おっさん、見送られる
「……行っちゃうの、ガー君?」
陽の光も差さぬ早朝――
まるで夜逃げをするかのようにこっそり村を出た俺は、木立からひょっこりと姿を見せた幼馴染の声に心底驚いた。
今日村を出る事は誰にも言っていない。
村の自警団長である親父を心配させない為、一応書き置きを残してはきたが。
しかしそれだって――発覚するのはもう少し後のことだろう。
なのに何だってこいつは気付いたんだ?
平静さを装う間もなく狼狽したまま思わず聞き返す。
「お前、どうして……」
「分かるよ、ガー君のことだもん。
何年一緒にいると思っているの?」
「そっか、そうだよな。
なら――隠し事は出来ないな」
「ねえ、どうしてなの?
どうして皆に黙って出て行っちゃうの?
せめて――理由を聞かせてよ」
「お前に隠しても仕方ないし、隠し通せないから言うけどさ……
正直……辛いんだ、ここ【隠れ里ティルナノーグ】にいるのが」
「辛い?」
「ああ。
俺には――才能が無い。
生来勇者たるヴェルダンディ一族の務めを果たせるとは思えない」
「そんな!
だって先日【聖天法】を修めた、って言ってたじゃない!
村の皆も立派だ、さすがカルの息子だって褒めたよ?」
「確かに習得はした。
けどな――使いこなすには圧倒的にレベルが足りてない。
というか、伸びない。
このままじゃ不発ならまだ良い方……下手をすればロストの危険性がある」
「ロスト……本当に……?」
舞台退出現象、通称ロスト。
それは俺達ヴェルダンディ一族にとって最も誇らしく忌まわしい現象だ。
聖天法によって急上昇させた位階が、個人のイデアを追い超してしまった場合に発生するそれは、世界そのものが個という枠に干渉し強制的に排除。
人々の無意識集合体である【阿頼耶】を守護する、ガーディアンとでもいうべき存在へと【成り上がって】しまうというものだ。
一族の誉れという者もいるが、俺はそうは思わない。
成り上がった者は誰の記憶からも忘れられ風化していく。
世界の危機なんてものは案外ゴロゴロしてるらしく、俺がこのヴェルダンディ一族の隠れ里に来てから幾人も里を旅立ち――幾人かが成り上がり帰らなかった。
その中には、もしかしたら親しい人がいたのかもしれない。
無論、真相――全ては霧の中だ。
出撃前に刻まれる村里の中心部に添えられた巨大な墓標【エピタフ】のみが個人がそこにいたという立証となる。
俺はそんな消え方が嫌だったし……怖かった。
でも一番嫌なのは――
「一族の長老たちは焦らなくていい、十分だと言ってはくれたけどさ……
辛いんだよ、期待に応じられないというのは」
「ガー君……」
「まあ、幸い親父に鍛えられたお陰で剣の腕前だけは自信あるからさ。
村を出て一旗揚げてやろうと思った訳だ」
「私は知ってるよ、ガー君の凄い所。
決心は固いんだね?」
「ああ」
「なら……待ってるよ。
大事な幼馴染のガー君、ガルティア・ノルンが勇ましく凱旋する日を」
「ありがとう。
あっ、でも皆にはまだ内緒な?
これだけカッコつけたのに今バレたら洒落にならないし」
「フフ……大丈夫だよ」
「あと、今日から俺はガリウス・ノーザンだ」
「ガリウス? それって……」
「お前と一緒に昔読んだ、お伽噺の英雄。
数々の偉業を為した古えの英雄にあやかって、そう名乗っていくようにする」
「それでも、ガー君はガー君だね」
「まあな。
名前負けしないよう懸命に頑張るさ」
「うん。頑張ってね、ガリウス……ノーザン。
行ってらっしゃい!」
「ああ、行ってくる」
別れを告げ、深い森の中を貫く道を行く。
後ろは振り返らなかった。
泣きそうになりながらも精一杯微笑み送り出す幼馴染の顔を見たら――
固く定めた筈の心が揺らいでしまいそうだったから。
「これで――
これで本当に良かったの、お爺様?」
ガリウスが去ってからしばしの後――
その姿が完全に消え去った事を確認した少女は独り言を呟くように語り掛ける。
するとまるで空間迷彩が解かれかのごとく少女の傍らに現れる痩身の年長者。
「これ、家の外では村長と呼ばわんか」
優しく窘めるも孫に対する好々爺たる表情は変わらない。
そんな祖父を恨めし気に見やる少女。
どこまでも非難がましいその視線に根負けしたように村長は苦笑する。
「これこれ、そんな顔をするな。
お前の想い人が出て行ったのは儂らのせいじゃあるまい」
「だって――」
「あやつには何度も言ったのじゃがな。
焦る事はない、と。
あやつは典型的な大器晩成型……
そう生き急がずとも時が解決してくれる筈じゃったのに。
まあ、若者に待てというのは酷か。
おそらく儂らの助言も慰めと捉えてしまったのじゃろうな。
まったく、惜しい事をしたわい」
「ならお爺様――
ガー君、ガルティアの資質はどうなの?」
「掛け値なしに歴代でも上位クラスじゃよ。
資質だけでなくその魂の在り方……即ち【不屈】の起源覚醒者じゃからな。
野盗らが絡んで亡くなった娘子の一件以来、ガルティアの宿しているオーマの灯火は格別の輝きを上げておるしのう。
良いか、あやつの行き先をしっかり見とれ。
奴はこれから先――この琺輪世界の基軸に関わっていく存在になるぞ」
そう言ってガリウスの去った方を楽し気に見送る村長。
だからこそ残された少女はただ心の中で祈った。
大切な幼馴染の行く先々にこれから待ち受けていくであろう数々の困難――
たとえ栄光に輝かなくてもいい。
それらを乗り越えた先に幸福と笑顔があらんことを。




