「なんて……こと」
「ここよ。ここが目的地」
やや頬が赤い(熱中症だろうか? 心配だ)セラが指し示した先――
それはどう見ても荒野の一角に聳える直立した岩壁にしか見えない場所だった。
疑問符を頭に浮かべる俺達を前にセラがゆっくりと解説を始める。
「私達【ウルド】はこのレムリソン大陸の霊的守護を担う一族よ。
その役割は【龍脈】と呼ばれる大地のマナ【レイライン】が淀みなく循環する様に調整する事と……大陸の各所に生じた異界侵略回廊の封印の管理。
とはいえ【視えない】でしょ?
余計な干渉を招かない為、存在すること自体を固く封じられているから。
今、外観の封印を解除するわ」
苦笑したセラが複雑な手印を刻む。
その瞬間、俺とリンデは驚愕のあまり口を開けて呆けてしまう。
自分達が岩壁だと思ったもの――それは荘厳な造りをした寺院だったのだ。
しかも魔力感知に疎い俺ですらバリバリに圧される程の威容を持った建築物。
ここに何かがある――存在するのは間違いない。
声も出ない俺達を気遣う様にセラが解説を続ける。
「20年に一度、封印の効力が弱体化する――してしまう。
一族も手を尽くしたけど、こればかりは結界の仕様だから仕方がないみたい。
だからそれに合わせて私の様なお役目……【管理者】が派遣されるの。
悪名名高き霊峰、腐沼、魔海、廃野、無の砂漠等々にね。
そこには異界からの侵略者が潜入する為に設けた侵食領域【ゲート】と――
強大無比な各異界の皇達が封印されているわ。
とはいえ祖先の残した結界は強固で皇達が復活する事はあり得ないんだけどね。
ただ奴等も馬鹿じゃない……ううん、非常に狡猾よ。
管理者が赴くその時を狙って、何とか結界に綻びをこじ開けて【ガーディアン】と呼ばれる眷属を招くの。
それらを排斥しないと再封印が出来ないし……最悪、封印が解除されてしまう。
だからこそ万全を期する為、大陸最高のEX冒険者【七聖】こと【放浪する神仙】ファノメネルに依頼をしたのだけど……」
何とも言い難い視線を俺とリンデに送ってくるセラ。
悪かったな、来たのがこんなの(俺)とこんなの(怪しい戦乙女もどき)で。
「まあ現状に文句を言っても何も解決しないわ。
ファノメネルが貴方達を自分の代わりに派遣したのならば一蓮托生……
悪いけど、最後まで同行してもらうからね」
「端からそのつもりだ」
「マスターに同じ、なの」
「うふふ、ありがとう。
じゃあ今、入り口を開くから少し下がって――」
「その前にいいかな、セラ」
「うん? 何かしら?」
「俺の扱える技能は師匠譲りの【剣技】と拙い【魔術】……
師匠曰く才能はないが、一応それなりには戦えるつもりだ」
「あら、心強い」
「茶化さないでくれ、真剣に訊きたいんだ。
言い辛い事や秘匿したい事は隠して構わない。
セラ、君の扱える技能は何だか教えてくれないか?
互いの技能共有は窮地において生死を分ける」
「うん……確かにそうだわ。
そうね、私の特技は【封印術】全般と――」
悪戯っぽい微笑を浮かべたセラが突如駆け出す。
制止する間もなく寺院に肉薄し――
あわや激突する瞬間、彼女の姿は高らかに飛翔。重力に導かれるまま落ちてくると思いきや意外や意外、宙に留まっている。
俺の剣士として直観は彼女の足元に注がれていた。
彼女の自重を支え宙に浮かべているもの。それは不可視の――
「一族秘伝の【結界術】と……その応用かな。
簡易結界を足場にするなんて初歩の初歩なんだから」
小悪魔のような可愛らしさと邪さを湛えた瞳で慌てる俺達を見下ろすセラ。
屈託のない無邪気な笑みに毒気を抜かれる。
やれやれ、可憐な外見に騙されがちだが……この娘、結構お転婆っぽいぞ。
師匠で慣れてるとはいえ、俺はどうしてこう女性に振り回されるんだろうか?
呆れ顔のリンデと目線を合わせた俺は深々と溜息をつくのだった。
「どういうことなの……マズイわ」
寺院内部に入った俺達は特に罠らしい罠もなく(管理者とその同行者以外には牙を剥くトラップが満載らしい)結界の中枢ともいえる箇所に到着した。
派手なバトルを想定していた俺にとっては拍子抜けするくらいである。
どこか楽しそうだった彼女の顔色が変わり、焦燥まじりに呟いたのは最後の扉を開けて中にある大広間を見た瞬間である。
そこには異形がいた。
昆虫の肢体に鎧姿、六本ある手には戦斧を持ったその姿は……まさに悪魔。
俺達を見て口元にある触手のような牙をワキワキと嬉しそうに開閉している。
うう、キモイなあ。
なるほど、ここに封印されているのは悪魔の眷属とその異界へ通じる回廊か。
となれば封印されている皇とやらは【悪魔皇】といったところなのだろう。
まあ興味もないが。
しかし昆虫系ね……先程の大蟻といい近頃は縁があるな。
何故か焦りの表情を浮かべるセラを余所に、俺とリンデは目配せを行い……意志の確認を行う。うん、以心伝心。よいぞ――それでいこう。
「あれは指揮官【コマンダー】……いいえ、将軍【ジェネラル】クラスの悪魔!
これは明らかに想定外の事態だわ……今までこんな事はなかった筈なのに」
「無駄ダ、守護者……【門ニシテ鍵】タル娘ヨ。
全テハ今回ノ為ニ費ヤサレテイタノダカラ」
セラの疑問に嘲笑を浮かべ、片言語とはいえ律儀に応じる悪魔。
何かね、悪役はこう……喋らないと死ぬ病気にでも罹っているのだろうか?
でもまあ、いつ来るかもしれない管理者を待ち続けるのは退屈だろうから最後に気持ちよく解説をして一泡吹かせてやりたいというのは分からないでもないが。
「どういう……意味かしら?」
「我ラハ前回ノ介入ヲ諦メタ。
ソノ分ノ【力】ヲ、全テ今回ニ注グ為ニ。
ダカラコソ我ガ招カレタ……高位悪魔タル我ガナ!」
「なんて……こと。
異界からの侵略者は位階障壁を纏う故に通常攻撃では太刀打ちできない。
そして結界内部にここまで侵入した以上、撤退も出来ない。
中枢部にある宝珠に触れ力を注がなければ結界の更新が出来ないのに!」
「娘ヨ……オ前ガ死ネバ、イツカ結界ハ消エル。
ソウナレバ我ラノ悲願――悪魔皇様ガ、コノ世界ニ降臨ナサレル。
サア、我ラノ贄トナレ!」
「くっ……聞いたでしょ、貴方達。
管理者たる私はここから撤退することは出来ない。
しかも相手は想定外の悪魔将軍【ジェネラル】レベル。
私が何とか時間を稼ぐわ……だからせめて貴方達だけでも逃げ――」
「分かりやすい状況台詞、ありがとう。
理解しやすくて大変助かる」
「なに? ふざけている場合じゃ――」
「ところでセラ、一つ確認しておきたいんだけどさ」
「えっ?」
「別に――アレを斃してしまっても構わないんだろう?」
呆気に取られたセラにウインクを送ると、俺は待機していたリンデに命じる。
「今だ、リンデ!」
「はいなの!
汝は捻じ曲がった神柱、狂った神樹、刃の無い神剣……
無限より生じる無限光にて輝く偏四角多面体。
今ここに顕現せよ――必滅の昇華兵葬【シャイニング・トラペゾヘドロン】!」
「ナ、ナンダト!?
ソレハマサカ、忌ワシキ旧神ノ――」
リンデの双手から離れたのは、煌々と眩い輝きを放つも相互に打ち消し合う闇という自己矛盾を孕み破綻した存在である久遠の深淵。
それは波濤となり奔流となり悪魔将軍【ジェネラル】の全身に降り注ぐ。
いったいどのような攻防が行われているのだろうか?
鬩ぎ合う魔力光や火花が奴の全身から立ち昇り苦悶の絶叫が大広間に響き渡る。
だが刹那とも永劫とも思える時間の後――そこには全身を焦げ付かせ酷い損傷を負うも、何とかレジストに成功した悪魔将軍の姿があった。
「ハ、ハハッ! 耐エタ……耐エ切ッタゾ!
イカナ旧神ノ御業トテ、コノ我ヲ滅スニハ【力】ガ及バナカッタヨウダ――」
「魔現刃――【界活】!」
「ナッ、イツノ間ニ!」
愉悦に浸りながら苦行に耐えた自らの心境を語る悪魔将軍。
どこを見て語っているんだか……戦場で余所見は命取りだろうが。
その背後に忍び寄った俺は反撃させる間もなく全力で一撃を叩き込む。
愛用の長剣に魔力と共に纏わせたのは、とある物質。
それは先程の攻防で位階障壁を喪失した奴の全身をすっぽりと覆い包む。
昆虫由来の固い外骨格に渾身の斬撃が阻まれた事を舌打ちと共に確認しながら、俺は全速で離脱――即応できるよう剣を構える。
まあ……もう勝負は着いているんだがな。
万が一の反撃に備えるのは師匠から徹底して叩き込まれ最早習慣となっている。
不意打ちとはいえ俺の一撃が大した事がないと知り悪魔将軍は胸を撫で下ろす。
「何ヲスルノカト思エバ……タダノ斬撃トハ、ナ。
残念ダッタナ人族ノ戦士ヨ。
昆虫ト呼バレル躰ヲ持ツコノ我ノ装甲ヲ貫クノハ、一介ノ戦士ニハ至難ノ――」
俺を愚弄するべく何かを言い掛けた悪魔将軍だったが――その言葉が止まる。
全身を襲う、恐らくは苦痛と呼吸苦に。
「コ、コレハ――!?」
「ああ、やっと効いてきたようだな。
効き目が遅いからちょっとヒヤヒヤだった」
「貴様、一体何ヲ……」
「今、お前を襲っているのはスキルで収納されていた界面活性剤……洗剤だよ。
しかも汚れが落ちやすいように特殊調合した強力なヤツ。
それを多量の水泡と化してお前の全身に叩きつけた。
異界から来て具現化したばかりのお前は知らないかもしれないがな……
昆虫は気門と呼ばれる細管状の呼吸器で呼吸をしている。
油性であるその表面部は優秀で、水を弾き毒すらも効きにくくする。
だがな――界面活性剤分子が付着することにより気門は親水性となる。
するとどうなるか?
溺れて窒息するんだよ、地上で。
今のお前みたいに空気を取り込めず……体内の空気すら消耗し尽くして。
真っ当に戦えば未熟な俺では勝負にもならなかっただろう。
だが昆虫の利点にばかり目を向けて、その弱点を対策しなかったお前の驕りこそが全ての敗因だ……って、聞いちゃいないか」
物言わぬ骸と成り果て、全身が崩れていく悪魔将軍。
奴等悪魔は滅びの時を迎えると躰が崩壊し消え去ると師匠から教わった。
ならば奴は間違いなく斃せたのだろう。
しかし油断は禁物。
残心を怠る事なくゆっくりと剣を納めた俺は、死線を無事潜り抜けた事に深々と安堵の溜息を零すのだった。




