「忘れないで……私の事を」
――翌朝。
心地良い疲れにいつまでも寝ていたい誘惑を根性で退ける。
眠さに負けそうになる瞳を開けたら……
目の前に彼女の顔があった。
どこかあどけなさを残した彼女の貌。
綺麗だな。
守りたいな。
純粋に、そう思う。
やがて――俺の視線を感じたのだろう。
形の良い睫毛を震わせ彼女が双眸を開く。
恥ずかし気に顔を合わせ、照れ合う俺達。
結ばれた喜び以上に――恥ずかしい。
まあ、土壇場とはいえ自分の想いに気付けた。
生に対する執着が無い訳ではない。
しかし――もしこの想いを知らずに死んでいたら、きっと後悔していた。
勇気を出してくれた彼女にはどれだけ礼を述べても足りない。
両想いになれた幸福を含めて。
彼女を幸せにしたいと思う。
しばし無言のまま指を絡ませ合う俺達だったが、急に真剣な顔をしたセラが胸元に身を寄せながら尋ねてくる。
「ねえ、ガリウス――
永遠ってあると思う?」
「永遠?」
「――そう。
不滅不朽の変わらないもの。
そういった想いとかカタチのこと」
「考えるまでもない。
ないだろう、そんなの。
この世にあるものは全て――神や概念さえいつかは消え去る。
滅びに向かい歩み進むこと。
それは万物が免れない宿命だろう?」
「だよね。
世界の摂理は、誰にも変えられない。
それはよく理解しているつもりだよ。
でも私は信じたいんだ――
貴方と出会えた、この運命を。
こうやって共に過ごすこの時間を。
可能なら永遠にしたい……それが許されない事だとしても」
「? どういう意味だ、セラ?」
「ううん、違う」
「え?」
「セラという呼び名はね、親しくない他人に呼んでもらう時の愛称。
親しい人……好きな人にはラナ、って呼んでほしい」
「分かったよ、ラナ。これでいいか?」
「えへへっ……ありがと」
俺の胸元で幸せそうに、はにかみながらも――
溢れんばかりの幸福で嬉しそうに――
けど、どこか憂いを秘めて微笑むセラ――もといラナ。
幾度も逢瀬を重ねたというのに何が不安なのか俺は訊けなかった。
言葉にしたら、きっと何かを喪ってしまう気がして。
だから言葉だけでなく行動で示す。
「ラナ……」
「えっ嘘? もう一回!?
もう……仕方ないなぁ……」
俺の誘いに驚くラナだが、甘えたように身を委ねてくる。
明かり取りの窓から射し込む光に浮かび上がる肢体。
少女期特有の神秘性の象徴。
これが初めてではないのに――俺は息をするのも忘れて見惚れてしまう。
アホみたいに呆ける俺。
ラナはそんな俺へ蠱惑的にクスリと微笑みを浮かべ頬をさすってくる。
「じゃあ甘えん坊で困っちゃった年下さんの為に……
おねーさんな私が一肌脱いであげる。
他の人など視界に入らないよう……
互いの絆を身体に深く刻み込んでしまうんだから」
普段とは懸け離れた魔性の貌。
しかしそれも年上ぶりたい強がりなのだろう。
言葉とは裏腹に戸惑いながら一生懸命尽くそうとする。
だから俺はその手を止め、ぎこちなくではあるが優しく身体を重ねていく。
驚きながらも嬉しそうにしていたので間違いじゃなかった筈だ。
未だ不慣れ故の苦痛に耐えながらも、結ばれた歓びに震えるラナ。
乱れた髪が宙を舞い、涙を零す彼女を凄く愛おしいと思った。
荒々しくも互いの心が満ち足りていく充足の一刻。
しかし現実は非情だ。
いつまでもここに籠りたいが結界の更新期限が近付いている。
早々に出発しなくてはなるまい。
結ばれた余韻に浸りながらも俺達は身支度を整えセーフティハウスを後にする。
その後、最後の封印地に向かう道中も、ラナはどこか儚げで不安そうだった。
今にして思えば優れたシャーマン系職業の才能――
姫巫女である彼女の霊感じみた予感だったのだろう。
そして辿り着いた最後の封印地で俺はしくじり――彼女を喪った。
永遠に。
奇しくも――永遠はあったと、皮肉混じりに証明された。
「我が名は魔神皇様にお仕えする13魔将の一人、【妖鳳】のサイゼリオ。
お前達の行く手を阻む者だ」
「なん、だこれ……身体が」
「ガリウス!?」
「やっと効いてきたようだな」
「どういう、ことだ……」
「管理者の従者――貴様の用心深さは驚きを通り越し脅威だ。
道中の町中に仕掛けた毒類を口に含むどころか滞在すらしないとは。
だが――この場に踏み入ったのが間違いよ。
存在そのものを毒へと変える外法により、我が身は最早生きる毒。
結界に護られた管理者はともかく――貴様は持つまい」
「お前も……共に死ぬぞ」
「端から承知。
ラキソベロンの手を借りるのは癪だが……
魔神皇様復活の為には個々の心情など論外、何にも勝る。悪く思うなよ」
狡知を巡らせ仕掛けられた魔神共の卑劣な罠を見抜けず俺は毒に侵された。
足手纏いとなった俺を抱え防戦するラナ。
「俺を見捨てて……早く逃げろ、ラナ……」
「バカ!
そんなこと出来ない! 出来る訳ない!」
やがて崩壊の時が近付き、遂に封印が解かれようとした時――
腐れ魔神共を封ずる為――
満足に動く事も出来ぬ俺を救う為――
彼女は文字通り人柱となった。
魂を代償に魔神皇へ繋がる魔城を封印したのだ。
自らの力の無さに絶望する、一人の少年の嘆きを残して。
「ラナ、駄目だ!」
「ねえ、ガリウス……
貴方と共に過ごせたこの旅はね……凄く満ち足りていたわ。
本当に……本当にありがとう……」
「嫌だ! 嫌だ! 逝くな!」
「ごめんね……今はこれしか方法がない……」
「俺が、俺が不甲斐ないばかりに君を――」
「お願いだから自分を責めないでね。
私は私の責務を全うするだけなのだから。
だって神ならぬ人の身では万全に至らぬ事が多過ぎるもの。
でも問題はそこで諦めるのじゃなく自らの為せる事を全力で為す事でしょう?
貴方は貴方に出来ることをした。私を大切にしてくれた。
貴方自身がその身を以て示してくれたじゃない。
他の誰かが何を言おうとも、私だけは貴方を認めてあげるんだから。
けど……これだけは覚えておいてほしいな」
「何だい……?」
「幾千幾億の時が掛かろうとも、私は貴方の下にまた会いにいくわ。
だから忘れないで……私を、私の事を。
もし姿かたちが変わっていても……私を見つけてくれる?」
「ああ、約束する……」
「良かったぁ……これで安心して逝ける……
でも本当はさ、本当はね……叶うならずっと貴方の傍に……」
「ラナああああああああああああああああああああああああ!!」
セラナ・クリュウ・ネフェルティティ……俺の初恋にして永遠となった女性。
彼女との間に起きた事の顛末は以上だ。
思い返す度に狂いそうになる焦燥と身を裂く苦しみ。
生き残った……
生き永らえてしまった俺に残された残酷な結末。
どれだけ嘆こうとも――決して還らない俺の過去。
幾度か――死ぬことを考えた。
ただ闇夜で光る燈火のようにあたたかい想い。
甘く切なく、そして火傷するほどに熱く駆け抜けた青春の日々。
この思い出があるから、
喪いたくない過去や彼女との約束があるからこそ……
それからも自暴自棄にならずにやってこれたのだろう。
ただ彼女を取り戻したい俺は、その後あり得ぬ奇跡を求め――願い彷徨った。
世界を、神域を。
そして繋がっていく未来。
過去・現在を経て繋がっていく俺のアイデンティティ。
夜明けの微睡みの様に曖昧だった意識が急速に覚醒していく。
泡沫みたいに思い浮かぶ過去の断片を背に――俺はついに目覚めるのだった。




