おっさん、不遜な笑み
(愚かな……
それは誤った選択だ、英傑ガリウスよ)
ガリウスの手から放たれた業火に包まれるミズキ。
事の成り行きを見守っていた聖者ソーヤ・クレハの胸中を過ったのは配下である魔族を喪う哀しみではなく――
自ら愛しい者を殺めたガリウスに対する憐憫であった。
己が画策したこととはいえ、心が痛まぬ訳ではない。
しかし行動から自らの感情を完全に切り離せるのがソーヤを聖者たらしめる所以であり強さである。
数年後に訪れる破滅の未来を避ける為、ソーヤは全てを費やしてきた。
いかなる悪名を背負うとしても為せねばならぬ事があるからだ。
人の【種】としての存続。
ソーヤはその為にありとあらゆる手段を図ってきた。
敬愛する上司も。
親愛なる同僚も。
友愛すべき信徒も。
何もかも喪われてしまうというのならば、この世界に意味はない。
ならばせめてその足跡を残したいと彼は思った。
人の生きた証を語り継ぐ事が出来るように、と。
それ故に聖域都市上層部で発案されたのが【箱舟計画】である。
当初は教団陣営側からも否定的な意見もあった。
だがソーヤの口から紡がれる世界の終末の有り様を文字通り仮想体験した者達はこぞって彼の配下に加わったのだ。
最後まで頑なに協力を拒み続けていた教皇を除いて。
彼女は人と人の結びつきが世界を救うと主張していた。
各都市群と共に魔族と戦い全ての叡智を結集させる。
教団はその為にこそ在るのだ、と。
夢迷い事と一笑に付すにはあまりに真摯な願い。
叶うならばソーヤも彼女の夢に殉じ寄り添ってあげたかった。
されど――それが実を為さないのは立証されている。
皮肉にも彼自身の【神臨言】が語る不可避の惨劇の模様にて。
だからこそソーヤは彼女を排した。
心の底で揺らめく密かな想いと決別する為に。
決して醒めぬ夢に陥り倒れ伏す教皇。
そう、あの時から――彼は戻れぬ道へと足を踏み入れたのだろう。
全てを犠牲にしても理想を追い求め続ける概念とでもいうべき領域。
それは目的を遂行する為ならば何もかも顧みない精神の怪物への変貌。
故に経験者だからこそソーヤは識る。
(彼女が必要ならば、貴方は何もかも差し出して護るべきだった。
なのに貴方は自らの手で決断してしまった。
それは貴方の強さであり――弱さ。
全てを断ち切る事が出来る貴方はそれ故に抱え込み……脆い。
彼女を殺めた事実は楔となり、これからも貴方を苛ます。
一度罅割れ壊れた器(心)は二度と元には戻らないのだから。
それこそがこの一連の交渉の本当の狙い。
暗黒の未来を識る貴方は得難い隣人であり――同じ傷を持つ協力者となる。
果たして貴方はわたしの誘いを跳ね除けられますか?)
似たような境遇に似たような背景。
正直ガリウスならば何とかしてくれるのではないかと思った。
彼の根底にあり起源とするのは【不屈】。
運命にすら抗い、理不尽を是としない不朽の闘志だからだ。
彼ならばこの詰んでいる状況でも何とかできるのはないかと。
あの日の自分の決断は間違いだったのではないかと。
そう――否定してくれるのではないか?
しかし運命は非情だ。
過程は違えど結果は変わらず。
自分が為し得なかった展開への期待は今消えた。
ならば――その心を救おう。
堕ちたその身を己が紡ぐ言葉にて。
どこか仄暗い愉悦を浮かべるソーヤ。
余裕に満ちたその微笑が――凍る。
燃え盛る焔。
虹色に煌めくその内より、総身を晒しながらも無傷のミズキが現れた瞬間に。
衣服も何もかも燃え尽き全裸のミズキは茫然と自分の身体を見回す。
そして気付いた。
魔族の憑代とされていたその肢体が――今は全て元に戻っている事に。
忌まわしき魔族との同化から解き放たれた事に。
歓喜の涙を流しガリウスに抱き着くミズキ。
ガリウスはそんな彼女を荒々しくも情熱的に抱き締め返す。
さらに一言、二言会話を交わした後――その額に優しく口付ける。
現状が把握できず、茹ったように赤面し口をパクパク開閉するミズキ。
貴様は馬鹿だ、甲斐性なしだ――と呟きながらも大きく頷きガリウスの胸元へとその身を摺り寄せる。
幸福を絵に描いたような二人の姿に、脳を焼かれるソーヤ。
「な、ぜ……」
白濁した思考の中、言葉にならない問い掛けをする。
「――何故?」
「その娘は、わたしの配下であった魔族と同化していた。
単なる憑依ではない。
いかなる存在であれ霊的・生命構成要素レベルで融合していたものを解き放つ事など不可能だ――そう、このわたしですら。
なのにどうして……」
「ああ、そんなことか」
ミズキの黒髪を優しく撫でながら――
ガリウスは誰にでも出来る料理のレシピを打ち明ける様な声色で応じる。
「ミズキと融合していた魔族の生命構成素……
リアの話では細胞って言うらしいがな。
ミズキを構成する37兆2000億の細胞の内に入れ込み同化を担っていた、魔族の細胞1億数千個……その不浄の細胞『だけ』を全て燃やし尽くしただけだ」
「なん……だと……
魔族との同化は不可逆なる世界の摂理。
そんなことが出来る訳が――」
「それが出来るのさ。
俺の瞳に宿りし森羅万象を見通す【神龍眼】と――
ミコンとの絆である始原の炎――【浄火】の力を以てすれば、な」
あまりに予想外の驚愕で顔を強張らせ戦慄くソーヤを前に――
ガリウスはどこまでも太々しく男臭い不遜な笑みを浮かべて応じるのだった。




