おっさん、浴場で欲情
「ふう……やっぱり風呂はいいな。
まさに命の洗濯ってやつだ」
熱い湯舟に身を横たえながら、俺は深々とした溜息と共に呟く。
孤児院の風呂は当時の俺の拘りもあり、かなり大きめな設計だ。
子供なら数人まとめて入れる程である。
おっさんはともかく、子供はとかく風呂嫌いな子が多い。
ましてつい最近までストリートチルドレンで風呂に入る習慣がなかった者を相手にしなくてはならない。
なので皆で遊びながら入れる様――もしくは職員が付き添いで入れる様に広めな造りにしてもらったのだ。
大人の俺が足を伸ばしても入れる湯舟は好評で、子供らも遊びがてら入浴する様になった。俺も乞われて幾度か手伝いに行ったし、一緒に風呂にも入った。
今となっては懐かしい思い出である。
あの時小さかった者達も、今では成人して孤児院を出て行ったという。
皆は今頃、何をしているのやら。
様変わりした職員にそれとなく訊いてみたが、詳細は分からないという。
ただ時折名義人不明の寄付金が届くので頑張ってはいるらしい。
自分達の行った事が所詮は偽善だとは自覚している。
それでも身寄りのない者達の先を照らす光になったとすれば、上出来だろう。
屈託もなくそんな事を考えながら風呂を満喫していると――
「お湯加減はいかがですか、ガリウス様?」
俺に呼び掛けるフィーの声が聞こえた。
閉眼したまま俺は頭に蒸したタオルを乗せ、天井を仰ぎながら答える。
「――ああ、最高だ。
当時奮発して良い湯沸かし魔導具を設置した甲斐がある」
「あれって確か、ガリウス様が購入してきたのでしたっけ」
「そうだな。
婆さんは風呂なんて贅沢品だから安物でいい、とは言ってたんだがな……
俺はどうせなら最高のものを用意してやりたかった。
金は掛かるがその方が風呂の楽しみを分かると思ったからな。
結果としてメンテ無しで10年間使用出来てるんだから大正解だろう」
「そうですね……見知らぬ誰か(子供)の為に一生懸命になれる――
それこそがガリウス様の美徳ですものね。だから私は――」
「ん? 何だ、フィー?
何か言ったか?」
「いいえ、何も――(フフ)
ではお湯が冷めない内に、わたくしもご一緒させて頂きますわね」
「はっ!? え、ちょ待っ――」
制止する間もなく――風呂場のドアが開き入室してきたのは――一糸纏わぬ姿を惜しみもなく晒すフィーだった。
豊かな金髪は結い上げられ、タオルで申し訳程度に前を覆っているものの、均整の取れたプロポーションを惜しげもなく晒している。
歩く度に弾む胸も蠱惑的な翳り宿す茂みも目に入り、俺は慌てて眼を逸らした。
な、なにを――何をしているんだ、フィー!?
そう尋ねたいが、驚愕のあまり声にならない。
無論、冒険者として寝食を共にする以上、互いの裸体なんぞ幾らでも見る機会はあったし今更何も感じないと思っていた。
しかし――それは誤りだったようだ。
狼狽する俺を他所に、上機嫌で鼻歌まじりに身体を洗うフィーの姿を見てると、大変危険なケダモノが解き放たれそうになる。
俺はリアから教わった心を落ち着ける魔法の呪文、素数を数える。
2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31……ふむ、7は孤独な数字だな。
どうにかケダモノを抑え込むのに成功したまさにその時――
「前を失礼しますわ」
まるで狙ったかのようにフィーが浴槽を跨いで湯舟へ入ってくる。
のみならず、形の良い臀部や秘所を露わにしながら俺に背を向けると、開いた脚の間を目掛け滑り込んでくる。
お湯とは違う生暖かい直の感触に声が出そうになるのを抑える。
「ふぃ、フィー!」
「ん? どうされました、ガリウス様?」
「これはさすがに……」
「あら? 何か問題でも?」
「大ありだろ、この体勢は!」
「わたくしとガリウス様は婚約を交した身。
世間体的にも問題は無いかと」
「いや、しかしだな――」
「それに――」
「うん?」
「昔はよくこうしてお風呂に入ってくれたじゃありませんか。
いたいけな幼子だったわたくしを手籠めにするかのように」
「ひ、人聞き悪い言い方をするな!
それだとまるで俺が幼児愛好家っぽく聞こえるだろうが!
実際のとこはフィーだけじゃなく、嫌がる腕白小僧らを含む皆で入浴をしただけだろう? ったくお前らときたらあの手この手で風呂を拒否するんだから」
「あれは皆の甘えなんですわ」
「甘え?」
「ええ。孤児だったわたくし達は無条件の愛情というものを信じられません。
だからまずは困らせて様子を窺うんですの。
怒った時にこそ――その人の本性が出ますから」
「――なるほどな。一理ある」
「まあ、実際はガリウス様を困らせるのが楽しかっただけですわ。
今のこの時みたいに」
「確信犯かよ、お前」
「フフ……絶対に自分達を見放さないという人には狡猾になるんですよ?
同時に自分を晒してもいいんだと――皆、安心もしてました」
「そうか……それなら何よりだ。
ただ……すまないがもう少し離れてくれないか?」
「あら、どうしてですの?」
「言わなくても分かるだろう?」
「あらあら、まあまあ。
先程から何か固い物がお尻に当たっているのですが……」
「お前なー(溜息)
俺だって健康な男なんだぞ?
普段どれだけ鋼の意志で欲望を抑えていると思ってるんだ。
お前みたいな美人に迫られて反応しない方が不自然だろうが」
「確かに。でも安心しましたわ」
「うん?」
「わたくし達をそういう対象に見て下さって」
「どういう意味だ? 普通なら嫌がるところじゃないか、そこは」
「無論不特定多数の男性からそういう風に見られるのは遠慮願いますわ。
けど……自分の大切な人だけは別です。
大切にしてほしい反面、自分を傷付けてもいいし欲望の対象にして欲しい。
これは偽らざる本心ですもの。
それに――心配もしてました」
「心配?」
「はい。
だってガリウス様は無理を承知で重ねてしまう方ですから。
克己心が強いのは良いのです。
ただ……適度なところで発散させないと駄目になってしまいます。
どれだけ強く英雄と呼ばれ様とも、ガリウス様は人間なのですから。
だから、わたくしで良ければ……いいのですよ? そういう事をしても」
全身を薔薇色に染め上げたフィーが振り返り誘う様に俺を見つめてくる。
真摯でいじましいとも思えるその言葉。
だが俺は苦笑を浮かべると優しくフィーの頭を抱き締める。
「しないよ、今は」
「え?」
「俺はさ、自分が弱い人間だっていうのを理解している。
今欲望に身を任せたら、歯止めが効かずとことん堕ちてしまうかもしれない。
ならばこれまで同様、必死に抑え込むさ。
ヘタレやチキンと呼ばれ様とも」
「あらあら。そんなに痩せ我慢して……
でも、とてもセクシーです。
まるで伝説の吸血鬼の伴侶、アリャーギみたいですわ。
据え膳食わぬは男の恥――しかし自分で決めたルールは絶対譲らない」
「男は強くなければならない。
優しくなければ生きていく資格がない、が師匠の教えだからな。
欲望に負ける軟弱な奴じゃタフガイとは呼ばれないだろう?」
「フフ。その教えを愚直なまでに忠実に守り抜く。
だからこそガリウス様はガリウス様なのかもしれませんね。
誘っておいてなんですが、ここで情欲に溺れ安易に手を出す方なら正直わたくしも心のどこかで見限っていたかもしれません」
そう言って微笑んだフィーは湯船からゆっくり身を起こし出て行く。
しかし浴場の出口まで歩みを進め振り返るや、一言。
「だけど――いつかわたくし達を振り向かせてみせますから。
わたく達からは逃れられないくらい……身も心も溺れる程の虜に。
どうか覚悟しておいて下さいね?」
女神の様な笑顔で悪魔の様な爆弾宣言。
浴場で欲情とか駄洒落にもならんな。
素敵に不敵で無敵なフィーの微笑に、俺はのぼせ始めた身体で引き攣った笑みを返すのだった。




