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敗者の行進  作者: 春獄
第一章 Bloody brother
29/33

19敗【解剖】

「おや、ミスターの心配はしないんですか?」


「あいつらに何したって聞いてんだよ」


 自分のものとは思えない声がカルテを問い詰める。


 腕が少し動く。この調子なら、目の前でなんの緊張感もなく地雷を踏み抜いたこいつをぶん殴れるだろう。

 俺は精一杯の力を腕に流し込み、肩を無理やり動かして振りかぶった。

 しかし、その腕は鋭い一撃を打ち込むどころか、風邪を引いたようにだらんと垂れ下がってしまう。


 ?


 腕に小さな痛み。

 見ると、あの、ピンク色の液体が、注射器を通して俺の腕に注がれていた。


「クソが」


 最悪だ。また持っていかれる。体の方の意識が閉ざされる。

 脳の命令で何度ノックしても、一向に返事が無いやつが、また来る。


 俺はうんざりしながら、腕から腰、腰から膝、そして膝から足先にこの風邪が感染していくのを受け入れた。受け入れさせられた。一度起き上がったはずの体は、吸い寄せられるように寝台へ戻っていく。


 俺の無力化を確認したところで、カルテはやはり余裕があり余った表情で俺を見つめる。

 

「安心してください、そんなに酷い事はしていません。ただ≪解体≫でリカバリーできる範囲で力を試しただけ。そしてその結果、」


 奴は俺の寝そべっている寝台に手をかけ、よくわからない液体に侵された俺の顔を覗き込む。

 荒い息が眉間にかかり、全回路に寒気が走った。


「今の僕の戦力なら、ミスターから大事な作品を奪い取れてしまうことが立証されました。ありがとう」


 ………清々しい、といった表現をしたくはない。そのにやついた、嫌に利口な学生みたいな、この世と大人を舐め切ったようなその顔面。へし折ってやりたい。だが、文字通り手も足も出ない。


 …どうにか、目だけでその顔面を引き裂けないか試してみる。奴の瞳孔を通じて、細かな無数の刃が目玉から鼻、喉、果ては足の先までもを突き刺して痛めつけてくれないかと、強いイメージを持つ。

 だがカルテは、俺のその抵抗とも呼べない抵抗にますます喜んでいる様子だった。親指で瞼を上に引っ張って来る。俺の威嚇はこいつにとって娯楽でしかないのか?ふざけるな。


「ああやっぱり、僕の思った通りだ。君ってとっても精巧につくられてるんですね。網膜のところなんか、ある種の変態性を感じちゃうな…」


「っ…変態はお前だろ!」


 俺は首の可動域を限界まで動かして、カルテの頬に噛みついた。鉄じゃない、アルコールに似た苦みと共に、炭酸のような刺激が舌に伝わる。およそ血とは思えない毒物じみた風味に痺れながらも、食いちぎった肉を吐き出さずに飲み込む。胃の中でじんわりと痛みが広がった。


 なんだこの体液は?気色が悪い。


 すぐ頭に変質者の概念能力、という言葉がよぎったが、これまたすぐにどうでもよくなる。頭に上った血が冷めきっていないのもあるが、どうにかしてこの変態男に制裁を加えてやりたい、ただその一心だったのだ。


「威勢がいいですね」


 奴の頬から鮮血が流れる。が、対して気にも留めていない様子だ。

 カルテは頬の血を邪魔そうに拭うと、先ほどの恍惚(トランス)状態とは一変して、鋭い視線を投げつける。


「…さて、もう時間がありません。お待ちかねの解剖の時間とさせてもらいます。君の中身、いや、君の乗り物かな?僕の気が済むまで解析させてもらう」


「はっ…?」


 カルテはそう言うと、右手にメスを握って、俺の腹に押し当てた。


「は、待て急に」


「安心してください。ミスターの作品に傷をつけるなんて愚行、僕は犯しませんから。傷跡も残らないぐらい綺麗に()()()あげます」


「_____」


 喉までせり上がった声を、すんでのところで止める。

 思わず叫んでしまいたくなったが、今ここで僅かでも声を出してしまったら、俺はこいつからの恐怖に負けたことになるだろう。


 メスがつぷりと皮膚を裂く。

 

 なにも痛くない。だが、刃は俺の内部を豆腐でも割るように開いていく。


「うっ」


 ミスターが創り上げた臓腑が、綺麗な鮮血と共に内から現れる。

 貝に収まった真珠のような美しさを持つ器官たちが、今は俺の視界を気持ち悪さで締め上げていた。昼寝をしている犬の腹みたいに、ゆっくりとうごく。生き物を動かすための生き物がたくさん詰まっている。その真理を体感したと同時に、喉奥から甘酸っぱい胃液が込み上げてきた。

 目を背けるだけの自由はあるものの、想像力という一番の恐怖に勝てる気がせず、目の前の光景をただ見つめるだけしかできない。もどかしい。


「クソっ、お前、なにがしたいんだ!」


 口を手で押さえながら、態度だけは崩すまいと表情筋を強張らせる。

 だがカルテはそんな俺の矜持さえ、くだらない強がりだとでも言いたげに眉を下げた。


「あはっ………僕は彼になりたいんです」


「は?」


致命傷の世界(ノーマンズ・ランド)………第二の地獄。文明も生態系も、命の規格でさえも、ここでは一緒くたに煮込まれて腐った土壌になる。そんな世界で、ミスターは秩序を生むこともなく傀儡を掌で転がしている………いや泳がしていると言った方が正しいですかね?これこそ勝者の余裕ですよ!全知全能に至るほどの能力と、バラエティーに富んだ好奇心!そしてそれを技術に置き換え、機械的に落とし込んだ支配欲!彼を理解するなんて甚だ傲慢なことですが、僕にはわかります、これは平和的な鎮圧ですよ。彼は世界で一番残酷な飼い慣らし方を、開発しようとしている。僕はそんな彼が堪らなく好きなんです!分かりますか?この名状しがたい幸福と、生殺しみたいな感覚!!!」


「は、あ…?」


 急に意味が分からない言葉の羅列に汚染され、脳震盪のような揺れが頭に襲い掛かる。


「あーあ、分からないでしょうね。だってカガチくんはミスターの作品ですから。モノにヒトのことなんて分かるはずないし、ましてやヒトの最たるミスターの素晴らしさなんて推し量れるはずもない。そう考えると、僕は幸せです。だってミスターの素晴らしさと恐ろしさを同じ有機物として実感できるんですから!」


「………………」


 沈黙。

 青ざめる。


 ……引いた。

 なにがとは言わないが。こいつの全てに、引いた。

 だめだ取り付く島もない、もう終わっている、会話ができない。



「………でも、彼は近頃、変わってしまった。あいつらを造ったときから……そう、その時からです。あの冷ややかな慈悲深さが、平凡な優しさに汚染されていってしまった。もう僕が求めていたミスターは、面影だけを残して逝ってしまったんです。じゃあどうすれば()()ミスターを取り戻せるか?僕は考えました」


 俺は半分思考を停止させながら、奴の妄言を右から左へ聞き流す。

 聞いていても、この状況を判断できるものはなにひとつ得られない。


「だったら()()()()()()()()()()()()()


 ………聞き流すはずだったが、あまりにも理解のできない言葉が耳を突き刺す。

 俺は聞き間違いのような歪みを頭で繰り返し、やはり正常ではないだろう思考を読み解く手間をかけた。


 さっきからなにを言ってるんだ、こいつは?


 ミスターになる?意味が分からない。まるで新生児の発想だ。まるで現実逃避者の幻想だ。こんなの子宮回帰願望と変わらない。そんなくだらない、できもしない幼稚な理由でここまでやるのか?

 そんな、そんなことを考える奴が、ミスターの研究所を今ぐちゃぐちゃにしているのか?


 あの二人を、傷つけているのか?


 行き場のない戸惑いと失望が、体を一周する。

 俺は得体の知れない情緒に挫けそうになった。


「そうです。僕が、他でもない僕がミスターにならなければ。だって僕が一番初めに、僕だけが一番初めに彼の偉業を拝謁したのだから。だから、彼が-」


 もはやカルテは俺のことなど眼中にないような目つきで、ミスターについてまた熱を持って話始める。

 -その瞬間だ。


 銃声が鳴り響いた。


 そしてパン、という発砲音に遮られた音を、俺は聞き逃さない。

 これは弾丸によって抉りぬかれた音だ。思考がカルテによってもたらされた意味のないパズルから、発砲した人物へと移る。


「【許せない】そう。あなたはいつだってそうよね」


 そこには引き金を引いた指を動かさず、強気に佇む女のシルエット。

 視線を俺の中身から一切変えないまま、カルテは己の横っ腹を貫通させたその女に話しかける。


「…痛いな。親に対して随分な挨拶じゃないですか?お久しぶりです一号。ああ、今はチューシャでしたね」


「【許せない】随分と古い顔が見えるものだから、素敵な同窓会でもあるのかと期待したけど。相変わらず後輩を虐めてるみたいね、カルテ」

更新が遅くなりました。

ここまでお読みくださりありがとうございます。

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