継ぎ目【1plus1】
そう仮定しなければ、「また地獄に堕ちたから記憶がない」と思っても納得しないこの感情の説明がつかない。例えば現世に生まれた赤ん坊は、自分に記憶がないと嘆くだろうか?いいや、そんなはずはない。嘆く要素が存在しないのだから。
だが俺は今現在、中途半端な記憶と常識を装備している。そう捉えられる以上、地獄と二度目の地獄の条件差を疑う価値が十分にあるのだ。
…我ながら穴だらけ、主観まみれの苦しい理論だ。理論とも呼べないだろう。重々承知している。
しかしワールドは、この言葉を聞くや否や手を叩いて俺を称賛したのだ。傍から見れば皮肉めいた態度だが、彼の表情は純粋に俺を評価してのものに見える。
「いやスゴイスゴイ。大正解だよ。当たり。正確には、”個人差の差”ってところかな。現世から地獄に下る時、大体の人間は前世の記憶が残ったままなんだ。そして少しだけど、この段階からもう既に記憶のない子もいる。これが地獄の個人差でね」
手をさすりながら、世間話のように話されるその内容は、俺にとってあまりにも残酷だ。
やはり俺の仮説は正しいらしい。正しくあってほしくない情報とともに、そんな大雑把な結果俺に渡された。それがワールドが提供した情報について、考えられる全て。
「対して、地獄からここに下る時は、ほとんどの人間は前世の記憶を奪われる。逆に今度は、僕みたいに全て覚えている人間は非常に珍しくなってくる。割合が逆転するんだ。これが致命傷の世界での個人差」
自分で引き出した答えのはずなのに、嗚呼。虚しく、落胆の思いが込みあがってくる。
―それで、記憶のない俺や他は“敗者”ということか。嫌な名称だ。この世界でも生存に直結した、椅子取りゲームが存在するということだろう。
人間はいつまでたっても、生存競争とピラミッドの外側には抜け出せないらしく。
「……勝者というのは、結局どういった現象なんだ?なぜ記憶障害から抜け出すことができる?なぜこの現象の再現は難しい?」
違う。俺が聞きたかったのは、「どうすれば今の記憶障害から回復するか?」ということだ。
だが、そんなことはあり得ないと直感的に感じたからこそ、俺の口は自動的に俺を除外した聞き方をしたのだろう。正直に言えば、もうとっくに諦めている自分がいる。絶望的に確実なことがひとつあるとすれば、それは、そんなことがわかればこの世界はワールドのような者で満たされているということだ。
ワールドは悩ましそうに眉を下げて、改変が加えられた俺の質問に答える。もはや答えなくてもよい質問に答える。
「それは、個人差の最たるもの、っていうことで納得してもらうしかないな。今はまだ何も分かっていない。世界のルールから外れたバグだと、僕個人は考えているけどね。なにしろ個体数が少ないから、資料も情報も少ないんだ」
個体数が少ない。生物学者のような物言いに多少驚きはしたが、大体予想通りの答えである。「わからない」。そりゃそうだろう。
ショックというより、諦めることを認められたような安堵が心に居座る。勝者は先天性のもの。敗者も先天性のもの。であればこれは運命。変えようのない絶望であると同時に、抗えない進路に違いない。
萎んだ気持ちをなんとか飲み込んで、質問攻めを続ける。
次に聞きたかったのはたぶん、俺にとって一番重要な事だから。
「勝者は何人いるんだ?」
俺はある程度の最悪を考えてはいた。
だが、そんなものは予想にすらならないと、この世界を多少知りながら、俺は何故思い至らなかったのだろう。根拠もへったくれもない自論をもてはやされたせいで、馬鹿になってしまったのか。それとも、見事当たってしまった自論のせいで、自分自身が苦しみ自暴自棄になっているのか。
この世界に常識はいつだって通用しない。常識どころか、非常識がここでは日常のように思えてきたのに。
これは学習しない俺への罰か。
まさしく天罰。雷のように光る男の口から、非常に単純な、単純すぎて悪質な返事がぶつけられる。
「二体」
え?
「僕と、グロテスクって呼ばれてる魔女だね」
―2。
勝者の数。
1+1の答え。え?
それは2。 ワールド。+1。
―二人しか、この世界で記憶を持っている者は存在しないのか?
頭がどんどん悪くなる。次いで状況もどんどん悪くなる。
この際魔女なんて意味の分からない単語はどうでも良い。
少なくとも、この世界は小さな国レベルの広さはあるという認識だった。それが、え?
それほどまでに、勝者というものは珍しい人間、いや症例だということか?
体が冷たい。心が凍る。とても怖い。
俺はその時確信してしまった。
これはもう、差別階級なんてものじゃない。「勝者」という二文字は、この世界の支配者に与えられる称号だ。そして「敗者」とは、支配者に付き従う有象無象の群れの総称。数多生み出された奴隷の称号なのだと。
この世界は、明確過ぎるパワーバランスによって、完全に二分されている。持つ者と持たざる者。こんなの、あまりにも不公平じゃないか。権力が集中するなんてものじゃない。
そして俺は後者。奴隷側。
嘘嘘嘘嘘嘘。
ネガティブがパンクして、脳内が現実逃避の言葉で埋め尽くされる。
あいつの言ってることは嘘。そもそも勝者なんて存在しないって。妄想妄想!疑え。こんなのおかしい。ありえない。全部ウソ。
そんな都合のいい、俺に優しい理詰めを始めてしまいたい。始めようか?
だけど、でも。でも。冷静になれ。
冷静になればなるほど、俺はあいつを信じなければいけない気がする。
ワールドは、まるで人間だ。他の出会った奴らとちがって、化け物には程遠い、綺麗な肉体を持っている。
………………俺は?
強い言葉を裏打ちする強い劣等感に、精神が限界を迎え、誰かに縋るように周りをふらふらと眺める。
目に入ってくるのは、白い壁。疲れで滲む視界。
…そして。
「グロテスク」という名を聞いた途端、黙りこくるツギハギ男女。
なん、だ?
なんなんだ?今まで子どものように遊んでいたのに、急に大人しくなった。ワールドの後ろで和気あいあいと笑顔を振りまいていたのが一転、能面でもつけたかのような真顔に置き換わったのは、なぜ?
あまりの豹変に、背筋がぞっとする。ただでさえ必死に食らいついているだけの俺に、この空気は無理だ。
「ごめん。ちょっと空気が悪いね」
謎ばかりで戸惑う俺を見かねてか、ワールドが重苦しい雰囲気を打破しようと声をあげる。
それでも押し黙るツギハギ二人に、俺は魔女なるグロテスクに並々ならぬ思いがあるのだと感じた。
よく見ると、体が小刻みに震えている。なんだ?恐怖?その感情なら、この世界に堕ちたその瞬間から知っている。今俺が一番に感じている。相手はもう一人の勝者、言うなればもう一人の支配者なのだからこの反応も仕方がな、………、いや……、
力強い目。
考えを改めろ。俺とは違う。
これは、なにかに恐怖する者がする顔ではない。
怯え故の消沈ではなく、怒り故の沈黙であることははっきりと伝わった。では、それならば。
………考えられることはいくつかある。
思考回路が幾分かマシになってきた。
他人の怒りによって、理性的な自分を取り戻す。よくある事だが、まさかこんなところで経験するとは。
まず、今頭にポンと浮かんだことを、言ってしまいたい。切り裂かれるような空気の中、これを言うのは憚られるが。
しかし、これを言わなければ俺はこの世界の事を何一つ知れないだろうし、なにより話が先に進まないだろう。
俺は心の中で深呼吸をして、祈りを捧げ、口から爆弾を吐き出す。
「そのもう一人の勝者は、お前たちにとって敵なのか?」
………やっちまった。
口に出した瞬間、口に出したことを後悔した。
張り詰める緊張に、固くなった唾が俺の喉に激突して通り過ぎる。いくらなんでも、「敵」なんて言い方は酷すぎだ。
場が静まり返ることも覚悟する。だが、
「…そのことを説明するにはまず、勝者という存在の他に、君がここに連れてこられた意味を説明しなきゃいけない」
案の定、答えを与えたのはワールドだった。彼がこの空間で一番、俺という存在を尊重してくれているような気さえする。
彼はただ静かに、言葉を一つ一つ箱に包んで置いていくような喋り方で、どんな情報を俺に与えるか整理している。それは俺を説得させる術を探っているようでもあった。だがどんな打算があれど、この時においては俺の救世主であることに変わりなかった。
俺がここに連れて来られた意味?
ワールドに感謝しながらも、俺は原点回帰と呼べる事柄について改めて考える。
ツギハギの男女。白衣の先生。謎の部屋。
この存在の意味と、その存在が俺を求める意味を知らなければ、グロテスクという謎は理解できないらしい。俺は粛々とその説明を待っていると、
「今この世界は、僕の【混沌としたままで停滞させていたい】という願いと、グロテスクの【秩序を与えて第二の地獄にしたい】という願いの衝突によって、半ば戦争状態にあるんだ」
彼は申し訳なさそうにして、易々と俺の思考の一次元上に乗った。
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