継ぎ目【Imitate Above 2/3】
「あ、れ……?」
突然膝に力が入らなくなって、その場にひれ伏すようにうなだれる。
鼻が熱い。喉も熱い。
淀んだ目玉から、ぽろぽろと黒い汁が流れ出た。
嗚呼。俺は泣き崩れているようだった。
精神の方はとっくのとうに、限界に達しているんだ。
なんだ。なんなんだよ。
本当に、地獄じゃないか。俺は地獄を経験したはずなのに。こんなのってない。こんなのって。
「…多くの傀儡は、運よくこういった説明を暴力を経ないで理解できても、じゃあ意識を失わせてくれって頼んでくるよ」
頭の上から、低い声で現実が覆いかぶさる。
「だろうな」
俺はただむき出しになっている地面を見ながら、なにも考えず肯定だけを返した。
「君はどうかな?」
「どうって」
どうって、なんだ?
あまりの虚しさに、俺はその質問を鼻で笑ってしまった。
どう考えたところで、傀儡にできることなんてなにもないじゃないか。
ただ死んだように生きて、生きる以上の痛みを与えられ、そのお粗末な体に似合いの死を迎える。
これがせいぜい、この世界から与えられた俺の存在意義。俺への命令だ。
「どうもないだろ」
枯れた心から、枯れた声で悲鳴が上がる。その声色は、自分でもわかる。「殺してください」という意思表示だ。
ワールドはその必死のSOSを、至ってつまらなさそうに聞き入れる。
「なるほど。君も他の傀儡と同じわけだ」
そして、その細くしなやかな腕を振り上げて、俺に向かって振り下ろした。
ー殺される。
そう思った。なぜ、振り上げられた拳だけでそこまで確信できたかはわからない。
他の傀儡もこうして、勝者に殺してくれと嘆願するイメージが湧いたからだろうか。俺もそれに準じているような感覚があるからだろうか。
"殺されたところで、もっと嫌な場所にいくだけ。"
そんな考えもよぎらないほど、俺は切迫していたのだ。足の速い絶望から逃げきれずに、他人に迷惑をかけながらその心と心中しようとしている。
しかし、そのことになんの焦りも感じない。
死にたい。
=
終わりだ。
身を委ねるため、目を閉じた。
………?
しかし、いつまで経っても訪れない終わりに、俺は痺れを切らして目を開ける。
振り上げられたはずの拳は、俺の肩に優しく着地していた。
「おい、ワー…」
声をかけようとして、思わず息をのむ。
「これが戦争の火種なんだよ」
そこには、眉間にしわを寄せ、口を大きくゆがめて、俺を見下ろす黄緑の瞳があった。
どんな感情になれば、そんなに苦しそうな顔が出来るのだろう。その不可思議な激情で飾られた表情に、思わず黒い涙が引っ込む。
「君が今感じた気持ち。君が今考えた終わり。そりゃそうだよね。圧倒的な理不尽と、絶望的な劣等感。僕も君なら、今の選択をする。でもどうか諦めないで欲しい」
「ミスター…」
ツギハギの女が不安そうな声で鳴く。
ワールドはその声に目くばせだけで答えて、またもホワイトボードに近づき、
「この世界で傀儡がやれることは、意識を失う以外にもう一つあるから」
そう言って書き込まれたボードの画面を勢いよくひっくり返した。ひっくり返されたボードには、まだ何も書かれていない、綺麗な空白が広がっている。
「グロテスクか僕の陣営につくこと。これが傀儡が出来るもう一つの選択」
彼は真っ白に置き換わったボードに、等間隔で2つの長い横線を引く。そうして何もなかった画面は、見事に三分割された。一番上に「現世」、真ん中に「地獄」、一番下に「ノーマンズ・ランド」と書かれたそれは、この世界の縮図のように思える。
「言ったよね?グロテスクは【第二の地獄】、僕は【現状維持】を掲げて争ってるって。これは君のような傀儡をどう扱うか、どういった未来に辿り着かせるかの勝負なんだ」
「じゃあ、戦争が始まったのは、勝者がどうなるかどうかが理由じゃなくて、」
「ああ。僕たちは、傀儡という敗者をどうにかしようとした結果、争っている。その証拠に、もう一人の勝者であるグロテスクは、この概念の混濁状態による社会構造を変えようとしてる」
「変えるって、そんなの無理に決まってんだろ。お前が言ったんじゃないか。俺たちは誰かに作為的に傀儡にさせられたわけじゃなくて、至ってランダムに選ばれて負け組になってるんだって」
言い返しながら、俺は改めて自覚する。
そう。これは誰かが何とかするような話ではない。世界がそうなっているんだから、それに従うしかない。だから俺も諦めて、首を差し出そうかと思ったのだ。
だが、ワールドは首を振る。一体何を根拠に…
コンコン。「ここを見ろ」というノック。鳴らされた音の出どころには、「地獄」と書いてある。
「地獄ではね、ほぼ現世と同じような生活を送れるんだ。あそこには記憶があれば、経済もあるし、娯楽もあるし、なにより豊かな個性がある。傀儡なんてひどい階級構造はない」
「上?急に何の話だ」
サウナと似たような気配がしたが、それはないとすぐに悟った。さっきの穏やかな気配などどこかに消えて、大真面目な雰囲気が漂っている。いや、大真面目な雰囲気に戻ってきたというべきか。
「………なんでだと思う?」
「え?」
彼はその大真面目な雰囲気から、大真面目な顔で、大真面目に聞いた。
「なんで上は、そんなに幸福に溢れているんだと思う?」
「それ、は」
なんで?なぜ?
不思議だ。急に聞かれて驚いたはずなのに、すぐに答えが浮かぶ。
なぜ地獄は、満たされている?そう問われれば、こう答えるしかない。
地獄と此処で決定的に違う要素。生まれたてか、生まれたてではないか。
「概念が、しっかり、している?」
語彙力をまるで失ったこの答えでも、ワールドはうんうんと頷いて、黒のマーカーペンをこちらに向ける。
「つまり、この概念混濁が無くなればいいわけだ」
彼は俺に向けたマーカーペンで、「地獄」と書かれた場所から「ノーマンズ・ランド」と書かれた場所まで大胆に縦線を二本引いた。どういう意味だ?
「だがそれは正論なだけであって、実現可能な手段はなにもないんだろ」
俺はその意味深な描写に構わず、ワールドに噛みつく。
…噛みついたが、その返しは手痛いどころかまさしく致命傷だった。
「じゃあ、生まれたての世界はいつまで生まれたてなのぉ?」
ツギハギ女が突拍子もなく疑問を声に出す。
「いつまで、生まれたてって………」
―いつまでだ?
ぶわっ。
寒気が電流の様に背中に走った。
そうだそうだ。確かに。この世界ははいつまで生まれたてなんだ?
「生まれたての世界」、「だから概念が混濁している」。この理論が通るなら、現世も地獄もかつては此処、ノーマンズ・ランドと同じく生まれたての世界であったはずだ。しかし、ワールドの話を聞く限り、この二つの世界はとっくのとうにそんな段階を通り過ぎている。「立派な世界」だ。
どうやって?どうやって現世や地獄は、今俺たちが経験している概念混濁から解放されたんだ?
まさか、この世界に。成長の余地というものがあるのか?
言い出しっぺのツギハギ女に聞こうとするが、彼女は顔を見合わすと同時に大きく口を開けて笑った。説明する気がないと見えて、俺はワールドの方へ大人しく向き直る。ワールドはツギハギ女とは違い、期待に応えようとする気概が見えるからだ。俺は安心してその声に耳を傾けた。
「確かに地獄も昔は、ノーマンズ・ランドのように生まれたての世界だった。しかしある方法で、概念を整えたんだ。それは―………」
…×××××
「それが、概念を整える方法なのか?」
「うん。残念ながらね。荒療治だけど、これならほぼ確実に地獄と同じような世界が出来上がる」
「――――……」
絶句だった。
これが、ノーマンズランドを”第二の地獄”にする方法。
………統率者、■■システム。■■■■■■。
そのすべてを彼が持っているかは不明だが、今聞いたグロテスクの力があれば、確かに■■は再現可能だろう。いや、なんなら「再現してください」と言わんばかりの権能だ。
…初めは感心した。この世界の概念というものが掃除されれば、どんなに素晴らしいかと。
だが、だがこれは。救済措置なんかではなくて、ただの妥協案ではないのか?
人間がもともと持つ汚さや、理性では抗えない生存本能、恐怖のみを信用した方法に、多少の違和感が拭えない。なぜならそこには、自然由来の善性や、純粋な希望を描く気持ちを無視した、今以上の支配体制があるのだから。
グロテスクやそれに従っている傀儡は、この方法を全て知ったうえで実行しているのか?■■という存在は、「概念の整理整頓」という大義名分を取り除けばただの歩く災害だ。絶望を振りまく厄災だ。
ワールドはあらかた話し終えたという一息を終え、俺に話しかける。
「グロテスクがやりたいことはつまり、地獄の統率者の模倣。この世界の概念を上のように整えて、上のように生命で満たし、上のように個体差を極力無くす。…地獄より余裕がない分、かなり乱暴な方法にすり替わるとは思うけど、傀儡によってはいいことずくめだ。だから傀儡はほぼ、グロテスクの方につく」
そうだろう。その状況は理解できる。
もしグロテスクが望むような世界になれば、俺たち傀儡は全員救われるからな。もう生き物という枠にも入れてもらえないような姿でこの世界を徘徊することも、一撃の致命傷に怯えることもなく過ごせる。
で?
そっちの方がマシと思え。そういうことか?この方法で?
俺はグロテスクの合理性に納得しながら、逆にその悲観的な思想に悩まされた。
普通はこれで納得する。だって、現世ではそれが当たり前だったから。この方法で、当たり前に戻るだけなんだから。万々歳じゃないか。失ったものを取り戻しているのか、あったはずのものを失おうとしているのか。そんなことを考える前に、まずは現状の劣悪な環境を変えるべきなのは間違いない。グロテスクに協力すれば、確実に此処は変わる。そうすれば、そうすれば………、
「「「「違う!!こんなの間違ってる!!!」」」
―やめだ。
俺は頭を両手でかき回して、判断材料にしていたものを全て振り落とした。
「ちょ、ちょっと大丈夫?やっぱり色々詰め込み過ぎたよね」
やめだやめだ、今の全部ナシ。
俺は考えるのをやめた。今までのは全て客観的な考えであって、俺の脳みそで考えたことではない。
俺はこの方法じゃ、満たされない。
「お前の”理想”を語れ。ワールド」
「え?」
俺から話を切り出したのがそんなに以外だったのか、この勝者様。余裕そうな態度と立場が吹っ飛ぶような呆け面。なんだ。こういう流れになるとは思わなかったのだろうか。
「え?じゃない。お前はそのグロテスクと争ってるんだろ。じゃあ、お前はこの方法とは交わらない別の方法を見つけているはずだろ。聞かせろ」
「……いいの?」
「なにがだよ」
なにを恐れているのか、彼は先ほどまで踊るように動かしていた舌を、たどたどしく歩かせてこう語る。
「いや、前にここまで話した傀儡はみんな、嫌々でもグロテスクの方に従ったんだ。しかも、これから話す僕の考えは、もっと君の意思にそぐわない可能性がある。それでも…」
「いい。聞かせろ」
そうだ。俺がどうするかは、このもう一人の勝者の話を聞いてから。それから決めればいい。
この返答で覚悟が決まったのか、ワールドはホワイトボードから一歩離れ、俺に向けて言い放つ。
「そう、だね。僕はもう諦めていたのかもしれない。君にはこの事を話すために来てもらっているのに」
緊張で手が震えている。よっぽど色んな傀儡に否定されてきたのだろうか。
俺がもう一言声をかけてやろうとすると、その手を、ツギハギの二人が愛おしそうな顔をして握った。
「ミスター、大丈夫。もしこの生まれたての子がダメでも、私たちがいるから」
「そーそ!俺はミスターに啖呵切るあいつの態度、気に入っちゃったからできれば引き込みたいけど」
こうしてみると、この姿はまさしく家族だ。
この世界でそんな関係はあり得ないと知りつつ、俺はそんなことを思った。
ワールドは大きく息を吸い込むと、胸に手を当ててゆっくりと吐き出す。そしてこう切り出した。
「じゃあ聞いて。その上で、判断して。……グロテスクは概念自体をまとめあげて、世界そのものを進化させようとしているけれど、僕はその逆。此処で生きる傀儡を、普通に生きられるように進化させたいと思ってるんだ。世界ではなく、変えるのは人」
どうやって、と問う前に、その答えは非常に大きい衝撃をもってして俺にぶつかる。
「人工変質者、『死骸人形』計画。これが僕の切り札だよ」
ここまでお読みくださりありがとうございます。
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自分の文才では説明が難しすぎました。死ぬ。




