俺は揺らいでもいないようだ。だが、このまま骨粉の補充が先延ばしにされれば、どうなるかは分からない。
寒気。鳥肌。本能的なイキモノとしての焦りが、内側から浸食していく。
「そうだ!そうだよカガチがヤバいんだった!」
ユケツも緊急事態であることを思い出し、手と足をバタバタと動かす。その無駄な動きに特に意味はないようだ。
ミスターはカルテを書く手を止めて、椅子ごと俺たちに向き直す。その余裕から、最初から俺たちに手を貸す気でいたらしい。ありがたいことだ。
「じゃ、ここはボクが送ってあげる。アッシーくんは任せてよ」
「「アッシー?」」
「…ミスター、語彙が古い」
その気遣いに感謝する前に、冷徹な刃が俺の舌から抜かれる。
アッシー君はもう死語だ。死後の死後の世界でも死語だ。
「えっ、傷ついた」
ミスターが、意外にもこういったしょうもないことで傷つきやすいのは最近になって知ったことだが、彼にはそういった愛嬌もあるのだ。だからこのおじさんみたいなセンチメンタリズムと語彙は欠点ではないのだ。そう。決して。年長者の偉大なユーモアだ。誇っていい。
だから悲しそうな顔をするのはやめてくれミスター。結構堪える。
「帰ってきたら調べてね、お願いだから!」
彼は若干の涙を浮かべながら、左手を俺たちにかざす。
そんなにジェネレーションギャップに刺されてしまったのだろうか。悪いことしたな。
そう考えていたのも束の間。俺たちは、ミスターの「奇跡」に包まれた。
瞬間、目の前が真っ白に塗り替えられる。途端に星屑のような煌めきと、太陽のような眩しさが、宵闇のような紺とともに、ぐるぐる混ざり始める。俺たちはその渦の中心に閉じ込められ、同時に渦を生み出す目となる。
その現象を肌で感じることはない。熱も感触もなにもないからだ。ただ視界と音だけが、その空や星や、数多の「綺麗」と呼ばれる光景を脳に流し込む。一秒のうちに百の流星と二千の夜明け、そして五万の日没を迎える。
何度も見た奇跡だが、何度見てもこれは奇跡だ。
「いってらっしゃい」
ミスターの声が天地入り混じる渦から聞こえると、それを合図に渦は嵐となって俺たちを飲み込んだ。
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