継ぎ目【勝者:World】
その後すぐにガチャガチャと、なにか機械のようなものが崩れる音が鳴り響いたと思えば、アルミ缶が潰れたような音の波がこちらへ大きく響いて、カーテンの裾が揺れる。
不気味な白い施設というよりも、スクラップを集めた電気屋に似たその忙しない生活音は、ある意味で聞く者にもっと恐怖を与えるかも知れない。
勢いよくカーテンが開かれると同時に、薬品の刺激臭が辺りに充満する。
「君たち、あんまり乱暴に連れてきちゃダメだよ?ただでさえ誤解されやすいんだから…」
埃舞うカーテンから出て来たそいつは、まるで電球のように眩しかった。
黄緑がかった髪に、ハイライトで埋め尽くされたように白い肌。見ただけで目が潰されそうな配色に、思わず目を細める。特にその瞳は眩く、暗闇であれば、獲物を狙う夜行動物の眼差し、光る視線を浴びることになるのではないかと思わせるほどである。
細い腰のせいで中々判別がつかないが、直線的な骨格はたしかにミスター、男であることが伺えよう。
「ごめんミスター。もう事後」
「ジゴジゴ!」
ツギハギ男が苦笑しながらそいつに話しかけ、女の方がそういった動物の鳴き声のように喚く。こいつらの態度からは、まるで父親に対しているような親しみを感じるが。
「ええ?困ったなあ」
かと思えば、ミスターと呼ばれる男は、ミスと呼んでも差し支えない女性的な優しさがある。それはまだ初対面、言葉を交わしていない俺にですら感じられる事実だ。
「あの」
恐る恐る声をかけると、彼はこちらにずんずん近づいて、………眼鏡のレンズ越しから俺を穴があくほど見つめた。思わずたじろいでしまう。
白衣に眼鏡にモジャモジャ髪というなんとも陰湿そうな恰好なのに、彼には不思議と、そんな暗さとは縁遠い、暗闇の中灯されるあかりのような強さと存在感があったからだろう。理知的なオーラというか、余裕のある相手の雰囲気にのまれたのかもしれない。
「どうも。僕はワールド。一応この二人の保護者って感じかな。君からすれば記憶持ち…、【勝者】の一人だ」
先ほどカーテンの向こうから聞いた、静謐な声で、彼は俺によくわからない自己紹介をしてくる。
勝者。俺が「敗者」と呼ばれたことには、この反対語の存在が関係しているのか?
―いやそれよりも。
記憶持ち?
記憶持ちということは。
「記憶がある、記憶があるのか?地獄での?」
俺は言葉通りのことを馬鹿みたいに聞き返した。こちらの自己紹介も後回しに、ここに堕ちて最初に出会ったやつとおなじように聞いた。何もわからない、無知の暴力である。
「そうだね。言葉通り」
彼はそんな俺の戸惑いになんの興味も示さず、にこりと菩薩のように微笑む。
俺の心はさらに震える。えもいわれぬ緊張感が息苦しさになってまとわりつく。
記憶とは、それほどまでに凄まじい力であるという事を、俺はこの瞬間に改めて痛感した。記憶が無ければなにもできない。経験が無ければ自信も湧かない。つまりその記憶があるということは、俺にとっては神にも等しい人間であることの証明に他ならない。………彼は神か?
だが、そう考えている間に、別の俺は”そう名乗っているだけで、実は記憶がない奴が妄想を垂れ流しているだけなのではないか。それは詐欺師に相違ないのではないか?”という至極真っ当な嫌疑をかけている。
期待と嫌悪。大きな力に出会ったとき、また大きな力に見せかけたちっぽけなものに出会ったとき、人はこうして両極端の感情に引き裂かれるのではないだろうか。
俺の矛盾した感情の行方などつゆ知らず、のほほんとした表情を浮かべる目の前の彼に、俺は苛立ちをぶつけるように問いただす。
「勝者とは一体何なんだ?」
彼は逆に、そんな情報にはなんの価値もないといった様子で淡々と語る。
「勝者というのは、現世から地獄、そしてここまでの記憶が続いてる人のことをそう呼ぶんだ。有り体に言えば、”前世の記憶がある”って感じかな」
「前世の、記憶?」
「うん。結局地獄も二度目の地獄も、上で死んでから始まる。だからその記憶をもったまま降りてきている僕は、前世の記憶があると言えるでしょう?」
確かに。それはそうだ。
死んでから…、始まる。死んで、死ぬ。
死ぬ?俺は今まで、二回死んで……
あ。
頭がぐにゃあと、悪い意味でフル回転した。知識の三半規管が狂わされ、気が遠くなるような感覚が脳神経を支配する。
死が前提の世界において当たり前の定理を叩きつけられたとき、それはとある一つの可能性を示した。いや、俺に気づかせた。
「ちょっと待て。もしかすると記憶障害ってのは、地獄からここに堕ちてくるとき限定なのか?」
ワールドはすこしだけ瞳孔を開き、にやりと意地悪そうな笑みを浮かべる。
彼の穏やかな微笑みしか見ていなかった俺の目玉の方が、逆にもっと大きく瞳孔を開いたかもしれない。
こいつ、こんな顔もできるのか。
「面白いね。どうしてそう思ったの?」
さっきの自己紹介での凝視が「穴があくほど」と呼べるなら、今の凝視は「体がなくなるほど」、だ。
目線を合わせるな。粘着ストーカーのような病的な眼差しが、こちらを食い殺してしまえるほどに感じられる。
だが今、この質問に答えない限りは煩悶としたままだ。
俺に興味津々な彼の事に構わず、俺は一旦ここで起きた少量の過去を想起することに全力を尽くしてみる。ただでさえ痛むことが多い頭に人差し指をあてながら、記憶の見返しに集中した。
『俺は一回死んだ。俺は二回死んだ。そして、此処へたどり着いた。』
「……俺は、地獄で死んだことは覚えている」
そうだ。それで、一番最初にこの世界に堕ちて来たとき。
『俺は一回死んだ。俺は二回死んだ。そして、此処へたどり着いた。だが【それ以外】、何も覚えていやしないのだ。』
「そのせいでこの世界に堕ちて来たとき、何も思い出せないと焦った。何も覚えていないと嘆いた。だがそれは暗に、地獄に堕ちた段階では、まだ現世での記憶を保っていたことの証明なんじゃないのか?今お前の話を聞いて、そう思ったんだ。現世から地獄へと堕ちた時記憶があったという前提があるから、同じように堕ちたのに、なぜ覚えていないと考えるんじゃないのかって」
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