おっさん、一矢報いる
……どうにか一矢報いてやった、って感じだな。
飾り物めいた能面の様に穏やかな表情が崩れ去り、初めて人間らしい感情を露わにするソーヤを眼にした俺は一人、不敵にほくそ笑む。
過酷な先読みに勝利した上でお約束展開を跳ね除けたこの瞬間がたまらない。
俺は用心深いだけが取り柄の直情的な人間だが――策士と呼ばれる人種はきっとこういった瞬間を至上の喜びとしているのだろうな～とは推測できる。
勝ち誇った顔がまさかの逆転劇に歪み停止する。
相手は白濁した思考の中、
何故？ どうして？ どうやって？
と自問自答し――困惑するのだ。
確かにこれは昏い愉悦に浸りたくもなる。
階段で見かけた聖杯を巡る戦争の監視官で有名な神父も同じ趣向だったらしい。
おっと、でもまあ同じ穴のムジナに陥っては駄目だな。
人の不幸を望む者の行く末は自身の破滅である。
暗黒面に堕ちるのは早くとも、戻るのは至難の道。
皆を幸せにすると決めたからには清く正しくいかねば。
瞬時にニヤケ顔を正す俺。
そんな一連の変化を呆れたように見詰めてくるミズキ。
男装の麗人とも呼べるほど整ったハンサムな容姿から放たれる冷たい眼差し。
ドMなら歓喜しそうなその視線が、まったく貴様という奴は――と如実に語る。
だから俺は誤魔化す様に再度その額に口付ける。
伝わるのは上気した肌と絹糸みたいにキメ細かい極上の触感。
心惹かれた俺は先程より距離を違え、より中央部に寄せる。
重なり合う唇。
瞬間、ドラゴンブレスの直撃を喰らったみたいに赤面しミズキは沈黙する。
唇を抑えながら文句を言いだそうとするも――心が満足してしまったのだろう。
何も言い出せず幸せそうに目尻を下げる。
悪かったな、皆の前で。
されどこれは譲れないぞ、俺なりのケジメと決意表示だからな。
無論、ミズキもその事は重々承知なのだろう。
ただ根が乙女で純真な彼女はもっとロマンティックなシチュエーションをお望みだったらしい。
齧歯類みたいに大きく膨らませた両頬と甘えと抗議に例えるには少々ダメージが大き過ぎる鳩尾ブローで不満を返してくる。
ぐふっ……相変わらずいいものを持ってやがるな。
並の攻撃を通さない【黒帝の竜骸】越しでも伝わるこの威力。
鬼か、お前は。
でも苦しそうに息を詰まらせると、慌てていじらしく世話を焼こうとする。
普段見慣れないその甲斐甲斐しさに引き締めた筈の口角が下がってしまう。
――ああ、本当に可愛いな。
幸福に満ちたこの笑顔を手中に出来ただけで俺の選択は無駄じゃなかった。
けど惜しむらくは素晴らしい眺めだと思うが、ちょっとその裸身は目に毒だな。
収納スキルで都市潜入時用に設けていたマジックバック内の待機空間から毛布を取り出した俺はミズキに掛ける。
筋肉質でありながら女性的でもある豊満な肢体はどうにか隠し切れた。
これでよし、と。
戦略魔術級が野晒しになっている危機的状況は一先ず去った。
しかし聖人だろうが人の域を超えた超越者だろうかは知らないが……
この展開はさすがに読めなかったようだな、ソーヤ・クレハ？
まあ本来なら未来視を使うまでもなく明らかに詰んでいる状況だったからな。
協力してくれたミコンとの間に結ばれた絆の力【浄火】に感謝しつつ――
俺はこの数分の間に起きたことをゆっくり噛み締める様に思い返すのだった。
