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【それぞれの戦い】⑤


「これはいったい……?」

「潤沢なマナが含まれてるようだけど……

 これは霧、なのかしら?」


 ブルネッロが呟いた疑問に対し自身の憶測を告げるヴィヴィ。

 共に警戒を怠ることなく魔族の強襲に備えるも――

 胸中を占める焦燥感に似た謎の悪寒は消えない。

 それはS級に至り戦い続けた二人の、ある意味未来予知じみた直感とも言えた。

 シェラフィータの雄叫びと共に変貌した世界。

 闘技場を瞬く間に覆っていったその正体は乳白色の霧であった。

 濃密で濃厚なそれに包まれた周囲は1メートル先も見通せない程である。

 暗視や視覚系スキルの有無は関係なく、光源である光そのものが霧に阻まれ拡散してしまうので無理もない。

 無明の闇の中――シェラフィータのいた辺りから聞こえてくるのは、潮騒の様に満ちては引いてを繰り返す漣のごとき水音。


(この音は――それに思い出せ、奴の異名を――)


 そう……奴は【死せる水】のシェラフィータと名乗りを上げていた。

 精神生命体である魔族にとって、名は絶対である。

 強き生命体ゆえに自らを偽る事すらしない。

 ならばその異名は――何故ついたのか?

 激烈な危機感を覚えたガリウスは【神龍眼】を発動。

 霧の先に潜む脅威を見通そうとする。

 ――瞬間、脳髄を直接抉るような痛みと共に解析結果が判明。


「ガリウス、お前え眼が――」

「緊急退避!」


 酷使した反動なのか、両眼から真っ赤な血の涙を流すガリウスを心配し声を掛け様としたイゾウだったが、切羽詰まったガリウスの鬼気を孕んだ声に即座に反応。

 足元の床目掛け闘気の刃を放ち崩壊させ、舞い上がる瓦礫を咄嗟に盾とする。

 それはブルネッロやヴィヴィも同じ。

 床に剛腕を叩きつけ、あるいは真空刃で頑丈な床を即席の盾にする。

 何故――や、どうして? など悠長な理由は尋ねない。

 そうしなければ命に関わる事を本能的に理解しているからだ。

 果たしてその予感は正しかった。

 津波のように霧の向こうから襲い掛かってきたのは、どす黒い水。

 くろくろくろいその水は渦を巻き――

 全てを呑み込むように荒ぶりながら闘技場を埋め尽くそうとする。

 辛うじて瓦礫の上に退避したガリウス達の足元をゴウゴウと水が流れていく。

 その水の脅威を【神龍眼】により知ったガリウスは間に合え、とばかりに叫ぶ。


「ジェクト――頼む、【船長命令】だ!」

「おう。【船長命令:浮上】!

 昏き水魔を堰き止めろ!」


 常人では踏み入ることすら出来ない魔戦を繰り広げていた闘技場が霧に覆われた瞬間に上がる、絶叫するようなガリウスのスキル使用要請。

 僅かの間共に過ごしただけの関係――だが、あの男の言う事は信頼に足る。

 無条件で他者を信頼していた自分に驚きつつも、ジェクトは無限透明刃【無手】を操る手を止める事無く、オンリースキル【船長命令】を発動させた。

 ジェクトがクラスチェンジにより得たクラス【船長】はその名の通り船上でこそ力が最大限に発揮される。

 しかし彼が船員と見なした者らに対する常識を超える命令権――特に水に関する事象ならばそれはいつでも発動が可能。

 ガリウスの持つ【瞳の中の王国】に似通ってはいるが、こちらはその効果が水に関することだけとはいえ永続化するのが大きい。

 またその効果範囲もジェクトの声を媒介とする為、広範囲である。

 ガリウスの意を汲んだジェクトは【浮上】の命令を闘技場内にいる人族を相手に施行――これにより中位精霊魔術【浮上】にも似た奇跡が各自に発動し、水面上に立つ事を可能とする。

 一般的に知られてないが【浮上】系魔術等は水そのものを弾く効果もある。

 アメンボの脚先と一緒で全身を油膜でコーティングしている状態に近いからだ。

 そしてこの場合はその効果が皆の命を救った。


「GAAAAAAAAAAA?」

「DO、溶KETEIKUUUUU――?」


 凄まじい勢いで溢れ出た水。

 その水に触れてしまった闘技場内低位置にいた魔獣らが次々と溶けていく。

 否、正確には溶解しているのではない。

 全身が急速に老化していき――皴だらけになった体から肉が蕩けていくのだ。

 触れるものに対し老いを齎す水……ある意味酸よりも恐ろしい効果ともいえる。

 酸による火傷は癒せるが――人知を超えた老化現象は癒せない故に。

 あまりにも凄惨な光景に闘技場に集った者らの手が止まる。

 その時であった。


「生れ生れ生れて、生の始めに暗く――

 死に死に死んで、死の終りに冥し――」


 闘技場内に陰鬱に響き渡る、真言にも似て静かで讃美歌のごとき美しい声。

 ガリウスらだけでない、その声を聞いた者全てが総毛立ち震える。

 恐れという感情すら知らない筈の魔獣すらも同様であった。

 この声を聴いてはならない。

 その姿を視てはならない。

 もし認識してしまえば、それは最早……

 祈りにも似た忌避感も虚しく――遂に霧が晴れ渡っていく。


「あ、ああああああああああああああ!!」

「い、いやああああああああああああ!!」

「こ、心が……壊れる……」


 そこに現れたものを眼にした兵士らから絶望の悲鳴が上がり転げ回る。

 腕利きで胆力に秀でた冒険者らでさえ手にした武器を落とし茫然と立ち尽くす。

 実際、彼らは壮絶なトラウマを背負い、この後の人生で甦るフラッシュバックに度々苛まれるようになってしまった。

 だが聖女らの祝祷術の効果でバフが掛かっていたからこそ、その程度で済んだ。

 通常であればその姿を視界に捉えた瞬間に廃人、耐性が無ければ灰塵と化す。

 現にデバフにより弱体化していた魔獣らのほとんどはその場で絶命した程だ。

 何故ならそれは神代より存在する畏怖すべき神秘。

 現界化した魔族の最終形態【神性覚醒】なのだから。

 もう二度と他に憑依出来ないというデメリットを乗り越えるメリット。

 物質化した事により掛かる制限を取り払った、真族としての本性の発現。

 霧が晴れた闘技場――閉眼し、祈りを捧げるような荘厳な面差しで印を組み現出したのは、無数の蜘蛛脚を背に生やした鎧姿の異形の武将であった。

 厳かでありながら決して人が触れてはならない畏れを纏う者。

 東方出身のイゾウは、その姿に故郷に伝わる伝承の神名を口にする。


「阿修羅……」


 その言葉を耳にしたのかシェラフィータは紅く染まった双眸を開き、薄く嗤う。

 ただそれだけで魂が震え竦み、平伏して赦しを乞いたくなる威容の発露。

 今、ここに――絶望の化身たる闘神が舞い降りた事を一同は知ったのだった。









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