20敗【誘発】
-≪ヒヒーン!≫
重い電子音の鳴き声がする。
燃焼馬が嘶いているのだ。不要概念の臭いを撒き散らしながら、まだ走り足りないと前足を地面に擦り付けている。
「どうやって来たんですか?…って聞くのも馬鹿らしいですね。今の研究所ってそんなものまであるんだ。面白いです」
「【許せない】ええ、燃費が悪いからあまり使わないんだけど。誰かさんのせいで文字通り”駆り出す”ことになったわ」
チューシャさんはヘルメットを外し、結んだ髪を解きながら堂々とこちらに近づく。そして俺の方…俺の中身を見ると、なんの感情の色も浮かばせずにカルテに向き直った。俺と目線を合わせないまま口を開く。
「【悲しい】どうやら間に合わなかったようね。これじゃユケツとケンケツに会わす顔がないわ」
「いえ、来てくれて助かりました」
「【嬉しい】動けないみたいだけど。頭は働いてるわね?」
「はい」
俺がそう答えると、チューシャさんは拳銃を握り直してまっすぐに構えた。
カルテの眉間に銃口が押し当てられる。
「【楽しい】さて、ここからどうするのかしら?何も考えてない貴方じゃないでしょうけど」
撃たれた腹を庇いながら、カルテは眉を下げる。つられて銃口も1mm下がる。弾痕からはどくどくと血液が流れ、抑えている手の指、その間からもたらりと鉄の雫がこぼれ落ちた。
だが、奴の瞳には苦悶の影どころか、怒りや焦りといった感情すらない。ただつまらなそうに、つまらないことが嫌とでも言いたげに、感情のないチューシャさんの顔を同じような表情で見つめ返している。
………一体どういう状態なんだ?今まさに、頭蓋を撃ち抜かれるかもしれないというのに?
「ハア、1号か……せっかくご足労頂いたところ悪いですが、ハッキリ言って大外れです。ミスターが来ないなんて、カガチくんは僕が思っていたより価値がないみたいですね」
ミスターミスターミスター。この男、口を開けばそればかりだ。
この口ぶりからして、俺を攫った理由にミスターがいることは間違いないだろう。そして恐らくチューシャさんはそのことを俺よりも分かっている。
「【許せない】価値がない?それは違うんじゃないかしら。ミスターは最高効率を目指して動く男よ。貴方もよく知っているでしょう」
「いやいや、自分の理論が破綻していることに気づいてくださいよ。最高効率なら、分担するよりミスター直々にここを訪れた方が早い。貴方如きが彼の歯車になれるとでも?」
「【嬉しい】じゃあ貴方は歯車未満なのね。私より弱いんだから」
ぴく、とカルテの頬が引きつる。
「この女」
あ。
近くにいる俺の心臓が破けたような気がした。
いや、今もしている。
少しでも動けば、見えない糸にスーッと首を撥ねられそうな。そんな殺気が二人の間に何本も突き刺さって、張り詰めている。特にカルテに至っては、殺気に加えて、俺の内臓をもう片方の手で揉みながら会話しているものだから、余計に恐怖を覚えてしまう。器用なもんだなクソ野郎。いつ握りつぶされるかたまったものじゃない。
俺はできるだけ息を押し殺しながら、心をチューシャさんに寄せた。
チューシャさんのの意図は、正確にはわからない。だが、どうにかプライドごとへし折れないかと相手を誘い出しているように感じられる。これは恐らく挑発だ。彼女は、目の前に銃口を向けられても微動だにしない奴を訝しんでいる。だからここで気持ちを揺さぶって、奴が挑発に乗った瞬間に出す手札を開示しておきたいんだ。
「【楽しい】まあでも、正直見ものだわ。逃げ出した貴方をミスターがどう扱うのか」
―”ミスター”という材料で。
「好きに言ってください。僕とミスターの関係は部外者には分からない」
だが、肝心のカルテは彼女の言葉を意にも介していないようだった。苛立ちは隠していないものの、肩をすくめて、日常会話のような調子で軽くチューシャさんを咎める。
俺は想像した。もし、奴が挑発に乗ったら、この傷の撫で合いは抉り合いに変わる。ああそうだ、すぐさま殺し合いになる。
「【楽しい】じゃあカガチを返してもらおうかしら。貴方が大好きなミスターが待っているの」
「だから貴方にミスターの気持ちなんてわかりませんよね?わかる頭がないんですから。いい加減不愉快です、やめてください」
「【楽しい】貴方にミスターの気持ちなんかわからない?笑わせないで。貴方がこの世で一番彼から遠いところにいるのに」
少しの沈黙。
「【楽しい】ああそれとも、こういって欲しかったのかしら?途中で逃げ出した貴方は、ミスターの隣にいることを選ばなかった貴方は、彼にとっての裏切り者だと」
空気が、呼吸する者の体内で膨張し、思考を鈍らせる。
「………うるさいっ!!そんなに痛めつけて欲しいなら早く言ってくださいよ!!」
-…挑発に乗った!
そう確信したのも束の間。
カルテは俺の器官から手を離すと、血濡れのゴム手袋のまま、首から下げていたUSBを握りしめる。
「リマスタ、”起動”!!」
なに?
俺の聞き間違いではない。奴がそう言った瞬間に、鋼鉄の塊が視界に飛び込んでくる。
そしてそのすぐ後から、ビームと見間違うほどの電流が辺りを流れた。横を通り過ぎただけなのに、既に麻痺した体に電気が走る。電光石火のような雷。
「【ERROR】ッ!?」
「チューシャさん!!」
そして雷は、チューシャさんに直撃した。
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